【画像】高橋文哉の中学・高校の卒アルを確認!学生時代の部活はバレー?

高橋文哉さんといえば、「仮面ライダーゼロワン」で主演を務め、それ以降数々の作品に出演しています。

イケメンでスタイル抜群、おまけに演技力も高いということで、今後が期待される若手俳優さんですね。

そんな高橋文哉さんですが、卒アル画像が気になっている方も多いと思います。

今回は、高橋文哉さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

【画像】高橋文哉の中学時代の卒アルを確認!

高橋文哉さんは埼玉県春日部市出身で、春日部市立豊野中学校出身という説が濃厚のようです。

本人が学校名を明かしたわけではありませんが、目撃情報などからほぼ特定されています。

残念ながら卒アル画像は公開されていなかったのですが、当時の画像が出回っていました。

かなりのイケメンで、まだあどけない可愛さが残っています。ジャニーズに所属していてもおかしくないですね!

当時は相当モテたようで、部活の時に隣で見ていたバトミントン部の女子から、熱い視線を集めていたようですよ。

高橋文哉さんは、2016年以降彼女がいないことを公言しているので、中学時代は普通に彼女がいたようです。

しかも、高校入学までに交際していた数が、9人!かなりのモテ期だったようです。

彼女といっても、一緒に下校するくらいだったそうですが、それでも何人も交際していたのはすごいですね。

ちなみに歴代彼女は、同い年の女子が多かったそうですよ。

しかし、交際は4ヶ月以上続かず、本気の恋愛にはなれなかったのかもしれません。

また、高橋文哉さんが中学1年生のときに、両親が離婚するという悲しい出来事もありました。

その時から、母親は女手一つでお子さんたちを育て上げたのです。飲食店を経営しながら、大型ショッピングセンターでパートをしたり、かなり働きづめだったようですね。

そんな母親を見て育った高橋文哉さんは、母親思いのとても優しい子になりました。

【画像】高橋文哉の高校時代の卒アルを確認!

高橋文哉さんは中学校卒業後、千葉県野田市にある私立共学校・野田鎌田学園高等専修学校に進学しました。

この専修学校というは、高校の授業と同時に専門知識を学ぶことができ、在学中に調理師免許も取得できるそうです。

また、通信制高校のあずさ第一高校と提携しており、高校卒業の資格も取れます。

つまり、高橋文哉さんは、野田鎌田学園高等専修学校と、あずさ第一高校の2校を修了していることになりますね。

高校の卒アル画像は残念ながら公表されていないのですが、ツイッターで卒業したことを報告しています。

2019年3月に調理高等科を卒業し、それと同時に「調理師免許」の国家資格を取得できたようですね。

高橋文哉さんが料理人を目指したきっかけは、子供の頃に母の誕生日にご飯を作った際、すごく喜んでくれたことがきっかけだったそうです。

母にはハンバーグを作ったのですが、焦げてしまったのにもかかわらず、「おいしい。ありがとう」と笑顔で食べてくれたそうです。

その笑顔を見て、「人を笑顔にする職業は限られているし、料理人って楽しそう」と思ったそうですよ。

それから、テレビで活躍するシェフを見た際に、「料理で有名になれるのでは」という期待もあったそうです。

最初は高校卒業後に就職し、お金をためてから、調理師専門学校に行こうとしていた高橋文哉さん。

しかし、母親が「一番早く調理師免許を取れる道に進むみなさい」と、背中を教えてくれたので、私立の野田鎌田学園高等専修学校へ進学を決めたそうです。

高校での成績は非常に優秀で、「桂剥き」では学年1位を取ったり、西洋部門でも2位になるほどだったそうです。

また、在学中は母を支えるため、軽井沢のレストランで、1か月間住み込みのアルバイトをしました。

ほかにも、料理の修行で中華料理店のアルバイトをし、奨学金を返済しながら頑張っていたそうですよ。

男子高生ミスターコンテスト優勝

そんな中、高校2年生の時に友人にすすめられ、「男子高生ミスターコン2017」に応募します。

すると、見事グランプリを獲得し、芸能界デビューを果たしました。

ダンスやボーカル審査、ウォーキングとコーディネートの審査などを勝ち抜き、応募総数1万人の中から、見事グランプリを獲得したのです。

高橋文哉さんはミスターコンテストの関東大会で優勝した際、「ファイナリストのお宅訪問SP」で密着取材を受けたことがありました。

当時お母さんが飲食店を営んでいて、高橋文哉さんは料理を披露していました。

その後、2018年4月に出演した「得する人損する人」に出演した際も料理を披露し、見事ウル得マンとの対決に勝利しています。

高橋文哉の学生時代の部活はバレー?エピソードも!

高橋文哉さんは中学時代、バレーボール部に所属していました。

3年生のときには、キャプテンも務めていたそうです。

高橋文哉さんは小学生のときから、兄2人の影響でバレーボールを始めていたのですが、一度5年生のときに辞めています。

それでも中学生でもう一度始めているので、かなりバレーボールが好きだったのですね。

中学時代の思い出も、真っ先に思い浮かぶのはバレーボール部だそうです。

楽しい思い出ももちろんあるのですが、引退試合が一番記憶に残っているとか。

「勝てばベスト8、負けたらベスト16」という状況で、最後の最後に高橋文哉さんのサーブミスで負けてしまったそうです。

その時は人生で1番自分を憎み、泣きましたね…「みんな、本当に本当にごめん」って。
Viviマガジンより引用

バレーボールに打ち込む日々だったので、家に帰ったらクタクタだったと思いますが、高橋文哉さんは母に気配りをしていたみたいです。

中学の頃は、お母さんの帰りが遅いとわかってるときは、部活が終わってからスーパーに行って、簡単なものを作ってました。あとで食べてってLINEして。
ViViマガジンより引用

なんと親孝行な息子なんでしょうか・・・そんなしっかりしている高橋文哉さんですから、部長に選ばれたのも納得ですね。

まとめ

今回は、高橋文哉さんの卒アル画像について、紹介しました。

中学・高校ともに卒アル画像は公開されていなかったのですが、当時の画像を見ると、かなりイケメンだったことが分かります。

中学時代はバレーボール部に所属しており、キャプテンもつとめていたそうです。

これからの活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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