木村拓哉は両親と絶縁!父親は盆栽カフェ経営で母親は富山にいる?家族兄弟構成を調査!

国民的アイドル・SMAPが解散してからは、俳優・歌手として活動している木村拓哉さん。

工藤静香さんと結婚後、だんだん実家の家族と疎遠になったと言われています。

木村拓哉さんが、どのような家庭に育ったのかが気になりますよね。

今回は、木村拓哉さんの両親について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

木村拓哉の家族・兄弟構成を調査!弟の現在は?

木村拓哉さんは、両親と弟の4人家族のもと、育ちました。

弟は木村俊作さんといって、木村拓哉さんより7歳年下です。

弟は肉体派で、高校~大学までアメフト部に所属し、卒業後は実業団に入社しています。

ドイツで開催されたアメフトのワールドカップにも、日本代表として出場したことがあるほど、凄腕の選手でした。

ちなみに名前が俊作なので、あだ名が「キムサク」だそうです。

木村俊作さんは、アメフト選手兼デザイナーで、2003年に渋谷に『SHUIP SYMPATHY』というお店をオープンしています。

既に結婚していて、お子さんもいるようですね。

以前は俊作さんも木村拓哉さんの近所に住んでおり、中目黒の豪邸にちょくちょく遊びに来ていました。

しかし、アメフト引退後に経営していたお店も閉店し、離れた場所に引っ越したそうです。

現在は“カレッジリング”の制作・卸業を経営しており、2019年にはランウェイショーイベントには、モデルとして出演しています。

木村拓哉さんとの交流はかなり減ったようで、なんだか寂しいですね。

木村拓哉は両親と絶縁中?父親は盆栽カフェを経営?画像

木村拓哉さんのの父・秀夫さんは、もともと「川島織物(現・川島織物セルコン)」につとめるサラリーマンでした。

京都を中心に、インテリア商品や内装材を製造している繊維会社で、木村拓哉さんが幼いころは転勤族だったそうですよ。

営業職として勤務していた秀夫さん。脱サラした1997年10月、当時木村拓哉さんの愛犬だったボニータから、名前をもらってイタリアンレストラン「ラ・ポニータ」をオープンさせます。

このとき、「川島インターナショナル」として、木村拓哉さんの写真集「木村拓哉」を独断で販売し、話題になっていました。

当時、かなりジャニーズ事務所と揉めたそうですよ・・・

東京都世田谷区砧に開業したお店は、夫婦で営んでいました。しかし、木村拓哉さんのファンが大勢つめかけてしまい、2005年に閉店となります。

1999年11月には、神奈川県川崎市宮前区鷺沼に2号店をオーブンし、2005年9月に薬膳レストラン「RISTORANTE いな田」にリニューアルオープンします。

地元のお客さんで賑わっていましたが、2009年に閉店しました。

木村拓哉さんはかなりの料理上手として知られていますが、両親も料理上手なのですね。

現在、秀夫さんは、東京都三鷹市で盆栽店を営んでいるそうです。

住宅街の一角にひっそりとたたずむそのお店「小品盆栽 季の風」は、秀夫さんの趣味であふれているようです。

三鷹市で開催された「小品盆栽を作りましょう」にも、講師として参加しています。

「住宅街に佇む雰囲気のあるお店があったので、こぢんまりとした庭の中に、これまた小さな盆栽が100種類以上あったかと思います。

奥でロマンスグレーの素敵な70歳ぐらいの紳士がいたのですが、女性スタッフから『店長』と呼ばれていたので、今思えば木村さんのお父さんだったのだと思います」
Business Journalより引用

木村拓哉さんの父・秀夫さんは、70歳前後くらいなのでしょうね。

木村拓哉さんの自宅にも、たくさんの植物が植えられているそうで、秀夫さんの影響を受けているのかもしれません。

秀夫さんは非常にしつけに厳しく、体育会系だったため、木村拓哉さんの芸能界入りは大反対でした。

木村拓哉さんの叔母が、勝手にジャニーズ事務所に写真を送ったことがきっかけだったんですけどね。

そんなご両親ですが、現在木村拓哉さんと絶縁状態だとか。

「父の秀夫さんと母の方子さんとは、お世辞にも良好な関係とは言えないようです。現在の秀夫さんは都内でカフェを営み、方子さんは都心のマンションを拠点に講演活動で全国を回る日々。方子さんが千葉県内の自宅に寄るのは年に数回、荷物を取りに来るだけの“別居”状態だったのです」
週刊女性PRIMEより引用

木村拓哉さんの千葉にある実家は、かつて木村拓哉さんが両親にプレゼントしたものでした。

最終的には秀夫さんと愛犬のボニータだけが住むようになり、方子さんは会社事務所兼自宅のマンションに住んでいたようです。

その実家も4、5年前に売り払われており、木村拓哉さんが1/2、両親が1/4ずつ権利を持っていたので、全員納得した上での売却だったようです。

木村拓哉さんは、もう帰る実家がなくなってしまったですね。

木村拓哉の母親は富山で農業?アムウェイの講演会を開催?画像

木村拓哉さんの母・方子さんは、以前夫の秀夫さんとレストランを経営していました。

現在は「ことのは語り」と題し、食の大切さや子育てについて、講演活動をおこなっているようです。

講演活動のかたわら、執筆活動もおこない、書籍も3冊出版しています。

《普通の生活も安定剤がないとできなくなる。夜は睡眠薬を飲まなければ眠れなくなる、というのが16年間続いたんです。でも、家族はそれを知らないと思います。私が言わないから。言えないで、自分でなんとかしようと……》
週刊女性PRIMEより引用

子育ての悩みなどから、体調不良だった時期もあたようですが、現在は仕事ができるほど回復しているみたいですね。

控えめで温和な性格だった母は、実家に訪れる記者たちにも、親切に対応していました。

そんな母・方子さんについては、「アムウェイ」にかかわっているという噂が浮上しています。

「アムウェイ」といえば、ディストリビューターを介し、さまざまな商品を販売している団体ですね。

「マルチ商法」「ネズミ講」といった、よくない噂も耳にします。

アムウェイがおこなっているのは、「連鎖販売取引」というもので、違法行為ではありません。

しかし、友人にしつこく勧誘したり、会員のマナーが問われるトラブルが多いようです。

木村拓哉さんは以前、週刊誌でアムウェイを愛用していることが報じられており、車の洗剤や愛犬のシャンプーも購入しているいたいです。

「マジでいいから」と、おすすめしているそうで、フォトエッセイ「解放区」も、アムウェイの本社ビルで撮影していたみたいですよ。

ただ、木村拓哉さんはアムウェイの商品を愛用しているだけであって、マルチ商法のような行為はしていません。

しかし、母の方子さんはというと、ディストリビューターのリーダーとして活動していると言われています。

アムウェイは紹介すればするほど報酬が増えるという制度なので、かなりの収入を得ているのでしょうか。

そのことと関連して、方子さんには「宗教」「スピリチュアル」という噂も絶えません。

方子さんは2011年、世界平和道場・道場主の佐藤昭二さんとともに、「一般社団法人 ふる里再生協会」を設立しています。

この協会は、全国の限界集落に若者を集め、農業を中心に町を再生させるという取り組みです。

抗議の中で方子さんは、「言霊」「魂のレベルをあげる」「生命エネルギー」といったスピリチュアルなワードを出しています。

「放射能には味噌が効く」といった発言からも、宗教にはまっているのでは?と言われています。

とはいえ、「〇〇教」などの新興宗教ではなく、精神論を語っているだけのようですね。

宗教団体とのつながりや、マルチビジネスの噂もあり、夫婦仲や親子仲もだんだん険悪になっていきます。

「当初は、主婦のスピリチュアル活動くらいに考えられていたのが、最近では安倍昭恵氏が参加するような大きな講演会にも出演するようになってしまった。活動規模が大きくなるにつれ、木村の幼少時代の話を求められる回数も増え、事務所は困っているようです。」
exciteニュースより引用

全国への講演活動がだんだん軌道に乗りはじめ、多忙がゆえのすれ違いも続き、両親は2019年に離婚してしまいます。

母と嫁の工藤静香は不仲?

また、母は木村拓哉さんの嫁・工藤静香さんと不仲説が取り上げられています。

木村拓哉さんと工藤静香さんは、2000年に突然授かり婚を発表し話題になっていました。

実は、木村拓哉さんは当時交際していた一般女性がいて、母と非常に仲良しだったそうです。

両親が経営していたイタリアレストランの仕事を手伝ったり、一緒にショッピングにいったりと、かなり良好な関係でした。

母親も木村拓哉さんとその女性に結婚してほしかったので、工藤静香さんとのと結婚に猛反対。

そこから、息子との関係に亀裂が生じてしまいました。

木村拓哉さんは中学時代、ジャニーズとして目立っていたことから、壮絶なイジメにあっていました。

そんな中、母の方子さんは毎日学校に送り迎えして、直談判もしてくれたそうです。

そんな優しい母と息子が、絶縁状態になってしまったなんて、とても悲しいですね。

まとめ

今回は、木村拓哉さんの両親について、紹介しました。

父は三鷹で盆栽店を営んでおり、母は農業と地域復興の講演活動をしているようですね。

工藤静香さんとの結婚をきっかけに、両親とは絶縁状態といわれており、特に母とは不仲のようです。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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