【画像】門脇麦の卒アルを確認!高校時代が暗黒だった?中学時代の夢はバレリーナ!

これまで多くの作品に出演し、その存在感と演技力で唯一無二の女優となった、門脇麦さん。

個性的で難しい役も演じ切ることができる、実力派の女優さんですよね。

そんな門脇麦さんですが、卒アル画像が気になっている方も多いと思います。

今回は、門脇麦さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

【画像】門脇麦の中学時代の卒アルを確認!

門脇麦さんは、桐朋女子中学校出身です。中学校の卒アル画像は無いですが、小学校の卒アル画像は公開されています。

すでに顔が整っていて、とっても可愛いですね!

棚橋女子中学校は私立の学校で、音楽科の名門なのですが、芸能活動を禁止されているそうです。

門脇麦さんは運動神経がよく、小学校が人生で一番のモテ期でした。その勢いで中学時代もいけるかと思いきや、女子校だったので、あまり友達とうまくやっていけなかったそうです。

門脇麦さんは、4歳からクラシックバレエを習っており、日本バレエ界の第一人者である、岸部光代さんに師事していました。

「プロには向いていない。」と言われて悔しかったので、股関節を柔らかくするために、座って足を壁に付けて、180度開いたまま寝たり、足を上げて柱につけたまま、読書をするなどしていました。

努力の甲斐あって、小学校6年生のときには、『ローザンヌ・ガラ』に、ダンサーとして出演していました。

しかし、中学2年生のときに、コンクールの選抜に選ばれなかったことがきっかけで、あきらめてしまったそうです。

プロのバレリーナを目指していましたが、レオタードやシューズなど、すべて捨ててしまい、髪もバッサリ切ったそうです。

【画像】門脇麦の高校時代の卒アルを確認!暗黒だったってホント?

門脇麦さんは中学校卒業後、都立の共学校・狛江高校(偏差値60)に進学しました。

卒アル画像を見てみると、とっても可愛いですね!門脇麦さんは高校時代の3年間を、「暗黒時代」と振り返っていましたが、とても可愛い笑顔です。

門脇麦さんは中高一貫校の棚橋中学校出身ですが、芸能活動が禁止されていたことから、狛江高校を選んだようです。

バレエを辞めてからは、やりたいことも見つからず、部活にも入らずに、暗い3年間を過ごしたそうです。

学校では女子のグループに馴染めず、完全に孤立し、日々悶々として、川沿いを走ることも多かったそうですよ。

高校時代、同級生と話してもすごく気を使われて疲れてしまい、休みの日や合間時間は、レンタルビデオ屋で、「あ行」から順番に借りたりして過ごしていたそうです。

そんな中、蒼井優さんと鈴木杏さん主演の、映画「花とアリス」を見たことがきっかけで、高校3年生から女優を目指すようになります。

女優になることを両親から猛反対されましたが、「舞台かミュージカルだったらいい」と言われたので、歌やボイストレーニング、ジャズダンス、ヒップホップダンスを習い始めます。

そして、芸能事務所に履歴書を送り、親には「家でニートになるか女優になるかの二択しかない」と宣言したそうです。

それまでは大学受験のために学習塾にも通っていましたが、思い切って全部辞めていたそうです。

門脇麦さんは、ニューヨーク生まれの帰国子女で、英語も話すことができる才女。

もし大学受験をしていたら、有名大学に合格していたでしょうね。

門脇麦さんは高校卒業後、芸能事務所に合格したので、大学へは進学していません。

最初は大学に行って、成人してから女優になろうと思っていたのですが、居ても立ってもいられず、親を説得したそうです。

門脇麦は学生時代バレリーナを目指していた?

門脇麦さんは、5歳までニューヨークで暮らしていたのですが、当時からクラシックバレエを習っていました。

中学2年生までの12年間、習い続けており、プロのバレリーナを目指していました。

日本に帰国後は、岸部光代さんが主宰の有名教室『岸辺バレエスタジオ』に通っていました。

岸部光代さんは、『チャイコフスキー記念東京バレエ楽団』『ベルギー王立ワロニーバレエ団』などを経験し、現在はNihonバレエ協会理事をつとめています。

伝統的なロシアバレエと近代的なヨーロッパバレエを指導することができる、日本でも有数のバレリーナです。

岸辺光代さんは、バレエ業界の第一人者とも言われており、日本のバレエ業界では知らない人がいないほどの、有名人です。

そのため、岸辺光代さんのバレエスタジオには、プロを目指しているバレリーナが多く集まっています。

門脇麦さんは、幼い頃仲良くなりたい友達が、バレエを習っていたことがきっかけで、バレエに興味を持ったそうです。

バレエをしていくうちに、だんだんいろいろな演技ができるようになり、達成感を感じるようになります。

小中学校はバレエ漬けの日々で、小学生のときは週5回、中学生のときは自宅でレッスン後に学校→放課後も22時過ぎまでレッスン、という日々を送っていました。

それだけハードな日々を過ごしていた門脇麦さんですが、中学2年生の時にコンクールの選抜に選ばれなかったため、実力不足を思い知ります。

そのときに、『自分はプロにはなれない』と悟り、バレエを辞めてしまったそうです。

バレエは生まれ持ってではないとできない素質もあり、その壁を超える気持ちで続けてきた、門脇麦さん。

あまり体も柔らかくなく、中学生のときには、週1回整体に行かないともたないほど、無理をしていたそうです。

もともと才能が無いことを感じていた門脇麦さんですが、この落選がきっかけで、バレエをやめてしまいます。

ほかのバレエ仲間たちが海外留学をしたり、コンクールに出場している姿をみて、自分だけ逃げたことが恥ずかしいと感じていたそうです。

そのため、バレエを辞める理由を探し、『劇団に入ります』と、嘘をついたこともあったそうです。

岸辺光代さんに、『プロには向いていない』と言われたのですが、実は門脇麦さんは高く評価されていました。

門脇麦さんが、番組の企画で岸辺光代さんに再会した際、『当時はまだ体が未完成で、温存するために選ばなかった。』と、真相を明かしていました。

もしそのまま努力を続けていれば、プロのバレリーナになっていたかもしれません。

そんな門脇麦さんは、バレエの経験を活かし、東京ガスのCMに出演しています。

夢をあきらめてしまったのですが、違う形でかなえていらっしゃるのですね。

まとめ

今回は、門脇麦さんの卒アル画像について、紹介しました。

門脇麦さんの卒アル画像を見てみると、とても可愛いですね。今の面影があり、すでに顔が完成しています。

以前はプロのバレリーナを目指しており、挫折してしまったようですが、かなりの実力だったようです。

これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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