上島竜兵の学歴は?出身高校は神戸村野工業高校!高校卒業後の進路は?

お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」で、ボケを担当していた上島竜兵さん。

熱湯風呂などのリアクション芸でもおなじみで、俳優としても数多くの作品に出演していましたよね。

そんな上島竜兵さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。

今回は、上島竜兵さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

上島竜兵の学歴を調査!出身中学は鈴蘭台中学校?

キレ芸やキス芸など、さまざまなリアクション芸でお馴染みの上島竜兵さん。

標準語を話すので、東京出身の芸人さんのイメージがあると思いますが、兵庫県出身なんですね。

うまれは丹波市で、育ちは神戸市のようです。

上島竜兵さんは神戸市立鈴蘭台中学校出身で、このエリアは自然豊かな街のようです。

有馬温泉にも近く、観光地としても知られています。

小学校は神戸市立多聞台小学校出身だったので、鈴蘭台中学校から20kmほど離れていますから、このころ引っ越しをしているのでしょう。

幼少期の上島竜兵さんは、勉強が大の苦手だったので、「作文を書きなさい」と言われ、その意味がわからない程だったそうです。

また、小学生のときは人気者だったのですが、中学時代はいじめっられっ子だたそうで、よく弟さんに助けてもらっていました。

中学時代は、好きな女の子が「結婚するなら医者がいい」と言っていたので、父親が医者だと嘘をついたこともあるそうですよ。

上島竜兵の出身高校は神戸村野工業高校?

上島竜兵さんは中学校卒業後、神戸村野工業高等学校に進学しました。

この高校は神戸にある私立男子校で、神戸市内では唯一の工業高校という伝統ある学校です。

硬式野球部が強豪だそうで、プロ野球選手を多く輩出しています。

この高校には、機械電子、情報技術、電気、機械、普通科とあり、偏差値は40~42です。

上島竜兵さんの入った学科は不明ですが、部活には入っていなかったようですね。

当時はヤンキーが多い学校だったそうですが、現在はそのようなことはないみたいです。

上島竜兵さんは高校時代、アメリカの俳優であるスティーブ・マックイーンさんに憧れ、俳優を志しました。

そして、ラーメン店や喫茶店でアルバイトしてお金をためて、上京することを夢見ていました。

俳優になるため体を鍛えるべく、近所の公園で縄跳びや腹筋をしていたそうです。

上島竜兵の高校卒業後の進路は?俳優を目指して上京した?

上島竜兵さんは高校卒業後、上京して劇団青年座の養成所に入所しました。

しかし、母親がガンを発症して倒れてしまい、一旦養成所を辞めて、実家に戻ります。

その後、再び上京資金を貯めて、オーディションを受け続け、テアトル・エコー俳優養成所に入所しました。

このときに、寺門ジモンさんに出会います。

寺門ジモンさんとともに、渡辺正行さんに会いに行ったことで、お笑い芸人に転向しました。

その後肥後亮宏さんと出会い、24歳のときにダチョウ倶楽部を結成しました。

ダチョウ倶楽部は当初、上島竜兵さんと寺門ジモンさん、肥後克広さんに加え、電撃ネットワークの南部虎弾さんがいました。

しかし、方向性の違いから、南部さんが1987年に脱退し、トリオになったそうです。

ダチョウ倶楽部は1980年代後半からテレビ出演が増え、「お笑いウルトラクイズ」で人気が急上昇しました。

ソロでの活動も目覚ましく、1992年にドラマ「逃亡者」で俳優デビューを果たし、さまざまな作品に出演するようになりました。

自伝&写真集「これが俺の芸風だ!!」を発刊したり、本格的な舞台にも挑戦していたようですね。

上島竜兵さんは先輩後輩分け隔てなく、人望に厚いことでも知られており、中でも「竜兵会」のメンバーは有名ですよね。

そんな上島竜兵さんは、関西出身なのですが、関西弁を使わずに標準語で話していますよね。

肥後克広さんが上島竜兵さんに出会ったころに、すでに関西弁ではなかったそうです。

ひと昔前はテレビで関西弁を話すことに良い印象がなかったので、矯正して標準語を習得したそうです。

また、志村けんさんら東京出身の芸人にお世話になったことおあり、関西弁を使っては失礼と考えていたそうですよ。

謙虚で誰に対しても気を遣う、上島竜兵さんの人柄がうかがえますね。

まとめ

今回は、上島竜兵さんの学歴について、紹介しました。

高校までは神戸の学校に進学し、卒業後は上京してお笑い芸人への道を歩むことになりました。

もともと俳優志望だったので、養成所に入所したものの、寺門ジモンさんと出会ったことで、運命が変わったのですね。

最後まで御覧いただきありがとうございました。

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