上島竜兵は丹波市出身なのに標準語なのはなぜ?実家は神戸!家族・兄弟構成は?

お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」で、ボケ担当の上島竜兵さん。

リアクション芸やキレ芸、「くるりんぱ」「聞いてないよォ」など、数々のギャグで有名ですよね。

そんな上島竜兵さんですが、神戸出身なのに関西弁を話さないのはなぜ?と話題になっているようなんです。

今回は、上島竜兵さんの出身地や家族構成について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

上島竜兵の家族・兄弟構成を調査!弟がいる?

上島竜兵さんは、両親と弟の4人家族で育ちました。

弟さんは2歳年下で、今となっては上島家で残っているのは、弟さんだけのようです。

現在59歳と、まもなく還暦を迎える弟さん。一般人のため、現在の仕事などは公開されていませんでした。

上島竜兵さんは、父親が映画が好きだったこともり、俳優に興味を持つようになりました。

そのため、弟も芸能関係に興味を持ち、エンタメのお仕事をしている可能性がありますね。

上島竜兵さんの母親がガンで倒れた際は、大学を休学し、仕事をしてお金をいれてくれたという、心温まるエピソードもありました。

上島竜兵の両親はどんな人?

上島竜兵さんの父親は、エアコンや給湯器を設置する会社を経営していました。

もともと、普通のサラリーマンとして、住宅設備メーカー「ノーリツ」で働いていたそうですよ。

父はとてもだらしない性格だったそうで、酒グセも悪く、女性関係もだらしなかったため、母はとても苦労していたようです。

ノーリツを辞めてから起業したお父さんですが、事業に失敗して自己破産してしまいました。

それがきっかけに、両親と弟が神戸から千葉県市川市に引っ越します。

そのときすでに上島竜兵さんは、東京で一人暮らしをしていたのですが、家族と再び住むようになりました。

上島竜兵さんが小学生のころは、勉強が出来なかったので、お母さんがよく学校に足を運んでいたとか。

上島竜兵さんが青年座の研究生に受かってまもないころ、直腸ガンで倒れてしまったお母さん。

上島竜兵さんは青年座を辞めて、実家に戻り、それから1年後にお母さんは退院しました。

そして、お父さんが自己破産してしまったことから、結婚式場の掃除の仕事を始めたそうです。

その後お母さんは回復したのですが、父親が倒産したことで、母親も結婚式場の掃除の仕事をするようになりました。

両親は一般人なので、現在の様子は不明ですが、すでに他界している可能性が高いです。

上島竜兵の実家は神戸で出身は兵庫県丹波市なのに関西弁じゃなくて標準語なのはなぜ?

上島竜兵さんは、兵庫県神戸市出身です。うまれは丹波市なのですが、育ちは神戸市内で、垂水区や北区を転々としてました。

幼少期から実家の引っ越しが多く、ざっくりまとめると以下の通りです。

  • 1961年:兵庫県丹波市春日町で誕生する
  • 1963年:神戸市兵庫区鵯越へ移住
  • 1965年:神戸市垂水区多聞台へ移住
  • 1971年:神戸市北区鈴蘭台へ移住
  • 1976年:神戸市北区大池へ移住
  • 1980年:上京し一人暮らしになる

上島竜兵さんが誕生した兵庫市丹波市春日町は、兵庫県の中でもかなりの山奥です。

京都府福知山市と、県境になっている場所のようですね。

2,3歳で神戸市兵庫区鵯越(ひよどりごえ)の文化住宅に引っ越し、当時は団地内の公園の水飲み場で水浴びをして遊んでいたそうです。

親戚が営んでいる銭湯に通っていたということで、実家にはお風呂はなかったのですね。

トイレは汲み取り式で壁も土壁だった。六畳と四畳半の部屋が縦に並び、三畳くらいの台所が付いた、よくあった文化住宅の間取りです。海の近くでもないのに、お袋が大量のシャコを塩茹でにしてくれて。それを2つ下の弟とむしゃむしゃと食べていたのをよく覚えています。
文春オンラインより引用

このような生活環境からも、暮らしは決して裕福ではなかったようですね。

そして、4歳で神戸市垂水区多聞台の団地に引っ越しています。

最初の部屋は2DKだったのですが、次の部屋は3DKということで、当時の典型的な団地だったそうです。

上島竜兵さん一家は、抽選で広い部屋に当たる度に引っ越していたそうですよ。

そして、10歳で神戸市北区鈴蘭台の団地に引っ越し、中学3年生までそこで生活することになりました。

当時は裕福ではなかったので、カレーライスの具がちくわだけだったり、父のお古のズボンを切って、半ズボンにして履いていたそうですよ。

学生時代はあまり勉強が得意ではなかった上島竜兵さん。

お母さんが心配して、弟を抱きながら様子を見に来ていたそうです。

その一方で、明るくクラスの人気者だった上島竜兵さんは、友人からチヤホヤされたいため、お父さんのシャーペンをあげたりしていたそうです。

上島竜兵さんのコミュニケーション能力は、当時から高かったのですね。

中学生のときは、日曜に三宮や元町の映画館に足を運んでいたそうです。お金がないので、名画座で300円3本立てを観るのが定番だったとか。

15歳で神戸市北区大池の一戸建てに引っ越し、念願の一人部屋をゲットします。

当時は中古住宅だったそうですが、広い庭にトイレ付きのプレハブがあったそうです。

同じ神戸市内でも、かなり引っ越しをしていることがわかります。

そして、19歳で役者を志し、上京することになります。

上島竜兵さんは、標準語を話すので、関西出身というイメージがないですよね。

実はダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんも、京都出身なので、関西人なんですよね。

肥後克広さんが上島竜兵さんに出会ったことから、すでに上島竜兵さんは関西弁ではなかったそうです。

実は、ひと昔前はテレビで関西弁を話すことに、良い印象がなかったので、標準語を訓練したそうです。

また、お世話になったビートたけしさんや志村けんさんは東京出身で、標準語を話しており、東京の芸人としてデビューしたため、関西弁を使うのは失礼と思ったそうです。

関西弁を封印し、東京の芸人に徹したのは、すごいことですよね。

まとめ

今回は、上島竜兵さんの出身地や家族構成について、紹介しました。

両親と弟の4人家族だった上島竜兵さん。出身地は神戸ですが、何回も引っ越しをされていたのですね。

東京の芸人としてデビューしたので、関西弁を封印し、標準語を話すようになったみたいですね。

最後まで御覧いただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です