永山絢斗の家族構成を確認!父親は病気で死亡?瑛太との兄弟仲も確認

演技派俳優として人気の永山絢斗さん。兄の永山瑛太さんとともに、実力派の俳優として知られていますね。
さまざまな映画やドラマに出演して大忙しの永山絢斗さんですが、その家族構成が気になる人も多いと思います。
今回は、永山絢斗さんの家族構成について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

永山絢斗の家族構成を確認!

永山絢斗さんは、両親と2人の兄の5人家族のもと、生まれ育ちました。男3兄弟の末っ子だったのですね!
両親は離婚しているそうで、父はシングルファザーとして3兄弟を育て上げました。
両親が離婚したので、母親とは離れて生活していましたが、永山絢斗さんらはメールなどで交流していたそうです。
はっきりとした離婚時期はわかりませんが、永山瑛太さんが高校卒業後に離婚しているようです。
離婚の理由については不明ですが、母親は父親が亡くなったときに葬儀に参列していたそうで、険悪な関係ではなかったのだと思います。
ちなみに、兄の永山瑛太さんは新潟市で生まれているそうで、それからすぐに東京都に転居しています。
父は鹿児島県出身ですから、母が新潟県出身だったのかもしれませんね。

永山絢斗の両親はどんな人?父親は病気との噂も!画像

2011年2月16日、永山絢斗さんら3兄弟の父・永山博文さんが、自宅で首つり自殺をしていたと報道されます。
博文さんは享年55歳とまだ若かったので、早すぎる死でしたね・・・
永山瑛太さんや妻の木村カエラさんらも、葬儀に参列していたそうです。
永山博文さんは、板橋区内の地下鉄三田線西台駅高架下にて、焼肉店「炭火焼肉ホルモン 瑛斗弥(エドヤ)」を経営していました。
この店名は3人の息子の名前から名付けたそうで、地元で人気の繁盛店でした。
しかし、永山博文さんは頸椎のヘルニアによって体調不良になってしまい、だんだん経営がうまくいかなくなってしまいます。
3兄弟に迷惑をかけることを苦に、自殺を選んだと噂されていました。
「安くて鮮度バツグン」「一皿300円。低価格でもしっかりしたホルモン」「目の前の七輪で焼くスタイル」「壺漬けハラミが特に気に入った」「タレは3種。胡麻油、辛味噌、抹茶塩。色々味の変化を楽しめるからいいね」…。好意的な書き込みばかりで、1時間かけて来店する客もいるほど。「待たされる」「(都心からは)行きづらい」という声も人気の裏返しだった。
Yahooニュースより引用
頸椎のヘルニアで手術を受けたのですが、術後の経過がよくなく、不眠症気味だったそうです。
お店の評判は良かったのですが、板橋は商店街の密集地で、飲食店の競争が激しいそうです。
個人商店は“安くて良いもの”を出すため、かなりの努力が必要だとか。永山絢斗さんら息子たちに迷惑をかけたくなかったのでは?と言われていました。
庶民的な住宅街の中にモダンな内装で、女性のお客さんも多く、経営が行き詰っているようには見えませんでしたが・・・
お客さんも永山絢斗さんらを知っていましたが、その知名度に頼るような店ではありませんでした。
お店は2009年にオープンしており、大手グルメサイトにも高評価の口コミも多数寄せられていました。
永山絢斗さんらの金銭的な援助もあったようですが、一度傾いた経営は順調とはいえませんでした。
父の訃報を受けた際は、永山瑛太さんは地方ロケに行っていたのですが、急きょ帰京します。
永山絢斗さんも日本アカデミー賞の授賞式の最中でしたが、途中退席することとなります。
息子たちの晴れ舞台の日に、なぜ命を落とさなければいけなかったのでしょうか・・・
関係者によると、瑛太さんはお父さんが亡くなった時は地方で。あと1週間ほど滞在する予定だったのでしたが撮影をいったん中断し帰京しました。憔悴しきった様子で遺体が安置されている都内の斎場に向かい、変わり果てた父親と対面しました。「今晩は一晩、お父さんについていたい」と話していたそうです。」自分が近くに居れば…と後悔なさったかと思います。
週刊文春より引用
博文さんの遺書には、「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」とだけ書かれていたそうです。
最終的には、永山絢斗さんら三兄弟が共同喪主を務めるという、家族葬になりました。
博文さんは離婚していたので、喪主は長男がやるのが一般的ですが、博文さんは長男の竜弥さんと仲が悪かったそうです。
過去に何かあって、竜弥さんはメンタル面の病気になったという噂もありました。博文さんは、竜弥さんの将来について悩んでいた可能性もありますね。
脚光を浴びる中で、突然の不幸に見舞われてしまった永山絢斗さん。父親に現在の活躍を見せたかったでしょうね・・・

永山絢斗と永山瑛太は兄弟?兄弟仲も確認!

永山絢斗さんはバラエティ番組『A‐Studio』に出演した際、兄弟エピソードを明かしていまいた。
永山絢斗さんがドラマ『初めて恋に落ちた日に読む話』に出演した際、改めて永山瑛太さんの弟であることと認識した人も多かったそうです。
3人兄弟の末っ子で、永山瑛太さんとは6歳も年が離れています。永山絢斗さんについて瑛太さんは、「かわいくてしょうがない」と発言していたので、かなり仲良しみたいですね。
永山絢斗さんいわく、幼いころは兄2人におもちゃみたいにされていたそうで、その仕返しに、ゲームのセーブデータを消したりと、やんちゃなエピソードを披露していました。
実は永山家長男の竜弥さんも、俳優としてデビューしています。
2003年に短編映画「ナオと僕」でデビューし、モデル業もしていました。現在は俳優ではなく、モデルクリエイターをしているそうです。
永山竜弥さんは、永山瑛太さんほど知名度はありませんが、弟の永山絢斗さんらの活躍もあり、触発されたかもしれませんね。
永山絢斗さんは2007年放送のドラマ『おじいさん先生』で俳優デビューしていますが、兄たちの影響が大きかったそうですよ。
最初は永山瑛太さんの弟として話題になりましたが、その後、『藁の楯』『クローズEXPLODE』『おひさま』『べっぴんさん』などの演技で注目を集めます。
そして、大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』に出演した際も、その演技力が評価されていましたね。
”愛すべきヘタレ役”なんて異名をもつほど、地位を不動のものにしているようです。
もともとはプロサッカー選手を目指していましたが、高校で劣等生となり、将来の目標も何もなくフラフラとしていました。
そんなとき、兄の瑛太さんにプロデューサーを紹介され、俳優を志すことになりました。
そのときのプロデューサーから、「高校も卒業できないやつはこの世界ではやっていけない」と言われ、永山絢斗さんは真面目に高校に通うようになったそうです。
永山瑛太さんと永山絢斗さんは、今でもとても仲が良いようで、しょっちゅう兄弟で飲みに行くそうですよ。

まとめ

今回は、永山絢斗さんの家族構成について、紹介しました。
両親と長男、次男、永山絢斗さんの5人家族で、両親はすでに離婚し、父はこの世を去っていました。
3兄弟は全員俳優となっており、いまでも兄弟仲は良好のようです。
今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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