ロックバンド「X JAPAN」のリーダーで、ドラマーのYOSHIKIさん。
現在はロサンゼルスと日本を行き来し、シンガーソングライターや音楽プロデューサーなど、幅広く活躍しています。
そんなYOSHIKIさんですが、実家や生い立ちが気になっている方も多いと思います。
今回は、YOSHIKIさんの実家や生い立ちについて、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
YOSHIKIの実家が金持ちなのは呉服店だったから?育ちがいいのは家柄のせい?
YOSHIKさんは実家が大変裕福で、両親が忙しかったこともあり、家には家政婦がいたそうです。
YOSHIKIさんの父親は、呉服屋の2代目で、祖父が開業したあとに店を切り盛りしていました。
もともとタップダンサーとして活動し、ジャズやピアノといった音楽家だった父ですが、呉服屋のあとを継ぎました。
地元でも有名な呉服屋だったそうで、YOSHIKIさんもそのことが影響し、自身の着物ブランド「YOSHIKIMONO」を設立しています。
YOSHIKIの出身地は千葉県館山市?
YOSHIKIさんの実家は、千葉県館山市です。
デビュー時から出身地は公表していなかったのですが、2019年に房総半島に影響をもたらした「令和元年房総半島台風(台風15号)」を受けて、館山市出身であることを初めて公表しています。
現在は呉服屋をたたんでおり、実家もシャッターが閉まっていて、誰も住んでいないようです。
格子が打ち付けてあるということで、YOSHIKIさんも実家に帰ってくることはないでしょう。
現在、YOSHIKIさんはロスのビバリーヒルズに自宅があり、母親は福岡の門司港に住んでいたようです。
ただ、実家の住所は判明しており、千葉県館山市北条1548-8ということです。
YOSHIKIさんが、インディーズ時代に設立したレコード会社「株式会社エクスタシーレコード」が、実家の住所になっているようですね。
このレコード会社から、XJAPANの1stアルバム「Vanishing Vision」が発表され、その後もLUNA SEAやGLAYがデビューしています。
しかし、ここに住んでいるわけではなく、会社の登記場所として使っているだけでしょう。
呉服屋の閉店後、称号を変更し、株式会社エクスタシーレコードにしたようです。
誰も住んでいない実家を残しているのは、家族との思い出や、会社の登記として活用していたわけですね。
YOSHIKIの生い立ちや子供時代を確認!画像
YOSHIKIさんは、千葉県館山市にある呉服屋の長男として誕生しました。
父親は派手な性格で、キャデラックを乗り回し、プロのタップダンサー、ジャズピアノ奏者でもありました。地元では有名人だったようですね。
幼少期のYOSHIKIさんは病弱で、小児喘息に悩まされていました。発作が出ると、入退院を繰り返していたようです。
そんなYOSHIKIさんを見て、母は「大人になれないんじゃないか」と、心配していました。
小学生になっても、小児喘息は良くならず、入退院を繰り返していたそうです。
父は何度もYOSHIKIさんのお見舞いに来て、その度に伝記を渡してきました。
YOSHIKIさんは何度も伝記を読んで、入退院生活をすごしていました。そして、特にベートーヴェンの一生は、YOSHIKIさんに大きな影響を与えたそうです。
TOSHIとの出会いと音楽への目覚め
YOSHIKIさんは幼稚園時代に、人生最大のパートナーである、TOSHIさんに出会います。
幼馴染のTOSHIさんとは、幼稚園のすみれ組で一緒で、ファンの間では2人を「すみれ組」と表現しているそうですよ。
5歳で出会った2人は、現在50年以上の関係になるようですね。
YOSHIKIさんは4歳でピアノを弾きたいと思ったのですが、当時はとても高価な楽器だったので、一般家庭では手が出ませんでした。
しかし、父親はYOSHIKIさんが喜ぶのならと、ピアノやクラシックのレコードも買ってくれたのです。
YOSHIKIさんは当時のことを、「毎日がクリスマスのようだった」と振り返っています。
常に音楽に触れる環境だっため、YOSHIKIさんは音楽の才能を開化させ、ピアノの腕前をあげていきました。
将来の夢は、ピアニストになることだったそうですよ。
毎年、誕生日には楽器をプレゼントされ、トランペットやギターなど、ありとあらゆる楽器が実家にあったそうです。
YOSHIKIさんの実家は音楽一家で、母親も三味線、叔母は琴をしていたそうですよ。
YOSHIKIさんの父親は喧嘩っ早く、負けず嫌いな性格でしたが、YOSHIKIさんのことを溺愛していたそうですよ。
父との別れ
YOSHIKIさんが小学5年生のときに、父が亡くなっています。
学校から帰ると、親族たちが父親を囲んで泣いていたそうです。
子供ながらに、「あ、死んだんだ」と思ったYOSHIKIさんですが、親族は「お父さんは病気で寝てるから起きられない」と、優しいうそをついたそうです。
しかしYOSHIKIさんは敏感だったので、その大人の優しい嘘が許せなかったといいます。
父親の死がきっかけで、「なぜ僕は生きていて、父は死んでいるのか?」と、考えるようになります。
父親は34歳の若さだったそうで、YOSHIKIさんは大人になって酔っ払うと、「おれは34歳で死ぬ」と叫んでいたそうです。
YOSHIKIさんは父が病気で亡くなったと思っていたのですが、のちに自殺だったことを知り、衝撃を受けます。
さらに「なぜ死んだのか?」と自問自答を繰り返し、怒りや、悲しみ、苦しみを抱えてしまいます。
破壊や破滅の美学は、このころから根付いていたようです。
ロックとの出会い
ずっとピアノやクラシック一筋だったYOSHIKIさんですが、ロックバンドの「KISS」に出会います。
行きつけのレコード店へいくと、KISSの名曲「LOVE GUN」を発見し、興味本位で購入したところ、音楽を聴いて衝撃を受けます。
その後、母親に頼んで、KISSの日本武道館公演を見に行ったYOSHIKIさん。
ロックに目覚め、ドラムセットを買ってもらい、ドラムにのめりこみます。
そして、幼馴染のTOSHIさんと「DYNAMITE」を結成します。周りでロックの話が通じたのが、TOSHIさんだけだったそうです。
TOSHIさんはギターを担当し、YOSHIKIさんがドラムといった、小学生バンドが結成されました。
ロックに憧れていたYOSHIKIさんは、中学生になると髪を伸ばし始めます。
しかし、校則違反でバリカンで刈られてしまい、「かわいい宇宙人」とバカにされてしまいます。
悔しかったYOSHIKIさんは、「先生の言いなりにならない」と反抗するようになり、学校一の不良と言われるようになりました。
ケンカに明け暮れる日々でしたが、成績は常にトップで、音楽も才能も開化させています。
TOSHIさんと一緒に、ブラスバンド部に入部し、トランペットを担当します。
ギターだったTOSHIさんがボーカルに転向し、YOSHIKIさんがドラムといった、不動のメンバーが決まっていきました。
これがのちのX JAPANとなっていくのですね。
まとめ
今回は、YOSHIKIさんの実家や生い立ちについて、紹介しました。
実家は千葉県館山市にある呉服屋で、YOSHIKIさんは裕福な家庭に育ちました。
音楽一家で育ったYOHIKIさんは、幼少期から音楽の才能を開花させ、幼馴染のTOSHIさんと小学生バンドを結成しています。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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