久保建英の学歴を調査!出身高校は和光高校?卒業後はあのレアル・マドリード!

久保建英選手といえば、幼いころからスペインリーグで活躍し、サッカー日本代表としても活躍していますね。

昔から日本とスペインを行き来していた久保建英選手ですが、どのような学生時代をすごしてきたのでしょうか。

今回は、久保建英さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

久保建英の学歴を調査!出身中学はどこ?

久保建英選手の学歴を、順番に見ていきましょう。

久保建英の幼稚園

神奈川県川崎市出身の久保建英選手は3歳~6歳まで、川崎市の風の谷幼稚園に通っていたようです。

園長先生は久保建英選手について、「芯が強い。意思の強さと耐える力をもっている」と、メンタルの強さを感じていたそうです。

3歳からサッカーを始めた久保建英選手は、幼稚園入園前に「坂浜サッカークラブ」に通っており、その後「百合ヶ丘子供サッカークラブ」に入っています。

「坂浜サッカークラブ」は、父の建史さんがコーチをつとめていたそうで、その影響でサッカーを始めたそうです。

建史さんは毎朝、出勤前に久保建英選手と、ボール遊びをしていたそうですよ。

また、外で遊ぶときには足の感覚を養うため、裸足で遊ばせていたみたいです。

久保建英の小学校

久保建英選手は、神奈川県川崎市にある「川崎市立西生田小学校」に入学しました。

2009年には、日本国内で開催された「FCバルセロナ」のキャンプに参加し、ここでMVPに選ばれた選手は、バルセロナと試合が出来るチャンスが与えられました。

そこで、久保建英選手は見事MVPを獲得し、ベルギーで開催された大会に出場したのです。

チーム自体は3位という結果だったのですが、優勝チームから選出されるはずのMVPを差し置いて、異例の抜擢だったのです。

その後、小学校3年生で川崎フロンターレの下部組織に入団します。

この組織は小学校6年生までを対象としており、入団初日で明らかにほかの選手と別格で、大物になる雰囲気を醸し出していたそうです。

小学4年生になると、普通はクラブのユースチームは同学年で練習をするのですが、久保建英選手がズバ抜けていたため、小学6年生のチームに入ります。

そして翌年には、FCバルセロナの下部組織「カンテラ」の入団テストに合格します。

母親と弟と、バルセロナに移住し、アレビン(11~12歳年代)のAチームで、リーグ優勝に貢献しています。

このとき小学校は、バルセロナ市内の私立小学校に転校したようですね。

久保建英の中学校

久保建英選手の中学校は、神奈川県川崎市にある「川崎市立西生田中学校」です。

バルセロナの私立小学校を卒業した後、久保建英選手はバルセロナの私立中学に入学しています。

中学2年生に進級するタイミングで、日本にいったん帰国し、地元の川崎市立西生田中学校に転校したようですね。

2020年中学時代の担任が取材に応じたのですが、久保建英選手の印象について、「運動神経がズバ抜けており、何をしても凄い」とし、特別扱いを嫌がったので、普通の生徒として扱っていたそうですよ。

また、サッカーの遠征で学校を休む日が多かったのですが、登校したときは必ず休み時間にサッカーボールを蹴り合って遊んでいたそうですよ。

コミュニケーション能力が高く、常に友達の輪の中心にいる存在だったそうです。

人柄が良く、みんなが慕い、学校が楽しいという生徒がたくさんいたといいます。

久保建英選手は中学時代、スペインのバレンシアCFの下部組織「インファンティルA」で過ごし、帰国後はFC東京の下部組織に入団しています。

インファンティルは、クラブの18歳未満選手の規定違反に該当し、公式戦に出場できなくなったので、やむなく帰国します。

中学3年生のときには、15歳5カ月1日という、Jリーグ最年少出場の記録を作りました。

そして翌年4月には、15歳10カ月11日という、史上最年少ゴール記録を打ち立てます。

なんと飛び級でFC東京U-18に昇格し、日本クラブユースサッカー選手権では5得点を挙げ、大会史上初の中学生で得点王に輝きました。

また、2016年にはU-16日本代表、そしてU-19日本代表にも選出しました。

久保建英の出身高校は和光高校?偏差値は?

久保建英選手は和光高校に進学したのち、茨城県高萩市にある第一学院高校の通信制を卒業しています。

第一学院高校はかつて、「ウィザス高校」という名前で、香川真司さんや酒井宏樹さん、柿谷曜一朗さんら、多くのサッカー選手を輩出しています。

久保建英選手は和光高校時代、既にプロサッカー選手として活躍しており、日本代表に招集されることも多く、通学が困難になったようです。

中学生にしてU-19の日本代表に選ばれるほどですし、高校1年生でFC東京のトップチームに所属していますから、サッカーと両立しやすい環境を選んだのでしょうね。

久保建英の高校卒業後の進路はレアル・マドリード?

J1リーグデビュー後は、横浜F・マリノスへ期限付き移籍をし、FC東京への復帰を経て、2019年6月14日にはスペインのレアル・マドリードへ移籍します。

日本代表としては、2019年5月23日にキリンチャレンジカップに初選出し、史上初の21世紀生まれA代表として、大きな話題になりました。

そんな多忙な日々を送っていたので、久保建英選手は大学には進学しませんでした。

久保建英選手はサッカー強豪国のスペインでプレーしていますし、日本代表としても欠かせない存在です。

かつて在籍していたバルセロナの宿敵、レアル・マドリードへ完全移籍をし、世界最高峰のクラブでプレーしているわけです。

さすがの久保建英選手も、なかなか出場機会がなく、育成のためにマジョルカへ期限付き移籍をしていました。

その後はビジャレアルやヘタフェなどを経て、現在はラ・リーガ・レアル・ソシエダに所属しています。

2021年には東京2020オリンピックU-24日本代表に選ばれ、キリンチャレンジカップでA代表初ゴールを決めたりと、その活躍はすさまじいものがあります。

まとめ

今回は、久保建英さんの学歴について、紹介しました。

幼稚園のころからサッカー少年として活躍し、小学生でスペインに渡るといった、サッカー一色の人生だったようです。

スペインと日本の学校を行き来していたようですが、どちらもしっかり卒業しているのですね。

これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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