【画像】竹内涼真の中学・高校の卒アルを確認!高校時代の部活はサッカー部?

俳優として大活躍中の竹内涼真さん。

学生時代はプロのサッカー選手を目指していたそうですが、怪我が原因でプロを断念しています。

そんな竹内涼真さんの、卒アル画像は公開されているのでしょうか?

今回は、竹内涼真さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

【画像】竹内涼真の中学時代の卒アルを確認!

町田市立山崎中学校出身の竹内涼真さんですが、中学時代の卒アル画像は公開されていませんでした。

竹内涼真さんは学生時代、サッカーに打ち込むスポーツ少年でした。

Jリーグの東京ヴェルディジュニアユースチームに所属し、本気でプロを目指していたそうです。

当時はDFのポジションを担当していました。

当時はいかにもスポーツ少年という感じの短髪ヘアで、サッカー一筋なのがうかがえますね。

中学時代の写真をみると、今の面影がありますね。まだ幼さはありますが、顔だちはずっと変わっていないと思います。

中学に進学するころには、女子生徒にかなりモテていたようです。

サッカー一筋で男子としか話したことが無かった竹内涼真さんは、クラスではお調子者として人気者だったそうですよ。

そのため、急にモテてもどうしていいか分からず、彼女ができても1、2カ月しか続かなかったそうです。

彼女というよりかは、友達の延長戦くらいの感覚だったのかもしれませんね。

一見サッカー部でチャラく見えるものの、実はウブで女子に免疫がない、というギャップがモテていたみたいですね。

【画像】竹内涼真の高校時代の卒アルを確認!

中学卒業後、竹内涼真さんは日出高等学校に進学しました。

高校時代の写真はいくつかあるものの、卒アル画像は残念ながら公開されていないようです。

日出高等学校は芸能コースが有名ですが、竹内涼真さんはサッカーを続けるためスポーツコースに進学しています。

高校でも、サッカー漬けの日々を送っていた竹内涼真さん。

引き続きクラブチームで活躍していましたが、Jリーグで活躍するような選手に囲まれていたため、だんだん自信を無くしていきます。

放課後はヴェルディの練習、終わったら自主練や怪我の治療をする、という日々が続き、かなりハードな高校生活だったようです。

そのためか、勉強はあまり得意ではなかったそうですよ。

竹内涼真の学生時代の部活はサッカー部?プロを目指していた?

竹内涼真さんは幼少期、病気がちだったため、叔父に勧められてサッカーを始めます。

5歳のときにヴェルディサッカースク―ル相模原ジュニアコースに入り、サッカー漬けの日々が始まりました。

そのため、中学高校は部活に所属せず、クラブチームでサッカーをしていたようですね。

小学4年生でヴェルディサッカースク―ル相模原に通いはじめ、毎日サッカーの練習して、土日は試合に出るという日々でした。

両親は試合をカメラで撮影して、自宅で竹内涼真さんと一緒に反省会をしていたそうです。

小学生の頃は地元で有名なスター選手だった竹内涼真さんは、優秀選手を何度も受賞しています。

東京ヴェルディジュニアユースはかなりレベルが高く、その中でも竹内涼真さんはキャプテンを務めています。

竹内涼真さんは中学時代が、サッカー人生の中で一番楽しかった、と話していました。

ジュニアユースに入るには、公式戦などでスカウトされる必要があります。

小学生時代から強豪チームに所属し、全国大会で活躍していないと、なかなかされることはありません。

ほかにも、J下部主体のスクール・アカデミークラスでスカウトされる方法もあります。竹内涼真さんは、これに当てはまるようですね。

竹内涼真さんは、中学時代の恩師・土持監督から推薦され、ヴェルディユースに所属したそうです。

ヴェルディユースは推薦だけではなく、選抜試験セレクションをクリアしないと入れませんから、それだけ竹内涼真さんは実力があったのですね。

土持監督は竹内涼真さんについて、「日の丸を付けられる才能があった」と話していました。

そして、高校3年間も、ますますサッカー一色になります。

竹内涼真さんもプロのサッカー選手になろうと考えていましたが、当時のチームは歴代最強のレベルだったとか。

「日本クラブユース選手権」で2連覇をしたり、将来有望な選手がゴロゴロいたのです。

「試合は全く出てない。全然ダメダメで。その時はネガティブだったんですよ。プロになる人は普段からポジティブ。僕はネガティブで、失敗したら考えちゃうし、ケガも多かったし、そこに気づけなかったので高校3年間は良くない3年間だった。もう無理かな、と思うのが先だった」
日刊ゲンダイより引用

だんだんサッカーから逃げるようになり、何度もやめようと考えるようになりました。

しかし、当時のチームキャプテンが、『チームに必要だ』と説得してくれたそうですよ。

それからは気持ちを切り替え、チームを盛り上げるようになりました。

その後、竹内涼真さんは大学でもサッカーを続けましたが、20歳の時に大けがをして、プロサッカー選手になる夢を断念します。

怪我をすると練習を休まざるを得ないですから、その間に周りに追いこさえていくことに、耐えられなかったようです。

怪我をきっかけにサッカーの道を閉ざされた竹内涼真さんは、『ヒーローになりたい』とふと思ったそうです。

そして、女性ファッション誌『mina』モデルのオーディションを受け、見事グランプリを獲得しました。

まとめ

今回は、竹内涼真さんの卒アル画像について、紹介しました。

残念ながら、中高時代の卒アル画像はありませんでしたが、当時の写真は結構公開されているのですね。

5歳からクラブチームでサッカーをしていた竹内涼真さん。その実力はかなりのものだったようですね。

今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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