俳優として活躍している、小泉孝太郎さん。父は元総理大臣・小泉総一郎さんということでも知られていますね。
品の良さとさわやかなルックスで、デビュー時からずっと変わらず好感度が高いです。
そんな小泉孝太郎さんですが、どのような学生時代を過ごしていたのか、気になっている方も多いと思います。
今回は、小泉孝太郎さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
小泉孝太郎の学歴を調査!出身中学は?
小泉孝太郎さんは、神奈川県にある関東学院六浦小学校出身です。
関東学院六浦小学校は、関東学院六浦中学校・高校と同系列で、関東学院大学とも隣接しています。
普通の小学校だけでは経験できない授業や、人間関係が構築され、周りには海も山もあって自然豊かな環境となっています。
小泉孝太郎さんは、小学生のときから野球少年で、幼少期から小泉純一郎さんとキャッチボールをしたり、バッティングセンターへ行っていたそうです。
地元の野球クラブにも所属しており、弟の小泉進次郎さんと同じチームだったそうです。
練習中に兄弟喧嘩をすることもあり、監督が仲裁に入ったこともあったそうですよ。
小泉孝太郎さんは、4歳の時に両親が離婚しており、小泉純一郎さんに引き取られ、父子家庭で育っています。
叔母の道子さんが母親代わりとなり、道子さんを「ママ」と呼んで慕っていました。
《「ママは私の姉なんだ」と言ったら、進次郎は「ウソ…」と言いました。「いや、本当だ、孝太郎、知ってたか?」と聞くと、「知ってたよ」「進次郎に言わなかったのか?」「言わなかった」。
ああそうか、高校2年生だけど、言ったほうがいいこと、言わないほうがいいこと、わかっていたんだ。いい子に育ってくれたな、と思いました》
NEWSポストセブンより引用
とても穏やかな小泉孝太郎さんですが、その裏では辛い思いも抱えていたのですね。
中学時代には初恋も経験
そのままエスカレーター式で関東学院六浦中学校(偏差値44)に進学した、小泉孝太郎さん。
中学時代の初恋の相手は、藤枝有貴子さん。
初恋は成就せず、すでに藤枝さんはご結婚されているのですが、なんとそのお相手が、テレビカメラマンだったそうです。
仕事で一緒になることもあり、小泉孝太郎さんは、「カメラ目線が怖い」と話していました。
父の小泉純一郎さんは政治家で多忙だったことから、弟の小泉進次郎さんとは、中学時代に兄弟の絆が強くなったそうですよ。
親に話せないことも、兄弟間で相談するようになったそうです。
中学時代の小泉孝太郎さんは、相変わらず野球少年で、お坊ちゃまヘアだったようです。
野球部ではレギュラーで、ポジションはサードだったそうです。
部活では上下関係の厳しさや、チームプレーなど、大事なことをたくさん学んだそうですよ。
小泉孝太郎の出身高校は関東学院六浦?偏差値は?
中学校卒業後、小泉孝太郎さんはエスカレーター式で、関東学院六浦高等学校(偏差値52)に進学しました。
「人になれ奉仕せよ」という教育理念のもと、教育の基本をキリスト教の精神においている学校のようです。
男女共学の中高一貫校で、小泉孝太郎さんは高校でも、野球を続けていました。また、キャプテンも務めていたそうですよ。
野球部は非常に練習が厳しかったそうで、3年間ずっと野球漬けの日々でした。
しかし、高校2年生のときに、椎間板ヘルニアを患い、野球を続けるのが難しくなってしまいます。
高校3年生のときも腰を痛めてしまい、ベンチ入りできずに、スタンドで応援団長をつとめていました。
この時は、かつてないほど大きな挫折を味わったそうです。
未だに試合の夢を見ることがあるそうで、「これで勝てば甲子園にいける!」というときに、目が覚めるといいます。
父の小泉純一郎さんも大の野球好きだそうで、今でも親子で高校野球について語るそうですよ。
また、幼少期から上地雄輔さんと親交があり、野球や地元の横須賀について語りあっていました。
小泉孝太郎さんは高校時代、野球一筋だったので、勉強は最低限でいいと思っていました。
テストは100点中50点取れればいいや、という感覚だったそうですが、学校全体の英単語テストは、ダントツの1位だったそうです。
担任の先生からは、「なぜその集中力と努力を、普段のテストで出さないのか?」と言われたそうです。
学生時代には高祖父が「とび職」だったことに影響され、ニッカポッカを履いてアルバイトをしていたそうです。
友人の紹介で、1日中パンにバナナを載せるバイトもしていたそうですよ。意外ですね。
小泉孝太郎の最終学歴は慶應ではなく日大で中退した?
小泉孝太郎さんは高校卒業後、日本大学経済学部Ⅱ部(夜間部)に進学しました。
偏差値は48~50ほどのようですね。
小泉孝太郎さんは、日本大学に2浪して入学した、と言われていますが、これについては確証が得られませんでした。
日本大学の経済学部Ⅱ部は、現在廃止されているようですね。
Ⅱ部はⅠ部に比べると、偏差値がやや低めだったそうです。
日本大学は多くの学部を設置しており、相互履修制度ももうけています。
そのため、政治や芸能界など、幅広いジャンルの方々が卒業しています。
小泉孝太郎さんは、芸能活動を始めるにあたり、大学を中退しています。
中退の時期は不明ですが、芸能界デビューをした2001年ごろではないか?と言われています。
大学進学の際は、父の小泉純一郎さんから、「無駄に4年間を過ごすのであれば、行かなくていい。やりたいことがあれば挑戦すればいい。」と言われたそうです。
また、高校3年生の担任は、親身になって進路を考えてくれたそうですよ。
「小泉が一番没頭できたり、熱中できたり、一生懸命になれるものを探しなさい」
朝日新聞EduAより引用
大学進学から就活、という敷かれたレールから離れ、いったん立ち止まって考える時間がほしかたのかもしれません。
学生時代には彼女もいたそうですが、デート中に父の選挙ポスターを見て、正気に戻っていたそうです。
当時は父の存在をうとましく思っておおり、合コンで苗字を名乗らなかったそうですが、「横須賀の小泉」でバレてしまったそうです。
そんな小泉孝太郎さんは、出身大学は慶応大学ではないか?という噂もありました。
しかし、父の小泉純一郎さんが慶応大学出身というだけで、誤った情報のようですね。
最終的に、幼い頃から憧れていた俳優の夢に向けて、活動をスタートした小泉孝太郎さん。
2000年に開催された、『21世紀の石原裕次郎を探せ』のオーディションに応募します。
残念ながら落選だったのですが、2001年に小泉純一郎さんが総理大臣に就任し、芸能界からオファーが殺到します。
小泉純一郎さんお、俳優業に賛成してくれて、背中を押してくれたそうですよ。
一時は政治家になることを考えたこともありましたが、父に「政治家は辛い。他に夢中になれる事を探せ」と言われたそうです。
まとめ
今回は、小泉孝太郎さんの学歴について、紹介しました。
小泉孝太郎さんは、小学校から高校まで、一貫校の関東学院六浦に通っていたようですね。
その後日本大学の夜間部に進学するも、芸能活動のために中退しています。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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