日本を代表するアーティスト・YOSHIKIさん。ドラム、ピアノ、作詞作曲と、多彩な才能を発揮していますね。
現在はロサンゼルスを拠点に活動しており、世界的な地位も名誉も手に入れています。
そんなYOSHIKIさんですが、どのような学生時代をすごしてきたのでしょうか?
今回は、YOSHIKIさんの卒アル画像や学生時代について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
【画像】YOSHIKIの中学時代の卒アルを確認!
千葉県館山市出身のYOSHIKIさんは、父親が老舗呉服店を経営しており、裕福な家庭に育ちました。
また、父がジャズピアニストでタップダンサーをしており、母が三味線の演奏家という、音楽一家で育ち明日。
小学校卒業後、館山第二中学校へ入学したYOSHIKIさん。当時の写真を見てみると、かなり印象が違いますね!
部活はブラスバンド部に所属し、トランペットを担当。学校の成績も、非常に優秀だったそうですよ。
そんなYOSHIKIさんですが、父の死の真相を知り、だんだん荒れた生活を送るようになります。
髪は耳にかかるほどの長さまで伸ばし、生活指導の先生に呼び出されると、無理やりバリカンで髪を剃られたそうです。
YOSHIKIさんは侮辱されたあげく、同級生にからかわれたことで、余計にヤンキー化してしまいます。
卒アルの画像を見ると、短髪だったので、先生に刈られた直後だったのでしょうか・・・
中学校の卒業式には、木刀を持って暴れまわったほど、かなりのヤンキーだったそうです。
【画像】YOSHIKIの高校時代の卒アルを確認!
YOSHIKIさんは中学校卒業後、千葉県立安房高等学校に進学しました。
卒アル画像を見た感じでも、かなりやんちゃな感じがしますね。髪型もリーゼントですし、3年間同じ髪型だったのでしょう。
一重まぶたで切れ長の目、高い鼻を見ても、現在のYOSHIKIさんの面影がありますね。
現在はメイクをしていますが、当時はすっぴんだったのでしょう。印象が違うものの、それぞれのパーツは変わっていないと思います。
この高校では、必須科目に柔道があり、YOSHIKIさんも柔道部に入部していました。
しかし、当時からファッションや髪型にこだわりがあり、校則に厳しい柔道部では、身なりに気を使っていました。
完全に剃り上げていた眉毛を隠すため、筆で眉毛をかいていたそうですよ。
しかし、柔道の稽古中は全身汗だくになり、当然眉毛は汗で取れてしまいます。
その結果、先生に怒られ、全力で投げ飛ばされたそうです。
YOSHIKIは大学に進学した?
YOSHIKIさんは、推薦で武蔵野音楽大学に合格していたのですが、入学しませんでした。
幼馴染のToshlさんと一緒に上京し、バンド活動をスタートしています
武蔵野大学を受験するために、ソルフェージュや和声、楽典なども勉強していたのですが、Toshlさんに東京行きを誘われます。
そのときYOSHIKIさんは、「大学行くのをやめる。」と、即決だったそうです。
高校の卒業文集には、『X』とだけ書いたそうで、YOSHIKIさんの熱意が伝わってきます。
高校2年生のときに、元メンバーでギターのTERRY(YUJI)さんが加入し、X JAPANの前身となるXを結成しています。
高校3年生のときには、ヤマハ主催のアマチュアバンドコンテスト『EastWest千葉大会』で、ベストドラマー賞を受賞しています。
別のコンテストで、Toshlさんもベストボーカル賞を受賞しています。
さらに、YOSHIKIさんはデビュー前のインディーズ時代、『エクスタシーレコード』を設立しています。
2年後には、アルバム『Vanishing Vision』をリリースしています。これは自費出版だったため、経費の1000万円を、母親に出資してもらったそうです。
Vanishing Visionが売れなかった場合は、母親に従い、実家に帰ると約束していたそうです。
その結果、Vanishing Visionは1週間で1万枚を完売し、オリコンチャート19位という記録を打ち立てました。
YOSHIKIの学生時代はヤンキーなのに天才?模試が満点だったってホント?
YOSHIKIさんは学生時代、かなりのヤンキーだったそうで、他校生とよく喧嘩をしていました。
しかし、喧嘩に強いわけではなく、負けることもよくあったそうです。
立安房高校に入学したときには、髪を真っ赤に染めて、膝まである学ランを着て入学式に出席しています。
入学式のあとは、10クラス全てを周り、「俺に文句があるやつは言いに来い!」と、かなり戦闘モードだったみたいですね。
ご自身も当時を振り返り「不良だった」と語っています。
ヤンキーだった一方で、成績は常に学年トップクラス。千葉県の模試では、ただ1人数学で満点を取ったそうですよ。
母親には勉強しなさいと言われていたそうで、暴走族のバイクに乗りながらも、翌日のテストに向けて単語帳を持っていたとか。
新しいタイプのヤンキーだったのですね!
父親を早くに亡くしてしまったYOSHIKIさんですが、しっかり母親の言うことは聞いていたのですね。
高校時代は2つのバンド『X』『NOISE』を掛け持ちし、サッカー部にも所属していました。
試合中、必ず15分以内にレッドカードを出されるほど、激しい攻撃をしていたそうです。
髪の毛は赤から金に変え、「金のリーゼント」が、YOSHIKIさんのトレードマークになりました。
高校の卒業アルバムは、髪の毛は黒ですが、リーゼントを貫き通しています。温厚なYOSHIKIさんからは、想像できないですね。
学校創立以来、2番目に悪いと言われたYOSHIKIさんですが、しっかりと勉強をしていたのはすごいです。
1982年には、大学受験をきっかけに、「NOISE」は解散しています。
その後、ToshIさんがボーカルをつとめ、他校生も加わったバンド「X」を結成します。
Xではカバー曲のみならず、YOSHIKIさんが作詞作曲を手掛けたオリジナル曲も演奏していたそうです。
高校3年生のときに、YOSHIKIさんは音大を受験するため、本格的にピアノを弾き始めました。
まとめ
今回は、YOSHIKIさんの卒アル画像や学生時代について、紹介しました。
学生時代はかなりのヤンキーだったYOSHIKIさん。学校創立以来2番目の不良と言われながらも、成績は常にトップだったようです。
数々の伝説がありますが、学生時代から音楽の才能を発揮しており、新しいタイプのヤンキーだったのですね。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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