福山雅治の学歴は?高校は長崎工業高校!中学時代は元ヤンってホント?

数々のドラマや映画、CMに出演している福山雅治さん。

ミュージシャンとしても、数多くのヒット作を世に生み出していますよね。

結婚して家庭をもってからも、その人気は衰えずに、今も第一線で活躍しています。

そんな福山雅治さんが、どのような学生時代を過ごしてきたのかが気になりますよね。

今回は、福山雅治さんの学歴について、調べてみました。ぜひ、最後までご覧ください。

福山雅治の学歴を調査!大学へは進学した?

福山雅治さんは、大学に進学しませんでした。

高校時代に父がこの世を去ってから、苦労をかけた母親を安心させるため、卒業後に「㈱システック井上」に就職しています。

営業職として頑張っていましたが、歌手になる夢をあきあらめきれず、4ヶ月で退社してしまいます。

「将来ビッグになる!」と、上京したものの、バイクを売った20万円しかもっていなかったそうです。

寝台列車で半日以上かけて上京し、列車内ではお金を盗まれないため、靴下の中に隠していました。

東京の友人宅に転々としながら、音楽活動をはじめたものの、全く売れずに下積み時代を過ごしました。

当時は福生市に住んでいたのですが、新宿にあるピザ屋でアルバイトをしていました。

しかし、なかなか長崎弁が抜けなかったので、「お店のイメージに合わない」と、クビになってしまいます。

貧乏生活はしばらく続き、毎日1杯70円のかけそばを食べていたそうです。

その後、材木店の『山口木材株式会社』でアルバイトをしながら、オーディションを受ける日々を過ごしました。

そして、1988年、アミューズ10周年記念オーディションの『アミューズ10ムービーオーディション』を受けます。

見事オーディションに合格し、同年11月26日公開の映画『ほんの5g』で、俳優デビューとなりました。

福山雅治さんが19歳のときで、まだ初々しいながらも男の色気があります。

その後、21歳のときに、『追憶の雨の中』で歌手デビューを果たしました。

それ以降は、「ひとつ屋根の下」「桜坂」などでブレイクし、「ガリレオ」などの代表作にも恵まれ、順調な芸能生活を歩んでいます。

福山雅治の出身高校は長崎工業高校で偏差値は?エピソードも!

福山雅治さんの出身高校は、長崎県立長崎工業高等学校情報技術科です。

当時は偏差値は40ほど、あまり高くなかったのですが、工業高校なので、就職する人が大半だったようですね。

母は福山雅治さんに、「公立に受からなかったら漁船に乗れ」と、脅されていたそうです。

そのため、最寄りの高校に渋々入学することになりました。

しかし、勉強嫌いで早く高校を辞めたかった福山雅治さんは、生徒手帳で「退学の条件」を調べます。

すると、「暴力行為をはたらく」と書かれていたため、クラスで気に入らない生徒を呼び出し、大勢の前で喧嘩をしたのです。

先生が止めに入ったので、「これで退学できる!」と思った福山雅治さん。

しかし、先生は周囲の生徒に対し、「このことは誰にも言うな!」と、けん制されてしまったのです。

良い先生だったのですが、福山雅治さんの退学計画にとんだ邪魔が入ったようですね。

また、バイクが校則で禁止されていたため、乗り回して停学になったものの、退学には至りませんした。

なんだかなだ高校生活は満喫していたそうで、男前だった福山雅治さんは、他校にファンクラブができたほどでした。

意外にも茶道部に入っていたそうで、理由は「お菓子が食べれると思った」からだとか(笑)

そして、高校時代には兄・和明さんと同級生と一緒に、バンド『LAR』を結成しました。

福山雅治さんはギターで、和明さんはドラム担当でした。

そんな中、福山雅治さんが高校2年生のときに、父・明さんがこの世を去ってしまいます。

明さんは肺ガンで、およそ1年間闘病生活を送っていました。

父は幼少期、ほとんど家に帰らず、ギャンブルばかりやって定職につかないような人だったそうです。

そのため、母親は代わりにパートに出たりと、苦労したそうですよ。

せっかく稼いだお金も、父の娯楽に消えていき、生活はかなり苦しかったそうです。

そんな父ですが、お葬式には仲間がたくさん参列し、父を偲んでくれたそうです。

明さんはまだ53歳だったそうで、毎日飲んだくれて元気だった父親が、こんなにやつれてしまうとは・・・と、ショックだったといいます。

父の死後、母は一家の大黒柱となり、50歳のときに資格を取得して、カラーコーディネート講師になりました。

兄は自衛官で、現在は結婚していて子供が3人もいるそうですよ。

福山雅治の出身中学は?部活は吹奏楽部で元ヤンとの噂も?

福山雅治さんの出身中学は、長崎市立淵中学校です。

福山雅治さんは中学時代に、兄に誘われてブラスバンド部に入部しています。

当時はホルンを演奏していたそうで、中学3年生のときには、ブラスバンド部の部長をつとめていました。

部員40名という人気の部活だったのですが、福山雅治さんは朝練~放課後まで、みんなを上手くまとめていたといいます。

当時からあだ名は「ましゃ」で、色白で美形だったため、女子からかなりモテたそうです。

音楽室の黒板には落書きで、『福山くん大好き』『命』と書かれていたそうですよ。

女子は音楽の授業中、福山雅治さんの近くに座ろうと、し烈な争いを繰り広げていました。

放課後、ブラスバンド部の練習をしていると、他校の女子生徒が見に来るほどのモテっぷりでした。

福山雅治さんは、ブラスバンド部での経験と、兄と一緒に組んだバンド活動で、音楽に目覚めました。

当時は中学生でありながらも、髪型をリーゼントに決めたりと、かなりやんちゃな見た目をしていました。

兄がもとからギターをやっていたのですが、福山雅治さんがそのギターを買い取り、独学で練習し始めました。

中学生のときには、「不死鳥(フェニックス)」というバンドも組んでいたそうですよ。

モテモテだった福山雅治さんは、意外にも女子に奥手で、中学3年生の時に初めての彼女ができました。

初恋の相手は色白でお嬢様タイプで、お祭りデートに行ったものの、手も繋げなかったそうです。

中学の卒業アルバムでは、パーマヘアになる予定だったのですが、生活指導の先生に丸坊主にされてしまったそうです。

バッチリ決めた髪型でカッコよく写りたかったのに、残念でしたね・・・

福山雅治さんは、長崎市立稲佐小学校時代から、かなりヤンチャをしていました。

ガキ大将で近所では有名だったそうですが、弱いものイジメはせずに、いじめられている子を守るようなヒーローだったそうです。

小学生時代は、町内にあるソフトボールチーム『BENTEN』に所属し、ピッチャーをつとめていました。

そこから中学に進学し、音楽に目覚めたのは、誘ってくれた兄の影響が大きいのですね。

まとめ

今回は、福山雅治さんの学歴について、紹介しました。

高校まで地元・長崎の学校に通い、音楽活動に目覚めていた福山雅治さん。

ヤンチャで目立つ存在だったので、女子からもかなりモテモテだったようですね。

これからの活躍にも注目ですね。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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