デビューしてから現在まで、長らく第一線で活躍している、篠原涼子さん。
いつも美しくて色っぽい篠原涼子さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのかが気になりますよね。
今回は、篠原涼子さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
篠原涼子の学歴を調査!出身中学は?
群馬県桐生市出身の篠原涼子さんは、幼少期はとてもおてんばで、男子を子分にして遊んでいたそうです!
市民プールがお気に入りで、よく泳ぎに行ったり、渡良瀬川の河原で虫とりをして走り回ったり、かくれんぼをして遊んでいたそうです。
なんと、男の子の真似をして、立ちションに挑戦していたとか(笑)
その一方で、漫画部に所属して、静かに絵をかくのも好きだたそうですよ。現在は地元・桐生市の観光大使を務めていますから、何があるか分からないですね。
実家の家族構成は、両親と6歳上のお兄さん、3歳上のお姉さんの5人です。
3人兄弟の末っ子として可愛がられた篠原涼子さんですが、2歳のときにお母さんが交通事故で亡くなっています。
そのため、お母さんとの記憶はほとんどないようです。
お父さんはそれから再婚するまで、3人のお子さんたちを、男手ひとつで育ててくれました。
小学校卒業後、篠原涼子さんは桐生市立広沢中学校に進学しました。
中学時代はダンス部に所属し、創作ダンスなどをしていたそうですよ。
しかし当時の篠原涼子さんは、少々グレていたそうで、ヤンキーグループに属していました。
中学1年生のときに、1学年上の先輩と交際し、初めてのキスを経験したそうですよ。
しかし長くは続かず、中学2年生のときに、ダンス部の大会で知り合った他校の男子生徒にひとめ惚れし、自ら告白して交際がスタートしたようです。
不良グループとつるんでいたので、よくコンビニの前にたむろしていたそうですよ。
「中学時代の写真にはロングスカートに当時、ヤンキーの間で流行した長いリボンを付け、見るからにツッパリスタイルで写っている。中学の卒業式では暴走族が彼女を祝福しに来たという話もあります」
アサ芸プラスより引用
当時、髪の毛を染めたら失敗して、緑色になったことで、先輩に目をつけられてシメられたそうです。
篠原涼子さんが不良グループに入ったのは、小学校6年生の時に、お父さんが再婚したことがきっかけでした。
お父さんをとられる反動や寂しさで、非行に走ってしまったそうですよ。
そのころから中森明菜さんに憧れて、アイドルを目指していた篠原涼子さん。お父さんは全面的にサポートしてくれたそうです。
オーディションに着ていく服装のチェックや、履歴書の書き方も一緒に考えてくれたそうですよ。
そんな最愛のお父さんは、篠原涼子さんの結婚披露パーティーの3日後に、この世を去っています。
篠原涼子の出身高校は桐生第一!中退した?
中学校卒業後、篠原涼子さんは桐生第一高等学校普通科(現・総合コース)に進学しました。
群馬県立桐生第一高等学校は偏差値39ほどで、野球部やサッカー部が強豪校のようです。
篠原涼子さんが通っていた当時は、ヤンキーも多かったそうですよ。
篠原涼子さんは他校の年上の男性と交際しており、車で学校の送迎をされていたそうです。
しかし篠原涼子さんは、高校をわずか3ヶ月で中退しています。
高校入学後も、オーディションに明け暮れる日々で、その費用を工面するためいに、パン屋、釜飯屋「金釜」、ステーキ店などでアルバイトしていました。
そのステーキ店では、篠原涼子さんの姪っ子さんもアルバイトをしているそうですよ。
オーディションで歌っていたのは、中森明菜さんの『スローモーション』でした。
初めて買ったCDがこの曲だったそうで、自分のお年玉を使って買ったことも、良い思い出だそうです。
自分自身が芸能界に入りたいなっていう夢を志した時にオーディションを受けた時の曲がその曲だったんです。その曲では合格しなかったんですけど(笑)
しかも、違うオーディションを受けた時に違う曲を歌って合格したんですけど(笑)、いまだにその曲を聞くとものすごくその時の光景がよみがえってきて、緊張したりとかうるっときたりする時がありますね。
オリコンニュースより引用
そして、高校に進学した直後に、芸能事務所に合格し、高校1年生の夏に高校を中退しました。
篠原涼子は中卒だった!学生時代は元ヤンの噂も!
篠原涼子さんは、1989年に雑誌『月刊デ・ビュー』に掲載されたオーディションに合格し、現在の事務所に所属していまs。
篠原涼子さんは高校を中退しているので、最終学歴は中卒ということになりますね。
もともとアイドルを目指していたので、中退して上京することに、何の迷いも無かったそうです。
中森明菜さんの大ファンで、部屋中にポスターを貼っていたそうですよ。
デビュー後、ドラマ「素顔のままで」で共演した際は、電話番号を交換したそうです。震えるほどうれしかったでしょうね!
事務所から紹介されたアルバイトが、新宿にある「吉亀寿司」で、そこで半年間アルバイトをしています。
従業員用の寮の一部屋を借りて、「東京パフォーマンスドール」のメンバーとなる女子と2人暮らしをしていたそうです。
狭くて古い木造6畳間だったそうで、一組の布団に一緒に寝ていたそうですよ。全く知らない女子だったので、最初は気まずかったそうです。
経済的にはかなりぎりぎりの生活で、アルバイトをしながらも、食事を抜くこともあったそうですよ。
なぜか、寮の隣部屋の男性が見ていた大人のビデオが、篠原涼子さんの部屋のテレビにも映ったそうで、気持ち悪かったとか(笑)
そんな紆余曲折を経て、1990年から『東京パフォーマンスドール』でデビューし、アイドル活動がスタートします。
その翌年には、『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演し、体当たりのコントに挑戦しました。
そして、1994年に『恋しさと せつなさと 心強さと』が大ヒットし、大ブレイク。
同年に東京パフォーマンスドールを卒業し、女優業へシフトチェンジしていった結果、今の地位を確立しました。
まとめ
今回は、篠原涼子さんの学歴について、紹介しました。
高校まで地元の学校に通っていましたが、芸能界入りが決まったため、わずか3ヶ月で中退していたようですね。
中学時代は少々ヤンチャしていたようで、彼氏もひっきりなしだったみたいですね。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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