黒島結菜の学歴は?出身校は糸満高校!大学は日芸で中退した理由は?

2022年前期放送のNHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」にて、ヒロインを演じている黒島結菜さん。

はじけるような笑顔と、みずみずしい演技が好評を得ていますよね。

そんな黒島結菜さんですが、どのような学生時代をすごしてきたのかが、気になりますよね。

今回は、黒島結菜さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

黒島結菜の学歴を調査!出身中学はどこ?

黒島結菜さんは、沖縄県糸満市出身です。出身小学校は、糸満市立潮平小学校でした。

幼少期から公園で木登りしたり、かなりアクティブで運動神経抜群だった黒島結菜さん。

ミニバスケットボールや陸上、バドミントンに打ち込んでいた黒島結菜さんは、当時から足が速く、駅伝大会の常連だったそうです。

小学校6年生のときには、『糸満地区小体連駅伝大会で潮小女子が優勝!』という地元の新聞記事に、インタビューが掲載されたそううですよ。

小学校卒業後は、糸満市立潮平(しおひら)中学校に進学します。

当時の黒島結菜さんは、バトミントンに夢中で、部活で汗を流していました。

黒島結菜さんは中学生のころ、ファッションにはまるで興味がなく、普段は部活ばかりでずっとジャージで過ごしていたそうですよ。

そんな活発だった黒島結菜さんですが、素顔はとても人見知りな性格。

引っ込み思案な娘を心配したお母さんが、中学3年生のときに、「ウィルコム沖縄イメージガールコンテスト」を受けるように勧めます。

黒島結菜さんはオーディションにて、見事特別賞「沖縄美少女図鑑賞」を受賞しました。

『沖縄美少女図鑑賞』は特別賞なので、ウィルコム沖縄のイメージガールには選ばれませんでした。

この「沖縄美少女図鑑」は、沖縄のフリーペーパーなのですが、沖縄出身のアーティストが、一般人の少女を作品化するというコンセプトです。

いまや実力派女優の二階堂ふみさんも、沖縄美少女図鑑の出身です。

このフリーペーパーに載ったことで、黒島結菜さんの人生が大きく変わることとなったのですね。

実際、この写真をみた芸能事務所「ソニー・ミュージックアーツ」からスカウトをうけ、芸能界入りを果たします。

黒島結菜の出身高校は糸満高校!高校時代の制服姿もかわいい!

中学校卒業後、黒島結菜さんは糸満高校に進学しました。

高校時代もバトミントンに明け暮れ、部活動のかたわら、糸満市内のケーキ屋さんでアルバイトをしていたそうですよ。

ケーキ屋さんの制服が、とってもお似合いだったでしょうね!

ちなみに、勉強も得意で、数学と物理が得意科目だったとか。意外にも理系なんですね~!

黒島結菜さんが糸満高校に進学を決めたのは、「文武両道」の校風に惹かれたからだそうですよ。

高校のお気に入りの場所は、海が見える校舎の5階だそうで、友人と一緒にお弁当を食べた思い出があるそうです。

高校1年生のときには、映画「ひまわり」で女優デビューを果たします。

NHK Eテレ教養バラエティ『テストの花道』にてレギュラー出演し、「マッシュ」のニックネームで親しまれました。

翌年1月公開の、沖縄復帰40周年記念作品『ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜』では、映画に初出演となります。

高校2年生のときには、「docomo LTE Xi」のCM「想いをつなぐネットワーク」篇に出演し、「あの美少女は誰?」と話題になります。

セリフ無しという難しい役だったのですが、なかなか現れない彼を待つというけなげな少女を演じ、注目を集めます。

その後も、クラレ「ミラバケッソ」のCMや、カルピス「カルピスウォーター」のCMに起用されたりと、主にCMで活躍します。

当初は沖縄の実家と東京とを往復し、東京の短期賃貸マンションに住む生活を続けていたのですが、だんだん仕事が本格化していきます。

多忙を極めたことから、2014年9月に上京し、東京の高校に転校しました。

ここまで多忙だったことを考えると、黒島結菜さんは高校生になるころには、プライベートを楽しむ余裕はなかったかもしれませんね。

高校時代、授業中にこっそりミサンガを作るのが楽しみだった、というエピソードを聞くと、普通の可愛らしい女子高生と言う感じですよね。

黒島結菜の出身大学は日本大学芸術学部!中退した理由は何?

高校卒業後、黒島結菜さんは日本大学芸術部写真学科に進学しました。

女優業に専念することも考えましたが、「芸能界とは違う世界を知ったほうが良い」というアドバイスを受け、進学を決意します。

モデルとして写真を撮られるだけではなく、本格的に映像の勉強をしたかったのかもしれませんね。

日本大学芸術学部写真学科の偏差値は38と高くはありませんが、多くの写真家を輩出している有名な学科です。

あの写真家・篠山紀信さんも、この大学出身です。

女優としては順調そのもので、戦後70年記念制作「一番電車が走った」では、原爆投下後に生き残った女学生・雨田豊子役を演じました。

大惨事となった広島で、前を向いて生きていく主人公を演じ、業界内で大絶賛されました。

その後も、ドラマ「時をかける少女」「アシガール」では主人公に抜擢され、多忙をきわめていった黒島結菜さん。しかし、当時は学業と仕事の両立に悩んでいたそうです。

2018年3月9日放送の「アナザースカイ」に出演した際は、芸能界引退を本気で考えていたことを告白します。

学業にも真剣に取り組みたかったので、だんだん大学に通えなくなって、試験も受けられなかったのが、大きなストレスとなったのです。

もともと黒島結菜さんが、大学に進学することは家族はあまり賛成ではなかったとか。

しかし、黒島結菜さんが写真を撮る側の気持ちを理解することで、芝居に役に立つと思ったので、快く送り出してくれたそうです。

結果的に、黒島結菜さんは21歳で大学を中退しています。

最初は大学のキャピキャピした雰囲気になじめず、友人もできなかったとか。

授業が終わったあと、楽しそうにファッションや写真の話に花を咲かせている皆さんでしたが、そんな輪に入ってくことがで
きず・・・

大学の授業が終わったら、すぐにその場を後にしていたそうです。

大学を辞めたのは、写真については自身の力で学ぶことができると思ったことも影響しているそうです。

しかし、一番の理由は、仕事が忙しすぎたことのようですね。

どれも中途半端になってしまうのであれば、いったん芸能界を辞めたほうがいいのでは、と考えました。

そんな黒島結菜さんを支えたのが、家族の皆さん。

何があってもずっと応援しているから、やりたい事を思いっきり楽しみなさい!と、背中を押してくれたそうです。

黒島結菜さんは、ここまで自分が頑張れたのは、家族の皆がいてくれたから、と感謝していました。

「本当にダメだったら帰ればいい」と思えた黒島結菜さんは、大学4年生で中退を決断し、芸能活動に専念する覚悟を決めます。

中退はしたものの、「日藝アンバサダー」に就任しているので、日本大学とは良い関係を築いているのですね。

まとめ

今回は、黒島結菜さんの学歴について、紹介しました。

高校までは地元・沖縄県糸満市の学校に通い、上京後に日本大学に進学しました。

仕事と芸能活動の両立が忙しく、悩んだ末に女優業に専念することを決めたようです。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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