日本のみならず、スペインの海外トップチームで活躍してきた、久保建英さん。
若干9歳にしてバルセロナに渡り、幼いころから活躍していますが、国籍は日本なのでしょうか?
今回は、久保建英さんのハーフ説や国籍について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
久保建英の国籍はスペイン?ベトナム人ハーフの噂も!真相を調査!
久保建英さんはその顔立ちから、ベトナム人ハーフなのでは?という噂があるようです。
しかし、結論から言うと両親ともに日本人の、純日本人ですね。
久保建英さんは2019年にマドリードに加入し、何度もレンタルからの復帰が噂されていました。
そのたびに、外国人枠が最大の障壁となってしまい、トップチーム入りは実現しませんでした。
現在、レアル・ソシエダへ完全移籍した久保建英さんですが、報道によると、マドリードは保有権の50%を引き続き保持しています。
レアル・ソシエダで活躍した場合、買い戻しが想定されているようですね。
久保建英さんは、マドリードの一員としてシーズンに臨むのを望んでいますが、やはり「日本人選手」という壁が立ちはだかっているようです。
現在はヴィニシウス・ジュニオール、エデル・ミリトン、ロドリゴのブラジル3選手で占められているが、その中でヴィニシウスのスペイン国籍取得が間近と言われながら、今夏中には難しいというのである。
ゲキサカより引用
久保建英選手がスペイン国籍を取得するためには、日本国籍を捨てて、10年の居住またはスペイン人女性と1年結婚していることが条件だそうです。
来シーズンもEU圏外枠が障壁となり、レアルマドリードに復帰することが難しいのは、度々伝えられていました。
日本の法律では二重国籍を認めていないので、久保建英選手はどちらかを選択する必要があるようです。
久保建英の出身地は神奈川県川崎市?生い立ちを調査!
和製メッシとの呼び声も高い久保建英選手さん。2001年、神奈川県川崎市で誕生しました。
父・建史さんは筑波大サッカー部OBで、幼いころから久保建英選手のサッカーを指導していました。
両親ともに「運動好きで積極的な子に育てたい」という思いから、サッカーを通じて教育を施したようです。
建吏さんは久保建英選手の生い立ちや教育方針をつづった、「おれ、バルサに入る! 夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方」という本を出版しています。
子供をスポーツ選手にしたい世の親御さんにとって、バイブル的本と言えますね。
建史さんは大学在学中、少年サッカーの指導経験はあったのですが、本格的な指導経験はありませんでした。
しかし父の熱心な指導により、今の久保建英選手が育ったといえます。
久保建英選手は順調にキャリアを重ね、バルセロナの下位チーム「アレビンC」に加入し、地中海カップU-12トーナメントで大会得点王とMVPに選ばれました。
リーグ、カタルーニャ杯など、トーナメント制覇に大きく貢献しています。
その後は「インファンティルA(13-14歳)」に所属したものの、FIFAのルールで18歳未満の外国人選手獲得は違反ということで、公式戦出場停止処分が続きます。
久保建英さんは止むを得ず日本に帰国し、2015年3月にはFC東京の下部組織に入団しました。
そして翌年2016年には、中学3年生でFC東京U-18に飛び級で昇格、大会史上初となる中学生の得点王になりました。
同年11月5日には、Jリーグ史上最年少記録を塗り替えました。
久保建英は子供の頃から天才だった?幼少期の画像も確認!
久保建英選手がサッカーを始めたのは、3歳の頃でした。
両親の勧めでサッカーを始め、すぐにハマった久保建英選手。幼稚園生で、すでにボールを見ずにドリブルができたそうです。
最初は遊び感覚で始めたのですが、1年のうち350日以上、毎朝ボールを蹴っていたそうです。
父親が帰ってくる夜は寝てしまうので、コミュニケーションを取るために、出勤前にサッカーをしていたそうですよ。
幼稚園年少で入れるサッカースクールにはいり、小学校1、2年生に混ざってプレーしていました。
小学生と年少では体力も違いますが、久保建英選手はサッカーが嫌になることはなかったそうです。
6歳のころ、突然久保建英選手は両親に、「バルサに入りたい!」という大きな夢を伝えます。
両親はサポートすることを決意し、毎日付きっきりで練習していました。
2009年8月、FCバルセロナキャンプのパンフレットに、「MVPに選出されればバルセロナと試合が出来る」という告知を見て、参加を決意します。
そして、300人規模の子供達の中から、久保建英選手は見事MVPを獲得しました!
そして2010年4月、ベルギーで開催されたFCバルセロナスクール選抜「ソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップ」に参加します。
チームは3位だったものの、10歳にして大会MVPに選ばれる、といった快挙を成し遂げました。
その後、川崎フロンターレの下部組織の「川崎フロンターレジュニアセレクション」に入団しましたが、FCバルセロナの下部組織カンテラ(ラ・マシア)の入団テストに、見事合格します。
わずか11歳で、母、弟とともにスペインに渡ったのでした。「バルサに入りたい」という夢を、早くも叶えたのですね!
『カンテラ』は、通常13歳からしか受け入れませんが、久保建英選手の技術と精神力を見込み、選んだそうです。
バルセロナに渡ってからも、チーム得点王などに選ばれ、大活躍をしていました。
しかし、2013年~2014年にかけては、外国人補強問題で罰則を受け、退団し帰国する事態となります。
それでも2015年4月には、イギリス紙『『Mirror』』の「19人のニュー・メッシ」に、ランクインされることとなりました。
まとめ
今回は、久保建英さんのハーフ説や国籍について、紹介しました。
久保建英さんは純日本人で日本国籍ですが、スペインの国籍を取得するには障壁があるようですね。
両親の教育のもと、幼少期からサッカーの才能を開花させ、わずか11歳でスペインに渡っています。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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