歌舞伎役者や俳優として活躍している市川海老蔵さん。SNSやブログなども話題になっており、根強いファンを獲得していますね。
そんな市川海老蔵さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、市川海老蔵さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
市川海老蔵の学歴を調査!出身中学はどこ?
市川海老蔵さんは、故・市川團十郎さんの長男として誕生しています。
幼稚舎から青山学院に通い、初等部時代はラグビー部に所属していたそうです。
小学3年生~小学校卒業まで、毎朝チーズトーストを食べてから学校に通っていたそうですよ。
足が速く、運動神経抜群で、ラグビーに明け暮れていましたが、初恋は小学生のときだったそうです。
小学3、4年生のときに、山形さんという女の子が好きだったそうですが、告白は出来なかったそうです。奥手だったのですね。
歌舞伎役者の道を歩み始めたのは3歳のときで、近所の公園に父・市川團十郎さんとともに出かけます。
するとお父様が、「お前は歌舞伎役者になるのか?」と質問し、市川海老蔵さんはよく考えず「なる」と答えたそうです。
そして、「お前がなると言ったんだから」と、スパルタ稽古が始まったそうです。市川海老蔵さんからすると、だまされた感がすごかったとか・・・
市川海老蔵さんは、小学6年生のときに椎間板ヘルニアになっており、それだけ過酷な稽古だったようです。
子供の頃は泣き虫で、稽古が厳しくてしょっちゅう泣いていたそうです。また、昔から寺島しのぶさんと仲が良かったそうですよ。
6歳で「源氏物語」に出演し、初お目見えとなり、8歳で七代目市川新之助を襲名しています。
襲名披露公演では、父の市川團十郎さんに刀を渡すはずが、誤って刀を折ってしまい、かなり怒られたそうです。
中等部に進んだ市川海老蔵さんは、ブリーチをして金髪にしていたそうです。
学校ではとても目立っていたでしょうが、同級生からすると近寄りがたい雰囲気だったかもしれません。
また、中学時代はバスケットボール部に所属していたそうです。
このころ、歌舞伎役者になることに反発し、ことあるごとに反抗していたそうです。
一時は本気で辞めようと思い、普通のサラリーマンになりたいと思ったこともありました。
厳しい稽古や家柄など、その重圧に耐えられなかったのでしょうね。
市川海老蔵の出身高校は偏差値38の堀越学園?エピソードも!
市川海老蔵さんは、青山学院高等部普通科へ入学しています。
歌舞伎役者になることに反発していましたが、祖父が出演している舞台『与話情浮名横櫛』を見て感激し、そのことから歌舞伎役者になる決心をしたそうです。
真面目に稽古するようになった市川海老蔵さんですが、多忙だったため1年留年してしまったそうです。
歌舞伎の稽古や舞台が忙しすぎたのですが、市川海老蔵さんが高校生だと分かっていたので、時間調整をしてくれなかったのでしょうか。
2回目の1年生となった際は、1歳年下のDragonAsh・降谷建志さんと出会い、仲良くしていたそうです。
その後は、堀越高等学校普通科トレイトコースに編入しています。
青山学院高等部を中退し、芸能人御用達の堀越高校に編入したのは、新たな人生をスタートさせるという決意の現れだったのかもしれませんね。
堀越高校では、浜崎あゆみさんと同級生だったそうで、かなり目立っていたそうですよ。
市川海老蔵は大学に進学した?
市川海老蔵さんは高校卒業後、大学に進学していません。
歌舞伎役者に集中し、伝統を継承して幅広い世代に広めていくため、大学進学を選びませんでした。
2000年には『源氏物語』で光源氏役をつとめ、連日満員御礼の大盛況となります。
そのことからも、大学に通っている余裕はなかったでしょう。
その後、市川海老蔵さん、尾上菊之助さん、尾上松緑さんとともに、『平成の三之助』と呼ばれ、新しい歌舞伎ブームを巻き起こしました。
まとめ
今回は、市川海老蔵さんの学歴について、紹介しました。
幼稚舎から青山学院に通っており、歌舞伎をはじめたのは3歳のときでした。
高校は多忙のため堀越高校に転入し、大学には進学しなかったようですね。
今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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