Jリーグ川崎フロンターレで活躍し、ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに所属している、三苫薫選手。
東京オリンピックやカタールワールドカップでも、日本代表として選出されていますね。
そんな三苫薫選手ですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、三笘薫さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
三笘薫の学歴を調査!出身中学は?
神奈川県川崎市出身の三苫薫選手は、川崎市立鷺沼小学校に通っていました。
兄の影響でサッカーを始め、地元の強豪チーム「さぎぬまSC」に所属していました。その後、川崎フロンターレU-10に加入しています。
川崎フロンターレで指導をしていた髙﨑康嗣監督は、三笘薫選手の選手人生に、大きな影響を与えたそうです。
“世界を意識してプレーするように教え込まれた”そうで、サッカーに対する意識も大きく変わったようです。
また、三苫薫選手は小学校6年生のときに、キャプテンにも任命されました。
プレーのみならず、周囲を惹きつけてまとめる魅力があったのでしょうね。
監督が「ドリブルは当然、パスも天下一品だった」と言うほど、三笘薫選手はずば抜けた選手だったのです。
小学校5年生のときには、FIFA公認の国際サッカー大会におて、U-12年代の世界一を決定する「ダノンネーションズカップ」に出場します。
全日本少年サッカー大会にも出場し、実力を見せつけていました。
小学校卒業後、川崎市立有馬中学校に進学し、地元の中学校に通っていたようですね。
2学年下には、現在ドイツのブンデスリーガ、フォルトゥナ・デュッセルドルフで活躍している、田中碧さんもいます。
中学校時代、三笘薫選手は、川崎フロンターレのジュニアユースに所属してたようですよ。
三笘薫の出身高校は橘高等学校?偏差値は?
中学校卒業後、三苫薫選手は川崎市立橘高等学校(偏差値44~57)に進学しました。
川崎市立橘高等学校には普通科、国際科、スポーツ科が設置されており、公立高校ではスポーツ科があるのは珍しいようですね。
三苫薫選手も、おそらくスポーツ科に通われていたと思います。
三苫薫選手は、川崎フロンターレの下部組織「川崎フロンターレUー18」に昇格していましたので、高校の部活には所属していません。
高校時代の活躍も目覚ましく、川崎フロンターレのトップチームへの昇格のオファーを受けました。
しかし、三笘薫選手はプロではなく、大学に進学することを選びました。
首都圏内でスポーツ科がある公立高校10校のち、4校が神奈川県にあるようです。
神奈川県には、川崎フロンターレや横浜F・マリノス、横浜FC、湘南ベルマーレといった、サッカーの強豪チームが多いのです。
そのため、県全体でスポーツが盛んなようですね。
三笘薫は頭いい!国立筑波大学の何学部出身?卒論のタイトルは?
三笘薫選手は高校卒業後、筑波大学体育専門学群に進学しました。(偏差値63)
この大学の体育会サッカー部は創部125年となっており、全日本大学サッカー選手権大会でも優勝したことがあります。
高校時代は川崎フロンターレのユースでプレーをしており、トップチームへの昇格も打診されていた、三苫薫選手。
大学入学前からプロ入りも進められていましたが、なぜ筑波大学へ進学したのでしょうか。
その理由の1つとして、「大学サッカーの4年間を通じ、もう一度自分を鍛えなおしたい」と思ったからだそうです。
大学進学を決めたのは、先輩である1つ上の三好選手と板倉選手の存在も、大きかったようです。
2人とも、三苫薫選手より一足先に川崎フロンターレのトップチームに所属しており、偉大な先輩の存在があったため、「プロでプレーするにはまだ実力が足りない」と思ったそうです。
鍛えなおすという意味でお、筑波大学に進学することを選びました。
三苫薫選手は、関東のリーグで筑波大学の試合を観戦したことがあり、チームスタイルに惹かれたのもありました。
筑波大学のサッカー部は、パスをつないで低学年の選手をよく起用する、という傾向があったそうです。
筑波大学の練習に自ら志願し、そのときに筑波大学でサッカーをしたい!と強く思ったと言います。
また、筑波大学のサッカー部監督である小井土正亮さんも、三苫薫選手のプレーを見て、すぐに進学を望んだようです。
大学時代の三笘薫選手は、当時2部リーグに所属していたのですが、強豪ばかりの中で、ひときわ存在感を放っていたそうです。
第97回天皇杯の2回戦では、ベガルタ仙台との試合で、三苫薫選手の驚異的なドリブル、そしてゴールがはなたれました。
そんな大活躍を見せた三苫薫選手ですが、学業も疎かにせず、文武両道を心がけていたそうです。
もともと華奢だった体を大きくするために、栄養学に基づく食事管理を徹底しました。
遠征するときも、スーツケースがパンパンになるほど、食べ物を用意していったそうです。
2017年夏季ユニバーシアードでは、金メダルを獲得。大学2年生のときには、川崎フロンターレの特別指定選手に承認されます。
そして、2020年シーズンより川崎フロンターレへの加入が内定したのです。
大学3、4年生も、特別指定選手として川崎フロンターレに選手登録され、名古屋グランパス戦でデビューを果たしました。
大学卒業後、2020年から正式に川崎フロンターレに入団し、開幕戦のサガン鳥栖戦でJ1デビューを果たします。
同試合からセレッソ大阪戦までの間、公式戦5試合連続ゴールという偉業を成し遂げ、サンフレッチェ広島戦では新人史上5人目の二桁得点を記録しました。
日本代表としても活躍し、ユニバーシアード、U-20、U-21などに選出されています。
小学校時代か輝かしい成績を残していた三苫薫選手ですが、特に注目されるようになったのは、大学時代からのようですね。
高校卒業後、そのままプロ入りしても、Jリーグで活躍する選手になっていたことでしょう。
しかし、これほどまでに注目される選手になったのは、筑波大学での4年間が大きかったと思います。
「多少回り道でも高卒からプロではなく、当時は大学進学がベターだと思ったんです。プロになると、目の前の1試合、1試合に懸ける想いを凄く求められます。ただ僕は、あくまで長期的なビジョンでも自分やサッカーを見つめたかったんです。この長期的な視野は自分にとって凄くメリットだと思うし、人生にも大きく影響すると思ったんです」
スポニチより引用
そんな三苫薫選手ですが、卒論のテーマについてちょっとした話題になったことがありました。
そんな題名で卒論書いてないです。笑 https://t.co/08LZ11t0O0
— 三笘 薫 (@kaoru_mitoma) October 16, 2020
「なぜ、自分のドリブルは抜けるのか」という卒論を書いたという記事があったのですが、本人は「そのようなタイトルの記事は書いていない」ということでした(笑)
本当は何を書いたのか、気になりますね!
大学時代は課題やレポートに追われ、関東大学リーグの試合翌日でも、夜遅くまでパソコンに向かうことがあったそうです。
卒論には、抜けるドリブルのメカニズムが書かれており、いまも筑波大学の研究室に保管されているそうですよ。
まとめ
今回は、三笘薫さんの学歴について、紹介しました。
小学生からサッカーの才能を開花させ、高校時代にユースに所属していた三苫薫選手。しかし、自ら大学進学を選びました。
サッカーでさらなる高みを目指すために、大学進学を決意したそのストイックさはすごいですね!
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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