岸田文雄は嫁と別居中?裕子夫人の若い頃が美人!学歴も凄い?画像

新総理となった岸田文雄氏。政策はもちろんのこと、ファーストレディとなった岸田裕子夫人にも注目が集まっています。

才色兼備で美人と評判の裕子夫人ですが、若い頃は美男美女カップルとして有名だったようです。

今回は、岸田文雄総理の嫁・裕子夫人について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

岸田文雄は嫁・裕子夫人と20年以上別居中の噂!別居の理由は何?

岸田文雄総理と裕子夫人は、現在別居中というのですが、いったい理由は何なのでしょうか?

岸田文雄総理は1993年に衆議院選初当選となり、広島から東京に単身赴任をすることになりました。

一家で東京に移住することも考えたようですが、裕子夫人はお子さん3人とともに広島に残ることを決めました。

岸田文雄総理は地元愛が強いのですが、現在は東京の議員宿舎で生活しています。その夫に変わり、広島で政治活動をサポートしているのが、裕子夫人ということですね。

「別居」イコール「不仲」ではなく、政治活動のためということでした。

現在は息子さんたちも上京し、裕子夫人は1人で広島に残っているようですね。

裕子夫人は実家が三次開発工業株式会社という、古くから続いている旧家です。もしかしたら、それも地元の広島に残り続ける理由かもしれません。

新総理が別居中とは、なんとも違和感がありますよね。仕方ないことなのでしょうが・・・

裕子夫人もファーストレディーとなったので、総理とともに海外へ行ったりと外交もおこなう必要があり、「別居」はそのうち解かれるのではないでしょうか。

2021年9月29日に行われた自民党総裁選挙のときには、裕子夫人も上京し、しばらく岸田文雄総理と一緒に生活していました。

地元である広島を大事にしているご夫婦なので、裕子夫人が東京と広島を行き来する生活になるのかもしれません。

広島では裕子夫人は評判で、岸田文雄氏が総理になったのも、裕子夫人のお力添えのおかげと言われているほどです。

岸田文雄のツイッターが炎上?

そんな中、2020年に岸田文雄総理のTwitterが炎上する、という騒動がありました。

『妻が食事を作ってくれました』と夫婦の写真をアップしたのですが、「妻を立たせて夫が食事をしている」ように見えたので、「男尊女卑」と批判が殺到したのです。

たしかに画像を見ると、座って食事している岸田文雄総理の横に、エプロン姿で給仕している裕子夫人が立っていました。

このことが、女性蔑視と批判が殺到し炎上したんですね。

しかし裕子夫人によると、夫の食事のために立っていたわけでは無いそうです。

「あの日は夜遅く、主人から『テレビ出演中に、20分だけ時間ができた。家に帰ると何か食べるものがあるか』と連絡がきたんです。ただ私たちはすでに食事を済ませていたので、さっと作って出しただけです。家でマスクをしていたのも、テレビ局のスタッフさんが10人くらいいたためです。
女性自身より引用

岸田夫妻は仲良く見つめ合って微笑んでいますし、亭主関白な気配も無いですよね。単に談笑しながら立っていただけでしょう。

日常の一部を切り取っただけの画像とはいえ、総理となると炎上してしまうのは、同情してしまいますね。

岸田文雄総理は普段料理をしないのですが、お風呂掃除などほかの家事は自らしてくれるそうですよ。

岸田文雄の嫁・裕子夫人の学歴や経歴は?マツダで役員秘書だった?

岸田裕子さんの実家は、酒造業や銀行業を経営していた旧家だそうで、父の和田邦二郎さんは現在、「三次開発興行株式会社」を経営しています。

裕子夫人は広島女学院中学高等学校(キリスト教系ミッションスクール)出身で、この学校は偏差値は61の中高一貫校です。

裕子夫人は6年間、寮生活を送り、高校時代は水泳部に所属していたそうです。

岸田裕子夫人は高校卒業後、東京女子大学文理学部日本文学科(偏差値45~48)に進学しました。

文理学部は改名しており、現在は現代教養学部になっているようですね。

東京女子大学を卒業後は、本社が広島にある「自動車メーカーマツダ」に入社しました。

当時、副社長だった元社長・和田淑弘さんの役員秘書をしていたそうで、非常に優秀な社員だったのですね。

その後、裕子夫人は1988年秋、岸田文雄総理とお見合い結婚し、マツダを退社しています。

岸田裕子夫人は英語が堪能で、2016年に広島で開催されたG7外相会議で大活躍していました。

裕子夫人は英語力を活かし、広島外相会合配偶者プログラムを主催しています。

外国の要人たちを広島平和記念公園に案内したり、広島女学院高等学校を訪れ、平和教育の説明をしています。

参加された中で、ほぼ通訳なしに案内していたそうですから、その英語力はすごいですよね。

前述したように、岸田裕子夫人は広島女学院高等学校出身なのですが、この学校では英語教育に力を入れています。

キリスト教の学校ということもありますが、裕子夫人は学生時代に英語を習得したのかも知れませんね。

裕子夫人は広島女学院同窓会の役員もしているそうで、地元の方々とも深く交流し、総理の妻というおごりも無く、気さくな人柄が地元に愛されているようです。

岸田文雄の嫁・裕子夫人の若い頃が美人と話題!画像

裕子夫人は美人ファーストレディとして注目を集めていますが、若い頃も非常に美人で評判だったようです。

当時の写真を見てみると、本当に美しいですね。岸田文雄総理もイケメンですから、美男美女でお似合いのご夫婦です。

お2人は1988年にご結婚されており、結婚当時は今以上に美男美女でオーラがすごいです。

裕子夫人は小学生のころ、おとなしくて勉強ができるタイプで、児童会役員を務めていたそうです。

現在は広島県在住で、岸田文雄総理と結婚生活で一緒に過ごしたのは、3分の1くらいという珍しいご夫婦ですね。

それでも毎日遠距離電話をしているそうで、まさにおしどり夫婦ですね。

結婚の馴れ初めは?

お2人の馴れ初めですが、岸田文雄総理が裕子夫人に一目ぼれをして、形式上お見合いをすることになったそうです。

当時、岸田文雄総理は衆議院議員をしていた父・岸田文武の秘書をしており、企業回りをしていたときに、裕子夫人と出会いました。

裕子夫人が24歳、岸田文雄総理が31歳のときでした。

岸田文雄総理の父・岸田文武氏は、通産省官僚を経て政治家となり、祖父・岸田正記氏は経営者から政治家になったという由緒ある家系です。

一方の裕子夫人も、三次開発興業の社長・和田邦二郎氏の長女で、生粋の社長令嬢です。家柄的にも、お似合いですよね。

裕子夫人は岸田文雄総理お初めて会ったときに、『この人と結婚するんじゃないかな』と思ったそうですよ。

「まず祖母同士が同級生で、友人同士だったのです。主人の祖父や父のこともとても人柄の良い人だと聞いていました。だから、不安はありませんでした」
Yahooニュースより引用

礼儀としてお見合いの場を設けましたが、恋愛結婚のようなものですね。

裕子夫人の第六感で、将来岸田文雄総理になることも予想していたのかもしれませんね。

まとめ

今回は、岸田文雄の嫁・裕子夫人について、紹介しました。

政治活動のため広島と東京で別居婚を続けているようですが、おしどり夫婦としてとても良好な関係を築いていました。

裕子夫人はかなりの才色兼備で、若い頃もとても美人だということが分かりました。

これからの情報にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です