工藤静香は日本人?在韓やハーフ説も!出身は東京都羽村市で母親がスナックを経営?

元おニャン子クラブで、歌手として一世を風靡した、工藤静香さん。

現在は木村拓哉さんや娘のCocomiさん、Kokiさんと、一家そろって芸能活動をしていることでも有名ですよね。

そんな工藤静香さんですが、出身地が話題になっているようなんです。

今回は、工藤静香さんのハーフ説や出身地について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

工藤静香は日本人?在韓やハーフ説も!真相を徹底調査

工藤静香さんは、日本生まれの日本育ちなのですが、「在日韓国人なのではないか」という噂があるようなんです。

たしかにエキゾチックな顔立ちをしているので、ハーフに間違われることもあるかもしれませんが、純日本人で間違いないようですね。

芸能人はなにかと在日韓国人ではないか?と言われがちですが、木村拓哉さんが在日韓国人では?と言われたことから、工藤静香さんにも噂が浮上したようなんです。

木村拓哉さんは、元SMAPの草なぎ剛さんから派生して、在日韓国人と言われるようになったそうです。

草なぎ剛さんは、自ら韓国語を勉強して、かなり流ちょうに話すことができますよね。

「チョナンカン」としてもデビューしており、そこから飛び火して、木村拓哉さんも「在日では」と言われたそうです。

また、「木村」という名字が、在日韓国人の通名で多く使われているそうで、 噂に尾ひれがついたようです。

木村拓哉さんと工藤静香さんの結婚は、当時かなり話題になりましたが、在日同士だったので、結婚できたのでは?という説もあります。

これは確固たる証拠がないので、あくまで噂止まりですね。

工藤静香の出身は東京都羽村市?エピソードも!

工藤静香さんの出身は、東京都羽村市です。

東京から青梅線の羽村駅までは、およそ1時間30分程かかります。

近くに多摩川が流れて、自然豊かな町のようですね。

近くには米軍基地の横田基地があり、空軍の練習機が飛ぶこともしょっちゅうあるそうです。

基地内の米軍や家族が多く見かけられる町で、工藤静香さんは育ったようですね。

工藤静香さんの父・勘七さんは、板前をしており、小料理屋を営んでいました。青森県出身にちなんで、「津軽」というお店だったそうですよ。

勘七さんは、残念ながら2005年、虚血性心不全のため62歳でこの世を去っています。

工藤静香さんは2000年に木村拓哉さんと結婚しており、勘七さんからすると孫が誕生しています。

マスコミを避けてあまり孫に会わせられなかったのが、唯一の心残りと話していました。

工藤静香の実家の場所は東京都羽村市?母親はスナック経営者との噂も!画像

父親が青森県出身だったため、工藤静香さん推さな頃に、青森県で暮らしていた時期があるそうです。

その後、東京都羽村市に引っ越して、地元の小中学校に通っていました。

現在の実家は、東京都羽村市ではなく、中目黒にあります。

1990年頃、工藤静香さんが両親に実家緒をプレゼントしており、工藤静香さんも中目黒の家で同居していました

木村拓哉さんと結婚した当初も、最初は実家と同じ敷地内の家で生活していたそうですよ。

工藤静香さんは、次女のKokiさんが生まれた2003年、中目黒に土地を購入し、総工費10億円の大豪邸を建設しています。

母の武子さんは北海道富良野市出身で、なんと13人兄弟の末っ子だそうです。

今でも母親の実家からは、北海道の美味しい野菜などを送ってもらうそうですよ。

母の武子さんは、もともと美容師だったのですが、結婚を機に夫・勘七さんが営む小料理屋を手伝っていたそうです。

また、羽村市内の栄町で、スナックを経営していまいした。なんでもそのナックは、小作駅前にある「ラベンダー」というところのようです。

羽村市の長者番付では、いつもトップが工藤静香さんだったそうですよ。さすが伝説のアイドルです。

この「ラベンダー」というスナックは、すでに閉店しています。

亡くなった工藤静香さんのお兄さんのお墓は、羽村市にあるので、家族でお墓参りにくることもあるようですね。

まとめ

今回は、工藤静香さんのハーフ説や出身地について、紹介しました。

工藤静香さんはハーフではなく、純日本人なのですが、木村拓哉さんの噂もあって、在日韓国人という説が浮上していたようです。

実家は東京都羽村市から、中目黒に引っ越していたようですね。

これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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