山田涼介はクォーター?父親がハーフで焼肉屋を経営!出身地は神奈川県秦野?

山田涼介さんといえば、人気ジャニーズアイドルグループ『Hey! Say! JUMP』のメンバーとして活躍していますよね。

その整った顔立ちから、「アイドルになるために生まれてきた人」とも言われています。

そして、どことなくハーフやクオーターのような雰囲気がただよっていますよね。

今回は、山田涼介さんのクオーター説や出身地について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

山田涼介はフランス人のクォーター?父親がハーフで焼肉屋を経営してる?画像

山田涼介さんは、美しい顔立ちから、「ハーフやクオーターなのではないか」と言われています。

しかし結論から言うと、両親ともに日本人の純日本人です。

たしかに写真を見ると、外国人の血が入っていてもおかしくないほど、整った顔立ちをしていますよね。

目が大きくて瞳もくりっとしており、日本人離れをした顔立ちをしています。

目と眉の距離も近いので、外国人の特徴を抑えているような気がします。肌も白く、カラコンをしているので、瞳の色も外国人っぽいです。

山田涼介さんは、青やグレーのカラコンを愛用しているそうですよ。

噂では、「フランス人のクォータ」という説も浮上していました。

実は、山田涼介さんのクオーター説は、お父さんがハーフ顔ということも理由にあったようです。

確かに山田涼介さんのお父さんも、目が大きくて彫が深く、ラテン系の顔をしているように思えます。

そして、山田涼介さんが幼少期にアトリエ教室に通っていたことからも、「フランス人とのクォーター」という噂になったようです。

またサッカーをやっていたことや、地毛の髪色も明るいことなどから、ヨーロッパ系→フランスの血が混じっている、という解釈になったようです。

ただジャニーズの中には、東山紀之さんや、森田剛さんなど、外国の血が混ざっていても公表しない人が多いそうです。

ジャニーズ事務所の意向なのか、明らかにハーフ顔でないと公表しないのかもしれないですね。

父は焼肉屋を経営

山田涼介さんの父親は、純日本人であることが分かっています。たしかに彫が深いイケメンですよね!

名前や年齢などのプロフィールは無いですが、山田涼介さんの父親は、以前電車の車掌をしていたそうです。

そのため、時間にかなり厳しかったそうですよ。

どこの鉄道会社だったかは不明ですが、噂では小田急だと言われています。

その後脱サラをして、焼き肉屋で働き始めます。

東京都渋谷区神泉にある、焼き肉屋チェーン店『炭火ホルモン 永秀(ながひで)』で働いていたそうです。

「永秀」には、Hey!Say!JUMP!のポスターも飾ってあったそうですよ。

お父さんが「永秀」で働いていることが週刊誌に掲載され、たちまち有名になります。

山田涼介さんのファンがお店に殺到したものの、お父さんはファン丁寧に接客していたそうです。

しかし、ジャニーズ事務所から「お父さんが山田涼介のことを話しすぎ」と注意が入ってしまいます。

その後、お店に迷惑をかけるということもあり、2017年に赤坂の焼肉店「おやじのやまだ」に転職。

今では店長になり、多くの芸能人やジャニーズも通うほどの有名焼肉店となったそうです。

ちなみに、お母さんも詳細な情報は不明ですが、かなり美人で若々しいそうですよ。

山田涼介さんはかなりのマザコンで、母親とペアルックで買い物に行くこともあるそうです。はたから見ると、カップルに間違われるほどのようですね。

山田涼介の出身地は神奈川県秦野市?生い立ちは?

山田涼介さんの出身地は、神奈川県秦野市です。

小学生からサッカーを始めて、将来はプロサッカー選手になることを目指していたそうですよ。

当時は、「湘南ベルマーレ」のジュニアユースに所属しており、かなり本格的にサッカーをしていました。

もともと、生まれは東京都で、サッカーをするために神奈川県に引っ越したという情報もありました。

山田涼介さんが中学生のときに、秦野駅周辺で目撃情報があったので、秦野市で育ったというのはちは信憑性が高そうですね。

山田涼介さんは現在、都内で一人暮らしをしています。たまに実家に帰ることもあるそうで、家族仲は大変良好のようですね。

渋谷や広尾での目撃情報が多いので、その付近に住んでいるのかもしれないですね。

家族構成は両親と姉、妹の5人で、母は24歳で長女を出産し、翌年に山田涼介さん、そのまた翌年に妹さんを出産しています。

全員年子というは、とっても珍しいですね!

山田涼介の子供時代や幼少期が可愛すぎる!画像

山田家の長男として誕生した、山田涼介さん。

幼少期は天使と呼ばれるほど、とっても愛くるしい見た目をしていました。笑顔がキュートで、とっても可愛いですね。

小学生のときは、モテたいという一心でサッカーを始め、プロのサッカー選手を目指していました。

幼稚園や小学校低学年のときには、キッズの読者モデルをしていたので、すでに注目を浴びていました。

すでにモテモテだったと思いますが、もっとモテたいと思ったのですね(笑)

運動神経もよく、難関チームの湘南ベルマーレユースコースにも所属しています。

芸能界には興味がなかった山田涼介さんですが、母と姉がKinKiKidsの大ファンで、コンサートに連れて行かれます。

母と姉は、山田涼介さんをジャニーズにいれるために、コンサートを見せて興味を持たせたかったようですね。

まんまと山田涼介さんは堂本光一さんに憧れを抱き、歯はと姉は履歴書を勝手にジャニーズ事務所に送りました。

山田涼介さんは、FIFA ワールドカップの限定ピンバッジをもらえるという理由で、『Ya-Ya-yah』というバラエティー番組の公開オーディションを受けました。

応募総数3000人中から、14人のジャニーズジュニアに選ばれ、見事事務所入りを果たします。

同期には、知念侑李さんや高木雄也さん、阿部亮平さんや深澤辰哉さんがいたそうですよ。

あれだけ可愛らしい男の子だったのですから、母と姉が履歴書を送りたくなるのも納得ですね。

しかしその後、仕事で悩んでいる山田涼介さんを見て、母は責任を感じていたそうです。

最初は仕事も嫌がっていた山田涼介さんですが、今ではアイドルを天職と思えるほど、仕事が大好きになったので、母に感謝しているそうですよ。

2006年には、『探偵学園Q』で俳優デビューし、翌年には14歳で「Hey!Say!JUMP!」のメンバーとしてメジャーデビューを果たしました。

中学生でどんどん芸能活動が忙しくなったのですが、なぜか中学生になると、モテなくなったそうですよ。

そのため、「モテ」を意識して、お母さんに料理を教わったそうです(笑)可愛らしいですね!

中学生ながらメジャーデビューを果たした山田涼介さんですが、ジュニア時代は決して楽な道ではありませんでした。

同じ歳で同期入所の中島裕翔さんが、すぐに雑誌の表紙を飾ったりドラマに出演したり、エリートコース真っただ中でした。

しかし山田涼介さんは、2年間もマイクを持つことができなかったそうです。

なかなか思う通りにいかない中、毎日努力を続け、レッスンで4時間踊った後も、家に帰って鏡の前で3時間自主練をこなすという毎日でした。

骨折をして、「来なくて大丈夫」と言われたときも、無理矢理レッスンに行っていたそうですよ。

そんなとき、タッキー&翼のコンサートで、中島裕翔さんの代役が回ってきたのです。

本番2日前にオファーが来ましたが、全24曲の振り付けを完璧にやりきり、その後は不動のセンターをつとめています。

まとめ

今回は、山田涼介さんのクオーター説や出身地について、紹介しました。

整った顔立ちとお父さんがハーフっぽい顔をしていることから、フランス人とのクオーター説が浮上していました。

実際は純日本人であり、幼少期は神奈川県でサッカーに打ち込むスポーツ少年だったようですね。

これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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