有吉弘行の学歴は?出身高校は偏差値40の熊野高校!高校卒業後の進路は?

司会を中心に全てのテレビ局でレギュラーを持っていて、テレビで見ない日はないくらい大忙しで今では日本中で誰もが知っているお笑い芸人の有吉弘行さん。

2023年の紅白歌合戦の司会にも抜擢されまさに飛ぶ鳥を落とす勢いです。

頭の回転が速く司会者として数々の番組のMCを務める有吉弘行さんですが、学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

今回は有吉弘行さんの学歴について調査しました。

高校卒業後の進路についても確認していきます。

ぜひ最後までご覧ください。

有吉弘行の学歴を調査!出身中学は?

有吉弘行さんは1974年5月31日生まれで広島県安芸郡熊野町出身です。

実家の家族構成は父親・母親・4歳下の弟さんの4人です。

名前の「弘行(ひろいき)」は本名ですが、本来は「ひろゆき」でしたが出生届を書く際に酔っ払っていた父親が間違って記載したことからこの名前になってしまったそうです。

実家は田んぼに囲まれた中にあります。

具体的な時期は不明ですが、2010年に死去した父親は無職で、母親は熊野筆の穂先を造る内職をしていたそうです。一部の情報では、「広島の実家は古くから熊野筆の軸の部分を製造する工場を経営している」と紹介されていますが、有吉さんはネット配信番組やラジオでこれを否定してます。

有吉弘行さんの出身小学校は熊野町立熊野第一小学校です。

子供の頃から足が速く、小学生時代は陸上競技をしていて特にマラソンが得意でした。野球もやっていて地元の広島カープのファンでした。

また毎年のように学級委員を務めていたそうです。

子供の頃から目がクリクリでとても可愛く女子にも人気があったそうです。

元猿岩石でコンビを組んでいた森脇和成さんも同じ小学校の同級生で、図工の時間に有吉弘行さんが粘土をしているときに、森脇和成さんに話しかけられたことがきっかけで仲良くなったそうです。

有吉弘行さんの出身中学校も地元の公立校の熊野町立熊野東中学校です。

中学時代は陸上部ではなく、野球部に在籍していました。その理由は小学5年生の時に陸上クラブでいじめられていたからだそうです。嫌いな先輩が陸上部にいたので野球部に入部しました。

 

野球部だったということで中学時代の有吉弘行さんは、丸坊主でした。

元相方の森脇和成さんも野球部に所属していましたが、2人で一緒にどうやって練習をサボるかをいつも考えていたそうです。

有吉弘行さんは中学時代から校内でモノマネなどをしていて人気者でしたが、人の嫌がるモノマネをしていたそうです。

お笑い芸人を志すようになったのは中学2年生の時にとにかく女子からモテたかったからだそうです。

有吉弘行の出身高校は偏差値40の熊野高校?

有吉弘行さんの出身高校は広島県立熊野高校で、偏差値は40です。

元相方の森脇和成さんも同じ高校に通っていました。

高校ではプロレス好きが高じて、柔道部に所属していました。

当時の柔道部は弱小で、試合に出たくないためにわざと柔道着を忘れる部員もいたほどでした。

有吉弘行さんも他校との合同合宿の時に他の部員と遊んでいて、他校の顧問の教師に怒られ正座をさせられたことがあるそうです。

プロレスごっこがやりたかったので柔道にに入部したことから、あまり真面目に練習をしたことがないそうです。

高校時代の有吉さんはクラスで漫談をやったりして女子生徒を笑わせていたそうです。

当時から女子に「ブス」や「バカ」など毒舌を吐いていたそうですが、さりげなくエスコートすることに長けていたのでかなりモテモテだったそうです。

高校3年生3月に「EXテレビ」内の企画の「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人さんの弟子入りを果たしました。

有吉弘行は大学へ進学した?高校卒業後の進路は?

高校卒業後は大学へは進学せず、オール巨人さんの下で本格的にお笑い芸人を目指しました。

しかし、ある日兄弟弟子と喧嘩をして相手の歯が折れるほど殴り怪我をさせてしまったことで、「乱暴者はいらん。ちょっと休んどけ」と長期謹慎を言い渡されました。

その後上京し1994年に森脇和成さんとお笑いコンビ猿岩石を結成し、1996年に「進め!電波少年」のヒッチハイクの旅企画でブレイクしました。

オール巨人さんはそんな有吉弘行さんを「テレビで見ながら応援していた」と語っていました。

ブレイク後に相方の森脇和成さんと土下座で謝罪しに行ったそうです。

「僕に会うのがめっちゃ怖かったんですって。売れてから初めて会った時、二人して土下座したんですよ。その時、森脇くんには、君は関係ないから立ちなさいと言いました」と笑いながら話した。

引用:ORICON NEWSより

有吉弘行さんは「巨人師匠のもとで修行していたのが8ヶ月、ヒッチハイクが6ヶ月、どっちかもう一回やるとしたらヒッチハイクを選ぶ。それくらい、当時の僕には厳しく感じられた」と明かしていました。

オール巨人さんにはとても感謝していて、たまに「師匠に会うと、気が引き締まる」とも語っていました。

上京後は太田プロダクションに所属しています。

「進め!電波少年」に出演した際には書籍やCDなどが売れまくり、社会現象を巻き起こしたほどで、リリースした「白い雲のように」はミリオンセラーとなり日本レコード大賞の新人賞も受賞しました。

 

この時の収入は月収が2000万円だったことを、後に明かしていました。

しかしその後は天狗になってしまったこともあり、肝心のお笑いで結果を残せず、程なくして人気は低迷し仕事も激減しました。

7~8年間、広島のローカル局への出演以外は仕事がなく、経済的に自活もできず食事などはダチョウ倶楽部の上島竜兵さんらのお世話になっていました。2004年に猿岩石を解散し、ピン芸人として活動を始めました。

久々の全国ネット番組『内村プロデュース』(テレビ朝日)へ出演するようになり、復活への足掛かりとなりました。月収も30万円ほどになったそうです。

2007年に『アメトーーク!』、品川祐さんに対して世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現し、これが爆笑を呼び、このコメントは同番組の年間流行語大賞となり、有吉弘行さん本人も「久々に爆笑という感覚を味わった」と自賛してました。以降、有吉弘行さんはあだ名および毒舌芸人として人気を得ることなりました。

2013年には一気に5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組で仕事が大幅に広がり、2019年には全ての曜日のプライム帯に冠番組を持つ芸能史上に類を見ない〝偉業〟を達成しました。

2021年4月にはかねてから交際していたフリーアナウンサーの夏目三久さんと結婚を発表しました。

2022年の『第73回NHK紅白歌合戦』では純烈の応援ゲストとしてダチョウ倶楽部と初出演し、猿岩石の時代に果せなかった「白い雲のように」を歌唱しました。

翌年の『第74回NHK紅白歌合戦』では、司会を務めることが決定しています。

まとめ

いかがでしたか?

今回は有吉弘行さんの学歴は?出身高校は偏差値40の熊野高校!高校卒業後の進路は?について調査しました。

有吉弘行さんは地元の公立校の熊野高校出身で、高校卒業後はお笑い芸人となりました。

下相方の森脇和成さんとは小学校時代からの同級生でした。

今では数多くのレギュラー番組を抱える売れっ子ですが、猿岩石のブレイク後にはとても苦労されていたことがわかりました、

これからも有吉弘行さんの活躍を応援していきたいと思います。

最後までご覧くださりありがとうございました。

 

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