【画像】有吉弘行の卒アルを調査!学生時代の部活は野球部と柔道部?

有吉弘行さんといえば、今や冠番組をいくつも持っている超売れっ子タレントですよね。

愛のある毒舌でブレイクして以降、名司会者として、数々の番組でMCをしています。

そんな有吉弘行さんの、学生時代の卒アル画像が気になっている方も多いと思います。

今回は、有吉弘行さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

【画像】有吉弘行の中学時代の卒アルを確認!

有吉弘行さんの出身中学校は、広島県熊野町内の熊野東中学校です。

卒アル画像を見てみると、すでに有吉弘行さんができあがっていますね!ここまで変わらない人も珍しいと思います。

中学時代の同級生いわく、当時は人が嫌がるモノマネをしていたそうですよ。

昔から目がくりくりで可愛かった有吉弘行さんは、女の子にも人気があったようです。

クラス20人中10人が、「有吉派」というファンクラブに所属していたそうですよ。

学級委員を毎年のようにつとめていたり、模範的な生徒だったので、かなり人気があったようですね。

また、元猿岩石の森脇和成さんは、同じ小学校の同級生だったそうです。

図工の時間、粘土をこねている有吉弘行さんに、森脇和成さんが話しかけたことで、仲良くなったそうです。

また、この頃からすでに、将来お笑い芸人になることを意識していたそうです。

当時から熱狂的なプロレスファンだったので、新日本プロレスの事務所所属選手に、「サインください」というはがきを、手当たり次第送っていました。

すると、獣神サンダー・ライガー選手だけ、サインを送ってくれたそうですよ。

当時の有吉さんは、ライガーさんのファンではなかったものの、とても嬉しかったそうです。

【画像】有吉弘行の高校時代の卒アルを確認!

有吉弘行さんは中学校卒業後、広島県熊野高校(偏差値40)に進学しました。

当時の写真を見ると、さらに大人っぽくなってイケメンになっていますね!

森脇和成さんも、高校まで同じだったそうですよ。

昼休みに図書室へ行っては、「週刊朝日」と「サンデー毎日」を読む毎日だったそうです。

そんな中、転がし上手な後輩に、記事についての意見を求められ、何の遠慮もなく毒舌で批判を行っていたそうです。

そして有吉弘行さんは、図書室の小さなカリスマとなったそうですよ。

クラスでも漫談をやったりしていたので、女子からも人気があったそうです。

当時から女子に「バカ」「ブス」といった毒舌を吐いていましたが、さりげなくエスコートしたりしていたそうです。

そのため女子から告白されていたものの、すべて断っており、交際したことはありませんでした。

高校時代はお笑い番組をビデオに録画して、帰宅後はそれを見ながら、お笑いの研究を重ねていたそうです。

大学には進学した?

高校卒業後は、大学などに進学していません。

オール巨人さんのもとに弟子入りして、本格的にお笑い芸人を目指しはじめました。

ところが弟子時代は、ダメダメだったそうで、当時を振り返っています。

「ダメだね、気が利かないんだよね。おしぼり作っておいてって言われてもタイミングが、なんでもダメね。もう1人の弟子は上手にやるんだ。気が利くんだ。同じ18歳でも僕は全然気が利かない。どうしてこんなに気が利かないかなっていうくらい気が利かない。人の気持ちがわからない」
Yahooニュースより引用

オール巨人さんとエレベーターに乗った際、タイミング悪く閉まるボタンを押して、師匠を挟んでしまったこともあったとか。

また、ペーパードライバーで「運転できます」とウソをつき、運転中に金網をぶつける事故を起こしたこともあったそうです。

オートマ車のギア「R」を、「Run」と勘違いし、豪快にバックしてしまったそうですよ。

そのためオール巨人さんには、8か月後に「2年間社会勉強して帰ってきな」と、事実上の破門を言い渡されてしまいます。

巨人師匠には『お前は俺のことを好きじゃない。そうだろ!』って言われてあわあわしちゃった。『なんであわあわするんだよ! 好きです、でいいだろ!』って。
Yahooニュースより引用

オール巨人さんは礼儀には特に厳しいので、成長できる大きなチャンスだったかもしれませんね。

また、兄弟子と喧嘩をして、相手の歯が折れるほど怪我をさせてしまったことも、謹慎を言い渡された理由だったようです。

その後、有吉弘行さんは猿岩石としてブレイクし、相方の森脇さんと土下座をして謝罪しています。

オール巨人さんに会うのはすごい怖かったそうですが、森脇さんまで土下座したので、「君は関係ないから立ちなさい」と言われたそうですよ。

勝手に上京した有吉弘行さんは、太田プロダクションに電話し、1年後に正式に所属しました。

有吉弘行さんは、20歳のときに猿岩石を結成し、1996年に「進め!電波少年」のヒッチハイク企画で大ブレイクしました。

CDや書籍も飛ぶように売れ、社会現象を巻き起こし、「白い雲のように」はミリオンセラーとなり、日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

またブレイク時は、月収が2000万円だっそうで、想像を絶する売れっ子っぷりですね。

しかし、どんどん人気が低迷し、2004年に解散しています。

その後は広島県を中心に、ピン芸人として活動していました。

そして、33歳だった2007年に、毒舌芸人として再ブレイクしています。

翌年には、菊川怜さんに「高学歴アンパンマン」「行き遅れ」「人生ラストチャンス」といった毒舌を吐いて、号泣されてしまいます。

その後、謝罪するも、有吉弘行さんはにやけ顔だったことから、また激怒されてしまいます。

有吉弘行の学生時代の部活は?野球部と柔道部だった?

有吉弘行さんは中学時代、野球部に所属していました。

そのため、中学時代は丸坊主だったそうですよ。

小学生までは陸上をしていたのですが、嫌いな先輩が陸上部にいたので、野球部に入ったそうです。

足が速かったので、チーム期待の星だった有吉弘行さん。野球部で唯一、ナックルボールを投げられたそうですよ。

ただ、野球選手を目指していたわけではなく、当時からお笑い芸人を目指していました。

また、森脇和成さんも野球部に在籍していたそうですよ。

2人はやる気がなく、いつもどうやって練習をサボるのか、考えていたそうですよ。

高校時代は、プロレスが好きだったので、柔道部に所属しました。

ただし当時、柔道部は弱小でした。

あくまでプロレスごっこがやりたいだけで、真面目に練習をすることはありませんでした。

学校の武道館は40畳もあったのですが、ゴロゴロして贅沢なひとときだったそうです。

柔道着は使っていないので、汗臭くもなく、フローラルの香りがしていたとか。

地方で試合があるときは、学校を休みたいがために皆で行ったのですが、試合に出たくないとわざと柔道着を忘れていたそうです。

また、他校との合同合宿で遊んでいたところ、他校の顧問の教師が激怒し、正座をさせられたことがあったそうです。

合宿中、有吉弘行さんたちは憩室でトランプや漫画、プロレスごっこをしていたとか・・・本当に弱小ですね(笑)

顧問の先生がおじいちゃん先生だったので、サボっていても特に注意されなかったそうです。

また当時、高校の陸上部の顧問が自慢ばかりで気に食わなかったため、有吉弘行さんは友人を誘って町内駅伝大会に出場します。

「熊野高校 陸上部チームA」というチーム名で、あえて私服でグダグダに走ったそうですよ。

陸上部の悪評を広めるためだったそうで、結果は最下位で、その後にバレて怒られたそうです。

なんだかめちゃめちゃな学生時代だったのですね(笑)

まとめ

今回は、有吉弘行さんの卒アル画像について、紹介しました。

有吉弘行さんは学生時代、とても可愛らしい顔立ちをしており、今と全く変わっていないことが驚きました。

運動神経は良かったのですが、サボリ癖があってやる気がなかったのが、有吉弘行さんらしいですね。

今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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