柳楽優弥にハーフの噂!実家は東大和市で両親は芸能人?幼少期や子供時代を調査!画像

今や映画やドラマでひっぱりだこの柳楽優弥さん。

クールで濃い顔立ちと、独特の色気が魅力的の俳優ですよね。

そんな柳楽優弥さんはプライベートをあまり話さないのですが、実家や家族構成について気になる人も多いと思います。

今回は、柳楽優弥さんの実家について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

柳楽優弥にハーフの噂?真相を調査!

柳楽優弥さんの家族構成は、両親と妹の4人です。

豊田エリーさんと結婚してからは、娘さんと3人家族のようですね。

柳楽優弥さんの妹に関しては、確実な根拠がなく、1人っ子という説もあります。

あまり、柳楽優弥さんの家族について話はしていないようですね。

柳楽優弥さんと豊田エリーさんは、2010年に結婚しており、現在10歳の娘さんがいらっしゃいます。

豊田エリーさんは柳楽優弥さんと同じ堀越高校で、1歳先輩でした。

現在は夫でもあり、パパでもある柳楽優弥さん。とても印象的な目元をしていて、男らしくてかっこいいですよね。

そのため、「ハーフではないか?」と言われることもあるようです。

少し日本人離れした雰囲気を持っていますから、ハーフやクウォーターと思わるのも不思議ではありません。

しかし、柳楽優弥さんは純日本人のようです。豊田エリーさんがハーフなので、情報が混同することもありそうですね。

柳楽優弥の実家は東大和市?両親は芸能人ってホント?

柳楽優弥さんの実家は、東京都東大和市だと言われています。

東大和市は西東京のほうにあって、埼玉県との県境です。東京都の多摩地区と言われているようですよ。

柳楽優弥さんは実家から堀越高校に通っていましたが、埼玉県との県境となると、かなり距離があったでしょうね。

電車通学でしょうし、毎日通学だけでもかなり苦労しそうです。

柳楽優弥さんは12歳で芸能界入りされているので、中学生で実家から都内まで通っていたのでしょう。

柳楽優弥さんのご両親についても、全くと言っていいほど情報がありませんでした。

柳楽優弥さんが俳優になるきっかけは、お母さんだったそうです。

柳楽優弥さんの友達に芸能活動をしている人がいて、それを見て興味を持った柳楽優弥さんは、お母さんに相談をしました。

お母さんは芸能事務所に応募することを勧め、12歳で芸能界入りを果たします。

そして、いきなり映画『誰も知らない』で俳優デビューし、14歳でカンヌ映画祭で賞を受賞したのでした。

柳楽優弥さんは、「人を笑わせたい」という思いから、芸能界にあこがれるようになったそうですよ。

柳楽優弥さんは結婚してから実家を出ていますが、現在は品川区付近に住んでいるそうです。

今はお子さんもいますし、学区に影響のない範囲で引っ越していそうですね。

柳楽優弥の生い立ちを調査!幼少期や子供時代の画像を確認!

柳楽優弥さんは、中学時代の同級生が芸能事務所に所属して、ドラマに出演しているのをみたことがきっかけで、「自分もテレビに出てみたい」と思うようになりました。

そして、母に相談してスターダストプロモーションに応募し、芸能界活動をスタートします。

14歳で初めてオーディションを受けたのが、2004年公開の映画「誰も知らない」でした。

是枝谷和監督は、オーディションで柳楽優弥さんを見て、「目に力がある」と見抜いて、主演に大抜擢します。

その才能はすぐに認められ、柳楽優弥さんは日本人初、そして最年少となるカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞しました。

他にも、キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞といった合計6つの賞を総なめにしたのです。

それ以降は、次々とドラマ、映画に引っ張りだことなり、2005年公開の映画「星になった少年」、2006年公開の映画「シュガー&スパイス」と、話題の映画で主演を務めるようになりました。

2007年ごろまで毎年主演映画に出演していた柳楽優弥さんですが、その快進撃も長くは続きませんでした。

「柳楽優弥といえばカンヌ」と先入観を持たれるようになり、やりづらさを感じたそうです。

カンヌで主演男優賞をいただいたりしたんですけど、言ってみれば役者のゴールみたいなものがいきなり最初にきてしまった感じがあって。14歳にして、これからどうすればいいんだ?と。当然キャリアも始まったばかりで、どうやって自分を成長させていけばいいんだ?ともんもんと悩んでいた日々が続いていました。
VOGUE GIRLより引用

俳優として、今後何を目標にしていけばいいのか、長い間悩んでしまったそうです。

その影響からか、仕事の量が減っていき、体調もすぐれない期間が続きます。

柳楽優弥さんは10代で、“才能”という言葉が大嫌いになってしまったそうです。

そんな中、柳楽優弥さんは2008年に「柳楽優弥 自殺未遂か」と大きく報道されてしまうのです。

親との口論が原因だったそうで、大量に精神安定剤を服用したことで、救急車で緊急搬送されています。

なんとか一命をとりとめたのですが、大量に薬を服用したことに驚いた家族が、救急車を呼んだそうです。

当時の警察の発表では、突発的に感情的になってしまい、大量の薬を服用し、意識を失った、ということでした。

ただし、本人が完全復帰した際に、「自殺未遂疑惑」を完全否定していました。

柳楽優弥さんはもともと精神安定剤を飲んでいたそうで、当時誤って多めに飲んでしまい、意識を失ったそうです。

柳楽優弥さんは、子役時代に大きな賞を受賞し、天狗になっていたと振り返っています。

天狗(てんぐ)なんてもんじゃない。わがままで生意気でした。ガキのくせして『やる意味がない』とか言って偉そうに仕事を断ったりして。それによって周りに迷惑をかけていることにもまったく気づいていませんでした。10代の僕は、本当にタチが悪かった。今ここにいたら、ぶん殴ってやりたいほどです
exciteニュースより引用

10代の若さで成功をおさめると、挫折した時の絶望感は計り知れないでしょうね。

かなり重度の鬱状態だったという報道もありましたが、実際のところは不明です。精神安定剤を飲んでいたという時点で、メンタルがやられていたのは間違いないでしょう。

その後も柳楽優弥さんはメンタルが安定せず、2009年の「戦慄迷宮」の製作会見で、激太りした姿が話題になっていました。

豊田エリーさんと結婚してからも、仕事がない日々や人間関係のストレスから、過食に走ってしまい、一日に8食の暴食生活を送っていたそうです。

その結果、体重は82kgまで増えてしまい、今のシャープな面影がなくなっています。

結婚をして幸せな家庭があるものの、仕事面でストレスを抱え、結果として過食症になってしまったようです。

その後、2010年から家庭を支えるためアルバイトを始め、車のディーラーで洗車をしたり、飲食店で働くようになります。

今までしてこなかった経験をしたことで、柳楽優弥さんにとってかなりプラスになったそうです。

「21歳にしては常識がないまま来てしまったことに対して、コンプレックスに近いものを感じていました。でも、アルバイトのお陰で社会の常識や知識を身に着けることができたし、いろんな人と触れ合う中で、人として様々なことを学んだ気がします」
マイナビ転職より引用

中学生の頃から芸能界しか知らなかったのですから、社会経験をするのはとても大事なことですね。

別の世界を経験することで、俳優の世界の素晴らしさにも改めて気づいたそうです。

俳優という仕事が心底好きなことにも改めて気づいた。
「洗車しながら『いつか必ずこの経験を俳優業で生かそう』と思ったり、ふとした瞬間に『次はこういう作品に出たい』『この表情を今度芝居で生かしたい』と思ったり。俳優という仕事のことを片時も忘れたことがなかった。もっと大切にしなくちゃと思いました」
マイナビ転職より引用

仕事に対して長い間悩み続けた柳楽優弥さんですが、「俳優をもう一度頑張りたい」という気持ちになりました。

実は柳楽優弥さんは、舞台の仕事で歌舞伎俳優・中村勘三郎さんに、初対面でいきなり「君は見栄えが悪いから俳優辞めなさい」と言われたそうです。

俳優のモチベーションが上がってきたのに、「俳優をやめなさい」といわれたことで、「このままではまずい」と奮起したそうです。

運動や食事制限をするようになり、わずか3カ月で20kgの減量に成功しました

中村勘三郎さんには今も感謝しているそうで、俳優復帰に向けて大きな前進をすることが出来たようです。

2012年5月3日より公開された舞台「海辺のカフカ」では、俳優として復帰できたのを感じられたそうです。

その後も、映画「闇金ウシジマくん」「銀魂」「今日から俺は!!」など、話題作に出演し、2021年にも映画「HOKUSAI」「太陽の子」といった作品に出演しています。

俳優として完全復活を果たした柳楽優弥さんから、目が離せないですね!

まとめ

今回は、柳楽優弥さんの実家について、紹介しました。

整った顔立ちからハーフだと思われることも多いようですが、純日本人であることが分かりました。

柳楽優弥さんの実家は東大和市にあるそうですが、両親や兄弟の情報はあまりないようですね。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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