斎藤工の実家は金持ち?両親は臼杵でカフェを経営!幼少期や若い頃の画像も確認

斎藤工さんといえば、大人の色気たっぷりで、女性を中心に人気を集めていますね。

俳優としてはもちろんのこと、映画監督やモデル、デザイナーとしての才能も発揮しています。

そんな斎藤工さんですが、実家について気になっている方も多いのではないでしょうか。

今回は、斎藤工さんの実家について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

斎藤工の実家は金持ち?噂の真相を徹底調査!

斎藤工さんは東京都出身で、実家はお金持ちなのではないか、という噂があります。

もともと父親が俳優という噂があったのですが、斎藤工さんの父親は、映画製作や配給をおこなっている「東北新社」という会社に勤めていました。

この会社は業界では有名企業で、最近では『ひつじのショーン』『サンダーバード』などの映画も手掛けています。

東京の赤坂に本社ビルがあり、年商約600億円という大企業。そのため、斎藤工さんの父親もかなりの年収を稼いでいたと思われます。

このような映画製作・配給を手掛ける企業に勤めていたことから、斎藤工さんの父は元俳優という噂が流れたようですね。

父はほどなくして会社を退職し、三軒茶屋にレストランをオープンさせています。

斎藤工さんのご両親がかつてレストラン『食堂デリカッテ』を経営していた場所は、世田谷区太子堂2-4-11です。最寄駅は三軒茶屋駅になります。

そのため実家は三軒茶屋の近くなのかな?と思ったのですが、『食堂デリカッテ』はリニューアルオープンしていました。

リニューアル前は、東京都世田谷区豪徳寺1-45-11に店をかまえていたので、小田急線の豪徳寺駅か東急世田谷線の宮の坂駅近くのようです。

また、斎藤工さんの出身高校は日本学園高等学校で、こちらは東京都世田谷区松原2-7-34になります。

斎藤工さんが幼少期に暮らしていたのは、三軒茶屋~豪徳寺近辺という可能性が高いですね

斎藤工の両親は臼杵でカフェ・レストランを経営!画像

斎藤工さんの実家は、レストラン『食堂デリカッテ』を経営していました。

イスラエル料理をメインとしており、中近東の料理を多く提供しています。ケバブライスやビーフブルギニヨンといったあまり馴染みのない料理が多いです。

この『食堂デリカッテ』は、川村ひかるさんが「某有名俳優のご両親がオーナー」とブログで紹介し、斎藤工さんの実家であることが発覚しました。

それを見たお客さんが、斎藤工さんの実家であることをSNSで拡散し、有名になってしまったようです。

『食堂デリカッテ』は珍しい中近東の料理が食べられるとあって、人気も上々だったようです。

客さんに対し、激辛のソースに気を付けるよう注意したり、子連れの方にはご飯多めによそってくれたりと、両親の暖かい人柄がよくわかりますね。

ケバブは通常ラム肉を使用するのですが、日本人向けに豚肉を使うアレンジがしてあります。

ケバブはトルコ料理でイスラム教国のため、豚肉を食べる習慣がありません。本場で豚を出すことはできませんが、日本人には臭みの無い豚肉のほうがなじみ深いですよね。

実は、この「食堂デリカッテ」は、2016年2月26日に閉店しています。

ご両親は現在大分県に移り住み、大分県臼杵市大字二王座131にある『古民家カフェCafe Delicatte(カフェ・デリカッテ)』を経営しています。

斎藤工さんのお姉さんが嫁いだ先が、大分県だったようですね。

『食堂デリカッテ』を閉店した理由は、斎藤工さんが有名になったことで迷惑行為が増えたからのようです。

もともと姉が大分に嫁いだことで、いつかは大分に移住する予定だったのですが、斎藤工さんの実家がバレてしまい、一般人が盗撮したり、ピンポンダッシュするなどの迷惑行為があったようです。

仕方なく表札を外し、母方の姓を使ったりと対策もしたようです。

実際に両親と会ってインタビューをしたMCの笑福亭鶴瓶が「大分に住み着いて、そこでお店しようかって言っていたで」と裏話をすると、斎藤も「そうなんですよ、たまに土地を探していたりして。僕も大分に通えないかな、なんて思っているんです」と返す一幕も。
どうやら今回の移転は、数年越しの夢が叶ったということでもあるらしい。
週刊女性PRIMEより引用

表札変えるほどというのは、かなり迷惑行為に悩んでいたのでしょう。

また、両親揃って放浪癖があるようで、メキシコやグァテマラに住んでいたこともあるとか。

そのため、長年住んできた所を離れて、知らない土地に住むのはそこまで抵抗がないのかもしれません。

斎藤工さんも両親の影響からか、高校生の時にバックパッカーで世界を回っていたようです。

世界を回って、いろいろな国の料理を食べたからこそ、『食堂デリカッテ』をオープンさせたいと思ったのでしょう。

現在は大分県臼杵市でカフェを経営していますが、迷惑行為をうけることなく営業してほしいですね。

斎藤工の幼少期や若い頃の画像も確認!

斎藤工さんは幼少期から変わった少年だったそうで、「子供の頃は犬に育てられた」という驚くべき発言もしていました。

「姉が言ってたんですけど、僕が0歳くらいの時、ベランダから落ちそうになったことがあって、飼っていた犬が洋服の首元をくわえて寝床に戻してくれた」と驚きの体験を告白。愛犬に命を助けられた斎藤は、「犬に育てられました。『もののけ姫』は他人ごとではありません」と茶目っ気たっぷりに明かした。
Yahooニュースより引用

斎藤工さんのご両親は、シュタイナー教育に熱心だったそうで、1987年に国内で初めて新宿区にできたシュタイナー学校「東京シュタイナーシューレ」(現シュタイナー学園)の設立にも携わっていたそうです。

斎藤工さんのお姉さんが1期生で入学し、斎藤工さんも2期生としいて、小学1~6年生まで在学ました。

法律に基づく学校ではなく、経済的にはかなり厳しかったそうですよ。

「バザーを開いたり、いろんな人がカンパしてくれたりしていた。今思うと本当にありがたい」。運動会を吉祥寺の井の頭公園で開いたことも。「玉入れとか。あれ、勝手にやっていたんですよね」。各家庭が当番制で昼食をつくるなど、教員と保護者が協力して運営していた。
子ども同士、親同士の関係も密だった。同級生の家に泊まったり、自宅にみんなが来る「お泊まり会」もあった。
デイリーニュースより引用

当時の斎藤工さんを知る先生は、斎藤工さんはクラス一のやんちゃ坊主で、問題児だったと話していました。

しかし、周りの大人が自分ごとのように心配してくれたそうで、それを感じ取った斎藤工さんも、子どもながらに罪悪感を感じたそうです。

斎藤工さんは小学6年生の3学期に公立校へ転校し、シュタイナー教育と大きな違いがあることに戸惑ったそうです。

公立校では「(絵に)輪郭があり、その中に色がある感じ」と表現。ただ、公立でも素晴らしい仲間との出会いがあり「否定するつもりはない」とした。両者の違いを知って、物事のとらえ方の基礎になったと語った。
デイリーニュースより引用

斎藤工さんが俳優を目指すきっかけとなったのは、父の仕事や幼少期に映画にたくさん触れたことでした。

父は映画に携わる会社に勤めており、幼い頃から頻繁に映画館へ行ったり、自宅で映画を見ることが多かったそうです。

斎藤工さんにはお姉さんが1人いるのですが、喧嘩になるとかなり大変だったようです。

口喧嘩でも殴り合いの喧嘩でも、姉に勝つことはできずにいつも負けていたといいます。

馬乗りになって往復ビンタされたそうで、反撃することも出来ずに失神するしかなかったとか(笑)

そんなお姉さんは日本体育大学進学後、ライフセーバーになったそうです。すごいパワフルですね!

まとめ

今回は、斎藤工さんの実家について、紹介しました。

東京都で生まれ育ち、両親は三軒茶屋でレストランを経営していたことが分かりました。

現在は姉の嫁ぎ先である大分県に移住し、カフェを経営しているそうです。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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