宮沢氷魚はクォーター!出身はサンフランシスコで国籍は?子供の頃や幼少期がかわいい!

映画やドラマで大活躍中の俳優・宮沢氷魚さん。

色素が薄く、日本人離れしている容姿をしていますが、実はクオーターということがわかっています。

今回は、宮沢氷魚さんの出身地について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

宮沢氷魚の母親はハーフでアメリカ人のクォーター!

宮沢氷魚さんの父親は、「島唄」などで知られる人気ロックバンド「THE」BOOM」のボーカル・宮沢和史さんです。

そして母親は、タレントの光岡ディオンさん。

光岡ディオンさんは、母がアメリカ人、父が日本人のハーフなので、宮沢氷魚さんはクオーターということになりますね。

宮沢氷魚さんが色素が薄く、外国人風な雰囲気が漂っているのも、クオーターということで納得ですね。

宮沢氷魚さんはアメリカで誕生しているのですが、光岡ディオンさんの故郷だったわけですね。

その後すぐに帰国したので、物心ついたころには日本で生活しています。

その見た目や、英語が堪能なことから、アメリカ生まれのアメリカ育ちと思われることが多いようです。

光岡ディオンさんは、出産後も仕事と育児を両立しており、タレント活動を続けています。

「直撃LIVEグッディ!」の、月曜日コメンテーターとしてもお馴染みでしたね。

そんな宮沢氷魚さんは、芸名ではなく本名なんですね。「氷魚(ひお)」という珍しい名前には、鮎の稚魚である氷魚のことを指して言います。

氷魚は、冬の冷たい水でも生き抜くことから、どんなに厳しい環境でも強く生き抜いてほしい、という願いが込められているようです。

宮沢氷魚のお父さんは無類の釣り好きであることから、魚にちなんだ名前が命名されたようですね。

宮沢氷魚さんは、色素の薄く茶色の髪色をしていますし、目の色も透き通っていますよね。

カラコンを入れている?と思われることが多いそうですが、父の宮沢和史さん譲りのようです。

宮沢和史さんは、目の色が薄い茶色で、少し緑がかっているので、父親譲りのようです。

宮沢氷魚さんはとても色白で、茶髪なのも地毛のようですね。そのあたりは、母親の光岡ディオンさん譲りのようです。

宮沢氷魚はサンフランシスコ出身?国籍はどこ?

宮沢氷魚さんは1994年4月24日、アメリカのサンフランシスコで誕生しました。

生まれがアメリカなので、アメリカ国籍を取得することも可能なのですが、宮沢氷魚さんは日本国籍のようですね。

ちなみに、宮沢氷魚さんは、韓国人の血も混ざっているのでは?という噂もありました。

宮沢氷魚さんの見た目が、韓流アイドルっぽいからということでしたが、これはガセネタですね。

アメリカで生まれた場合、日本とアメリカの二重国籍になります。22歳までに、どちらの国籍になるか、選ばないといけないそうです。

だいたいは20歳の成人するタイミングで、どちらかの国籍を選ぶようです。

宮沢氷魚さんは高校卒業後に2年間、アメリカの大学へ留学し、その後は帰国してICU大学に通っていました。

現在は日本で活動していますから、日本国籍を選んだとみて間違いなさそうですね。

ちなみに、光岡ディオンさんも国際基督教大学(ICU)出身なので、母と同じ大学を選択したのですね。

宮沢氷魚さんは幼稚園~高校まで、日本のセントメリーズインターナショナルスクールで過ごしました。

このインターナショナルスクールは、1954年に設立された由緒ある学校で、学費がかなり高額なことでも有名です。

「セントメリーズインターナショナルスクール」は国内でもトップクラスの難関学校です。

偏差値でいうと、70以上と予想されます。日本にいる優秀な外国人を教育するための学校で、日本人が入学すること自体、難しいとされています。

卒業生は、世界トップクラスの大学に推薦入学できるということですから、宮沢氷魚さんは大変優秀だったのですね。

アメリカで生まれたこともあり、宮沢氷魚さんはいつかアメリカに住んでみたい、と夢を抱いていました。

そして、カリフォルニア大学サンタクルーズ校に進学します。

10年以上インターナショナルスクールに通っていたので、英語はネイティブレベルです。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校在学中、芸能界に興味を持ち、レプロエンターテインメントに履歴書を送ったそうです。

宮沢氷魚さんはICUで環境学を学んでいたそうですよ。入試が特殊なことから、偏差値が計れない大学なのですが、そんな大学に親子そろって入学しているので、大変優秀なのですね。

その後は、「MEN’S NON-NO」の専属モデルオーディションでグランプリに輝き、モデルデビューしています。

宮沢氷魚の子供の頃や幼少期がかわいい!髪の色や瞳の色を確認!

宮沢氷魚さんはクオーターということから、生まれつき髪の毛の色が茶色く、色素が薄かったようです。

幼少期の写真を見てみると、とってもかわいいですよね。

幼いころは、お母さんの実家であるアメリカで、ハロウィンを過ごしていたそうですよ。

「アメリカはハロウィンの本場でもあるので、かなり気合が入っていて、我が家では毎年母が手作りでコスチュームを作ってくれていました。」
マンタンwebより引用

お父さんは多忙だったため、家にあまりいなかったそうで、お母さんと過ごすことが多かった宮沢氷魚さん。

お母さんも仕事をしていたので、ひとりでお留守することもあり、芸能界は嫌いだなと思ったこともあるようです。

また、小学生のときは、髪の色が原因でいじめを受けたり、周りの子から「Japanese」とからかわれたそうです。

「宮沢氷魚」という珍しい名前も、「冷凍マグロくん」とあだ名をつけられて、いじられていたそうです。

当時はあまり好きではない名前だったのですが、今は個性的で大変気に入っているそうですよ。

そんな宮沢氷魚さんは、10歳の時に横浜スタジアムで横浜対阪神戦を観戦してから、野球のとりこになりました。

横浜の鈴木尚典選手がサヨナラホームランを放ち、そのことに感動したそうです。

地元の少年野球チームに入り、運動神経がよかったことから才能が開花します。小学4年生~3年連続選抜メンバーに選ばれたそうですよ。

プロ野球選手を目指して、中学では硬式野球「世田谷ボーイズ」に所属しています。

しかし、自分よりも上手な子に抜かされてしまい、レギュラー入りを逃してしまいました。

それでも高校まで野球を続けています。野球を通じて、努力や鍛錬、プレーすることの楽しさを覚えたそうです。

今でも実家に帰った際は、弟さんとキャッチボールをしているそうですよ。

まとめ

今回は、宮沢氷魚さんの出身地について、紹介しました。

母の光岡ディオンさんの母国である、アメリカサンフランシスコで誕生した宮沢氷魚さん。

高校までを日本ですごしていますから、国籍は日本のようですね。

今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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