ドラマや映画に引っ張りだこの、俳優・山田裕貴さん。
「国宝級イケメンランキング2022下半期」で「ADULT部門」の1位に選ばれ、殿堂入りしたほどの売れっ子っぷりです。
そんな山田裕貴さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのか、気になっている方も多いと思います。
今回は、山田裕貴さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
山田裕貴の学歴は?出身中学は?
愛知県名古屋市出身の山田裕貴さん。名古屋市立高見小学校時代は、野球に打ち込む少年でした。
父が元プロ野球選手・山田和利さんだったこともあり、小学校3年生から地元にある軟式野球チームに所属します。
そのリトルリーグは強豪チームで、全国大会に出場したこともあるほどです。
やんちゃ坊主だった山田裕貴さんですが、野球以外だと恐竜やプラネタリウムが好きだったそうです。
好きなものをとことん追求する少年だったそうで、宇宙の仕組みや宇宙人を調べて、星空を眺めることもあったそうです。
お母さんはそんな山田裕貴さんを、『宇宙人』と呼んでいたそうですよ(笑)
野球少年だった山田裕貴さんですが、内心プレッシャーを感じていたそうです。
プロ野球選手の息子って言われるのもプレッシャーで、僕が父を追いかけているのか、ちゃんと自分の人生を生きているのかわからなくて。何のために野球をやり始めたんだっけって悩み始めたら、全然頑張れなくなっちゃって
サンスポより引用
「名古屋市立若水中学校」時代は、名古屋市内のシニアリーグ名古屋北シニア」に所属し、プロ野球選手を目指していました。
このチームは、全国大会の常連で、日本一にも選ばれたほどの強豪チームです。
山田裕貴さんはピッチャーをしており、髪型も丸坊主で野球一筋の学生生活だったそうですよ。
足は早かったのですが、打力が弱くパワーがなかったので、レギュラーには選ばれませんでした。
周りには凄腕の選手がゴロゴロいて、野球選手としての体格差やセンスの差を見せつけられたそうです。
また、『お父さんがプロ野球選手なのに』と言われ、だんだん重荷になってしまいます。
そして、中学3年生で野球を辞めてしまったのです。「男として負けだ」と思ってしまったそうですよ。
一方恋愛面では、丸坊主だったこともありモテなかったのですが、髪が伸びてからはモテ始め、バレンタインチョコももらうようになりました。
中学校の卒業式で、好きな子のために“第2ボタン”だけは守ってて。“第2ボタンは、あの子にしかやらん”って言ってたら、小学校からの女の子の友達が“あの子にあげたいんでしょ。言ってきてあげる”って言ってくれて。
日テレNEWSより引用
そして、好きな人が山田裕貴さんのところまで来てくれて、無事第2ボタンを手渡すことができたそうです。
しかし恋愛に関しては、かなり奥手だった山田裕貴さん。
その好きな子一筋だったため、2、3年の間に5回くらい同じ人に告白したそうですよ。
イケメンでモテモてだと思いきや、そんな可愛らしい時代もあったのですね。
山田裕貴の出身高校は偏差値52の東邦高校?父の母校と同じ?
中学校卒業後、山田裕貴さんは東邦高校(偏差値52)に進学しました。
この高校は、父・山田和利さんの母校で、野球の強豪校でもあります。
山田裕貴さんは、中学校で野球を辞めてしまったため、野球部には所属しませんでした。
本当は帰宅部で遊ぼうと思っていた山田裕貴さんですが、父に『帰宅部だけは許さない!』と言われたそうです。
そのため、友達がいたバレーボール部に所属したそうですよ。
高校3年生のときには、現東邦野球部のコーチで、当時クラスメイトだった親友が、甲子園に出場するのを応援しに行ったそうですよ。
そのとき、試合が始まる前から、涙がとまらなかった山田裕貴さん。
野球をしている親友を見て、『この人たちは人生諦めなかった人たち。俺は1回終わっている。』と思ったそうです。
父は野球をやめた山田裕貴さんに、『俺は野球をやれとは一度も言っていない。やると決めたのになぜ最後まで続けなかったのか』と、言われたようです。
その言葉を受け、山田裕貴さんは次に何かをするときに、必ず最後までやり遂げようと決意します。
高校時代には初めて彼女がかかったのですが、相変わらず奥手な山田裕貴さんは、手を繋ぐのに4カ月もかかったそうですよ。とっても可愛らしいエピソードですね!
山田裕貴は大学に進学した?卒業後の進路は?
山田裕貴さんは高校卒業後、大学には進学していません。
野球で挫折したときに、いろいろと考えた結果、俳優になりたいと思い始めます。
学生時代にめったに家にいない父が帰ってきて、家族みんなでテレビや映画を見る時間が、とてもかけがえのないものだと思ったからだそうです。
父が野球でテレビに出ているのを観て、「カッコいい」とも思っていたそうです。
そして、野球選手としてテレビに出ることはかなわなかったものの、俳優としてだったら出られるかもしれない!と思ったそうです。
また、妹がワタナベエンターテイメントの養成所オーディションを勧めてくれたことももあり、上京して俳優を目指すことになります。
漠然と大学に行きたくないとも思っていたそうで、俳優養成所に通うのは運命だったのかもしれません。
当時は生活もギリギリで、ファーストフード店や居酒屋でアルバイトをしながら、演技のレッスンを受けていました。
もともと、エンターテイメントの世界が好きだったことから、モデルやお笑い芸人も視野に入れていたとか。
しかし特別に面白いわけでも、背がものすごく高いわけでもないし、歌がうまいわけでもない。ということから、俳優を選ぶことにしました。
ワタナベエンターテイメントカレッジに入ったあとは、2010年に「D☆DATE新メンバーオーディション」に参加します。
ファイナリストに残ったものの、新メンバーには選ばれませんでした。
しかし、事前投票で1位だったこともあり、急遽設けられた「D-BOYS部門」のグランプリを獲得し、事務所に所属します。
2011年に放送されたドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』で俳優デビューを果たします。
俳優集団「D2」を経て、2013年には「D-BOYS」のメンバーになりました。
その後、数々の作品に出演し、2017年には大河ドラマ『おんな城主 直虎』や、映画14本に出演し、その活躍と演技力から、「カメレオン俳優」とも呼ばれるようになりました。
まとめ
今回は、山田裕貴さんの学歴について、紹介しました。
山田裕貴さんは小学生のときから野球を始めたものの、中学時代に実力の差から挫折してしまったようです。
東邦高校ではバレーボール部に所属し、俳優を志すために上京、大学には進学しなかったようですね。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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