松山英樹の出身高校は偏差値47の明徳義塾?最終学歴や大学の学部も確認!

2021年4月におこなわれたマスターズ・トーナメントにて、日本人初優勝の快挙を成し遂げた松山英樹さん。

4歳からゴルフをはじめ、中学~大学までゴルフの名門校に通っていた経歴があります。

そんな松山英樹さんが、どのような学生時代を過ごしてきたかが気になりますよね。

今回は、松山英樹さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

松山英樹の学歴を確認!出身中学はどこ?

愛媛県松山市出身の松山英樹さんは、地元にある松山市立雄郡(ゆうぐん)小学校に通っていました。

両親と姉、妹の5人家族のもと、3人きょうだいの真ん中として育ちました。

父の幹男さんが元トップアマチュア選手だったことから、松山英樹さんも4歳の頃からゴルフをはじめます。

「4歳の時、父に練習場に連れられて行ったことがきっかけでした。記憶は曖昧なんですけど、ゴルフを始めたばかりで1日に1300球を打ったみたいです…。何が楽しかったかは分からない。でも、分からないから今もやっているんじゃないですかね」
芸能人学歴.comより引用


また、小学1年生で初めてゴルフのフルセットを買ってもらったそうで、翌年にはスコアが100を切るほどの腕前だったそうです。

小学校卒業後、愛媛県松山市立雄心(ゆうしん)中学校に進学します。

中学校の近くにゴルフクラブがあり、そこで学校帰りに練習をしていたそうです。

中学1年生のときに、あの石川遼さんと一緒にラウンドを周ったことがあるそうですよ。

「遼とは中学1年の時に試合で初めて一緒に回ったんです。ビックリしました。ドライバーショットで40~50ydくらい置いていかれました。身長は、僕は160cmないくらい、遼は163cmはあったんじゃないかな…。それにしてもスイングがキレイで『スゲエ。こんな奴がいるのかよ…』って」
週刊新潮より引用

中学校2年生になると、よりゴルフ環境の整った場所を求め、高知県にある明徳義塾中校(偏差値48)に転校しました。

父の薦めでもあったそうで、ゴルフ部のある明徳義塾中学校にゴルフ留学します。

もともと、父の幹男さんが明徳中学の高橋章夫監督に勧められたそうで、松山英樹さんも転校することに迷いはなかったそうです。

中学校に入学後は、高校卒業までずっと寮で生活しました。

寮は2人部屋だったそうで、生活のことも含め数多くのことを学びました。しかし、松山英樹さんは中学時代に体格が小さく、ゴルフで目立った活躍はしていません。

松山英樹の出身高校は偏差値47の明徳義塾?エピソードも!

中学卒業後、高知県にある明徳義塾高校(偏差値42)に進学しました。

この高校は部活動が盛んで、硬式野球部、ゴルフ部、卓球部、剣道部が全国的に有名な強豪校です。

松山英樹さんはもちろんゴルフ部に所属し、ゴルフ漬けの日々を送ります。

高校2年生のときには、全国高校ゴルフ選手権で優勝を果たしています。

しかし、当時は同学年の石川遼さんが大フィーバーとなっており、高校生でツアー優勝を果たしていたため、松山英樹さんは影に隠れていました。

そんな中でも、2008年に全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝を果たし、日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選出されています。

その後、石川遼選手はプロデビューを果たし、どんどん結果を残して有名になって行くのを見て、松山英樹さんも悔しい思いをしました。

「『やっぱりスゴかった』って思ったら、その2カ月後にプロの試合で勝ってしまった。友達からそのニュースをバスの中で聞いたんですけど、『え?ローアマチュア(その大会に出場していたアマチュアの中で最高の成績を収めた選手)じゃないの?』って信じられなかった。だって決勝36ホールに入る前にトップと7打差あったんですよ。まさか…スゴイなあ…と思ったけれど、2カ月前に一緒に回ったヤツが…と思ったら悔しかった」
芸能人学歴.comより引用


その影響もあって、松山英樹さんは高校時代『ゴルフ部員史上最高の練習量』と、当時の監督が語っていました。

やはり成功するまでの陰には、想像を絶する努力があったのですね。

松山英樹の最終学歴を確認!東北福祉大学卒になぜ進学した?学部も確認!

高校卒業後、松山英樹さんは東北福祉大学総合福祉学部社会福祉学科(偏差値38)に入学しました。

松山英樹さんは一般入試ではなく、ゴルフのスポーツ推薦で進学が決まったようですね。

このゴルフ部は大学ゴルフ界でも名門中の名門で、多くのプロゴルファーを輩出している実績があります。

プロゴルファーの谷原秀人さん、宮里優作さん、池田勇太さんもこのゴルフ部出身です。

松山英樹さんは大学時代、さらに実力を身につけ、多くの大会で結果を残しました。

当初は大学に進学せずに、高校卒業してすぐプロゴルファーを目指そうとしていたのですが、高校3年生のときに、『日本アマチュア選手権』の予選ラウンドで敗退したことが心残りだったそうです。

そのときに、東北福祉大の阿部靖彦監督がわざわざ愛媛の実家まで足を運び、『今のままでは並のプロにしかなれない。プロになってすぐに活躍するために、練習を積み重ねなさい』と言われたそうです。

そのため、高校卒業後、大学進学を決めたといいます。

大学時代は、4年間ゴルフ部の寮生活をしていたそうで、大学のゴルフ部出身であるというメリットがのちにあったそうです。

「ツアー会場で、年が離れていても『福祉大です』って言うと、先輩後輩で一緒に回ろうかという話になる。アマチュアの時に先輩プロと一緒に回れるのは、今の選手もやっぱりラクだと思う。オレ、ラクだったもん。当然、緊張はするよ。でもマスターズに行ったときは(池田)勇太さんと一緒にご飯を食べて、練習もしてもらった」

芸能人学歴.comより引用

大学1年生のときには東日本大震災も経験し、コンビニから商品が消えたため、カップラーメンばかり食べていたとか。

大学時代ずっと仙台市で暮らしていたのですが、松山英樹さんはとてもこの町を気に入っています。

わざわざ住民票を仙台市に移し、住民税を収めて東日本大震災の復興に貢献しているそうです。

1年目ですでに年間獲得賞金が2億円を超えており、賞金王となっています。

大学1年生の2010年には、アジアアマチュア選手権で優勝し、注目を集めます。

大学3年生では世界アマチュアランキングにて、日本人初めての1位に輝き、大学4年生でプロに転向しています。

プロに転向した松山英樹さんは、ますますゴルフに打ち込み、相当な努力を重ねます。

そして、史上初のルーキーイヤー賞金王に輝くなど大忙しの大学時代でしたが、プロ転向を見越し、大学3年生までに卒業過程の単位を取得しています。

プロ1年目で賞金王に輝き、2021年4月のマスターズ・トーナメントでは日本、アジア初の優勝に輝きました。

大学の卒業式では、「4年間あっという間だった」と答えており、ゴルフ、学業、寮生活と、充実した4年間だったのでしょうね。

卒業式では、ゴルフで活躍したことにより、学長賞も授与されています。

大学卒業後は「メモリアル・トーナメント」で優勝し、PGAツアーでは初勝利となっています。それ以降も、トッププロとして活躍し続けていますね。

まとめ

今回は、松山英樹さんの学歴について、紹介しました。

地元の愛媛県松山市で中学時代まで過ごし、その後中高一貫校の明徳義塾へ転向しています。

東北福祉大学時代はプロに転向し、数多くの名誉ある大会で結果を残してきました。

これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です