【画像】松山英樹の愛媛県の実家はパチンコ屋!住所はどこ?金持ちとの噂も!

2021年4月12日、松山英樹選手さんがアジア人初のマスターズ優勝を遂げましたね。

グリーンジャケットを着た松山英樹さんの姿は、これまで支えてきた家族も嬉しかったことでしょう。

そんな松山英樹選手さんの実家がどこだか、気になった方も多いのではないでしょうか。

今回は、松山英樹さんの実家について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

松山英樹の愛媛県の実家はパチンコ屋?ゴルフ場との噂も!

松山英樹さんは愛媛県松山市出身です。小学校は地元の松山市立雄郡(ゆうぐん)小学校出身なので、実家もこの付近なのでしょう。

ご家族は両親と姉、妹の5人家族で、実家はゴルフ場を経営しています。

父の松山幹男(まつやま みきお)さんは、「HIDEKI GOLF GARDEN(ヒデキ ゴルフ ガーデン)」のオーナーを務めています。

自信もアマチュアゴルフをしており、愛媛県内ではトップの成績をおさめています。

また、ボランティアでジュニアゴルファーの指導にもあたっているそうですよ。

「HIDEKI GOLF GARDEN(ヒデキ ゴルフ ガーデン)」は、もともと「オーシャンゴルフ」という練習場でした。

のちに改名し、松山幹男さんがオーナーとなりました。

幹男さんは「MHT株式会社」というゴルフ商品の販売会社も経営しています。

もともと地元のパチンコ店チェーンに勤務していたサラリーマンだったのですが、ゴルフに目覚めてからは辞めたようですね。

幹男さんは、息子の松山英樹さんが上達するように、自分のゴルフの腕から上げたそうです。

そして、52歳で日本アマチュア選手権に初出場し、北条カントリークラブに所属します。

幹男さんは健康のためにゴルフを始めたそうで、キャリアは29歳からと遅めでした。

「HIDEKI GOLF GARDEN 」は愛媛県松山市太山町にあり、全40打席で最長120ヤードという広さです。

営業時間は平日9:00~22:30、土日祝は22:00までとなっています。バンカー練習場、パター練習場も設置されているので、かなり充実した施設になっています。

そして、練習場の代表取締役は松山幹男さんがつとめており、ホームページにも掲載されています。

松山英樹の実家住所はどこ?調べてみた!

松山英樹さんは、愛媛県松山市出身ということはわかりましたが、詳しい住所は分かりませんでした。

中学も地元にある松山市立雄新(ゆうしん)中学校に進学しますが、中学2年生のときに明徳義塾(めいとくぎじゅく)中学校にゴルフ留学します。

そんな松山英樹さんの現在の自宅は、アメリカのフロリダです。2015年、PGAツアー参戦2年目にしてフロリダに自宅を購入します。

現在もツアーの拠点にしており、なぜフロリダなのかというと、住民税が無くて住みやすいという情報もありました。

松山英樹さんのマネジメント会社「IMG(インターナショナル マネージメント グループ・オーヴァーシーズLLC)」もフロリダにありますし、PGAツアーの本部もあります。

あのタイガーウッズ選手やロリーマキロイ選手もフロリダに住んでいますし、プロゴルファーの聖地なんですね。

アメリカのゴルフチャンネルも、本社がフロリダにありますので、ゴルフの中心地といえますね。

ツアー参戦1年目は、ロサンゼルス市内のホテルを拠点にしていた松山英樹さん。

試合の度に大量の荷物をもって移動していたので、かなり負担になっていました。

荷物が多くて大変な思いをしたので、フロリダに荷物を置ける場所が欲しかったため、自宅を購入しました。

松山英樹さんの購入した自宅は3億円異常だそうで、7LDKの庭&プール付き、ベッドルームは4部屋、トレーニングルームも完備されています。

トレーニング器具やゴルフクラブ、卓球台もあったりと、かなり豪華な自宅ですね。

マスターズで賞をとった際の記念品も飾られています。松山英樹さんが住んでいるのは、フロリダの中でも比較的温暖なオーランドです。

石川遼さんの自宅も近くにあるそうで、ゴルファーの中心地なんですね。

松山英樹さんはアメリカで過ごす際に、自宅敷地内をカートで移動し、練習場所へ向かうそうです。ものすごい広さですね・・・!

しかしすぐ近くにジャック・ニクラウスさんが監修する、会員制のゴルフ場「ザ・ゴールデンベアクラブ」があります。

松山英樹の実家はお金持ち!エピソードも

松山英樹選さんの実家はゴルフ場を経営しており、比較的裕福な家庭に育ったようです。

父・幹男さん、母、姉・美湖(みこ)さん、妹の5人家族です。

幹男さんはもともと地元にあるパチンコチェーン店で働いていましたが、仲間内のコンペでゴルフを始めると、完全にゴルフに目覚めたそうです。

4歳のときに幹男さんの練習についていった英樹さんは、「僕もボールが打ちたい!」と自らゴルフを始めます。

父・幹男さんは、中古の9番アイアンを短く切り、英樹さんに与えたそうです。

しかし、いくらシャフトを短くしても、4歳の子では振ればふらつき、姿勢が悪くなります。
それを矯正して、背筋が真っ直ぐになるように注意するのが、父・幹男さんによるレッスンの基本でした。
英樹さんはオモチャを与えても、すぐに友達にあげてしまうほど、執着心のない子供でした。
デイリー新潮より引用

幹男さんは自身のゴルフのレベルが上がっていくにつれ、必ず息子を研修会などに連れていきました。

松山英樹さんはアプローチの練習をしながら、父を待っていたそうで、そこが原点となっています。

松山英樹さんが小学4年生のときには、幹男さんが「中四国オープン」に出場します。その際に息子をキャディとして出場させます。

「日本アマチュア選手権」のときも、キャディは中学3年生の松山英樹さんがつとめました。

そんな父親幹男さんが、息子をキャディにした理由を、「強い選手がどんなプレーをするのかを息子に、間近で見せたかった。私が英樹に一番見せたかったのは、技術より選手のメンタルです。
それが試合の中でどう変わるかとか。強い選手の呼吸とかルーティンの変化それが、どんな時に乱れるのか。それを間近で見せたかった。」と。
デイリー新潮より引用

松山英樹さんは、幼いころからゴルフ漬けだったのですね!

まとめ

今回は、松山英樹さんの実家について、紹介しました。

愛媛県松山市出身で、実家はゴルフクラブを経営していました。

父はアマチュアゴルフ選手で、幼いころからゴルフ少年だったのです。

これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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