山内惠介の学歴は?出身高校は偏差値62の筑前高校で頭がいい!大学へは進学した?

爽やかな見た目と引き込まれるような歌声で「演歌界の貴公子」と呼ばれマダムを中心に大人気の山内惠介さん。

2015年、第57回日本レコード大賞で日本作曲家協会選奨を受賞し、第66回NHK紅白歌合戦に初出場して以来9年連続での出場することが決定しています。

実は頭がよく勉強が得意だった山内惠介さんはどのような学生時代を過ごされていたのでしょうか?気になりますよね。

今回は山内惠介さんの学歴について調査しました。

学生時代のエピソードや画像なども確認していきたいと思います。

税最後までご覧ください。

山内惠介の学歴を調査!出身中学は?

山内惠介さんは1983年5月31日生まれで、福岡県糸島郡前原町(現在の糸島市)の出身です。

家族構成は父親・母親・9歳と12歳上の兄の5人家族です。

家族全員が音楽好きで母は懐メロや歌謡曲、父はオールディーズ、兄はWANDS、B’z、尾崎豊らが好きで、家庭内は常に音楽にあふれていたそうです。

中でも大の演歌好きだった母親は、妊娠中も、胎教のように美空ひばりさんの歌を聴いていて生まれながらに美空ひばりさんの歌声が身体に染みついていた山内惠介さんは、5歳の頃には、ちゃぶ台をステージに美空ひばりさんを熱唱し祖父母や親戚は、歌に感動して涙を流すこともあったのだそうです。

山内惠介さんの出身小学校は糸島市立前原小学校です。

小学校時代から6年間スイイングスクールに通っていたそうです。

小学生時代の山内惠介さんがこちらです。

小学生時代の山内惠介さんは意外にも音楽の授業が苦手だったそうです。

理由はどんな曲にも小節を回してしまうので目立ってしまい先生からは「周りと合わせて」とよく注意されていたからだそうです。

中学時代は、合唱ではピアノの伴奏に回っていました。

この頃は「歌手かアナウンサーになりたい」と思っていたそうです。

山内惠介さんの出身中学は地元の公立校の糸島市立前原西中学校です。

中学時代は水泳部に在籍していましたが、団体での練習が苦手で部活動には参加せず幽霊部員だったそうです。

子供の頃から他人と競い合うことが苦手だったので、大会やコンクールなどが好きではありませんでした。

放課後は友達と学校の近くのたこ焼き店によく寄って帰っていたそうです。

演歌が得意だった山内惠介さんですが、 カラオケに行ったときは1曲目から演歌は歌えず、帰る間際に歌うようにしていたそうですが、当時演歌を歌う友人がいなかたので引かれていたと語っていました。

山内惠介の出身高校は偏差値62の筑前高校?頭がいいけど編入した?

山内惠介さんの出身高校は福岡県立筑前高等学校です。

公立の共学校で、校則が厳しく偏差値は62ととても高いです。

一般受験で入学した山内惠介さんがとても学力が高かったのでしょうね。

高校時代は部活動は行なっておらず、帰宅部でした。

小さい頃から人と競い合うことも嫌いだった山内惠介さんですが、高校1年生の時に叔父が勝手に応募して初めて出場したカラオケ大会で優勝し、審査員として参加していた作曲家の水森英夫さんにスカウトされました。

そして月に一度レッスンを受けるようになり、当初はレッスンのたびに東京と福岡を往復していました。

高校2年生の時に受けたオーディションに合格しデビューか決定し上京しました。

それをきっかけに別の通信制の高校に転校しています。転校先の高校は不明です。

高校3年生だった2001年4月にファーストシングル「霧情」でデビューを果たしました。

デビュー後もなかなか結果が出なかった山内惠介さんはインタビューでこのように語っていました。

なかなか結果が出ない大きな壁にぶち当たってしまい、スタッフの人たちともコミュニケーションが上手く取れなくなり、殻を閉ざしてしまった貝のように無口で暗い毎日を送っていました。まだ高校3年生の子どもでしたから、きっと東京に出てきてから反抗期になったのかもしれませんね(笑)。当時のスタッフのみなさんには、いろいろとご迷惑を掛けてしまいました。

引用:ENCOUNTより

山内惠介さんは歌をやめたいと考えたこともありましたが、自分から歌を取ってしまったら何も残らなくなると思いから頑張ることを決意しました。

山内惠介は大学に進学した?高校卒業後の進路は?

山内惠介さんは高校卒業後大学には進学せず芸能活動に専念しています。

デビューから6年間ほど両親との連絡を絶っていました。

ヒット曲に恵まれなかったことで故郷に帰りづらかったそうです。

デビューまではとんとん拍子に進んでいましたが、なかなか売れず不遇の時代が続いていましたが、当時26歳の2009年9月に発売した「風蓮湖」がオリコンで50週にわたってランクインするロングヒットを記録しました。

2014年3月に「恋の手本」がオリコン9位を獲得し、デビュー13年目で初のTOP10入りを果たしました。

そしてついに2015年にNHK紅白歌合戦初出場しました。

以降は紅白の常連になっています。

諦めず地道に努力を続けたからこそ今の活躍につながっているのでしょうね。

まとめ

いかがでしたか?

今回は山内惠介さんの学歴は?出身高校は偏差値62の筑前高校で頭がいい!大学へは進学した?について調査しました。

山内惠介さんは高校3年生の時にデビューし、大学へは進学せず芸能活動に専念されていました。

デビュー当初はヒット曲に恵まれず苦労もしましたが、諦めず地道に努力を続けたことで今の活躍につながっていることがわかりました。

これからも山内惠介さんの活躍を期待していきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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