薬師丸ひろ子の学歴を確認!出身高校は偏差値46の八潮で玉川大学卒?

薬師丸ひろ子さんといえば、女優として数々の作品に出演していますよね。

いまではすっかりお母さん役のイメージが定着していますが、10代のときはアイドルとして絶大な人気を博していたんです。

そんな薬師丸ひろ子さんが、どのような学生時代をすごしてきたか、気になる人も多いと思います。

今回は、薬師丸ひろ子さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

薬師丸ひろ子の学歴を確認!出身中学を確認!

薬師丸ひろ子さんは、港区青山で育ちました。

地元港区立青山小学校出身で、俳優の鶴見辰吾さんが同級生にいたそうですよ。

両親が共働きだったため、おさないころから祖母が薬師丸ひろ子さんと姉の面倒をみてくれていたそうです。祖母はしつけには厳しく、よく怒られていたといいます。

祖母に育てられた影響からか、古いものに魅力を感じ、将来は考古学者になることが夢でした。

小学生からピアノを習っており、両親ともにクラシック音楽好きだったので、薬師丸ひろ子さんも一緒にコンサートに行っていました。

クラシックは多数の楽器が合わさった瞬間の、繊細さな音楽に魅せられていたそうです。また、お姉さんの影響で、ユーミンのファンだったそうですよ。

薬師丸ひろ子さんはとても活発な性格で、小学生のときはクラス委員をつとめていました。

また、走るのも得意で、毎年リレーの選手に選ばれていたそうですよ。

小学校卒業後、港区立校青山中学校に進学します。

13歳のときに映画『野性の証明』の長井頼子役で女優デビューしており、薬師丸ひろ子さんは「いろいろな巡り合わせで、たまたま大きな幸運をいただいた」と、当時を振り返っていました。

最初は芸能の仕事にまるで興味がなかったそうで、「野性の証明」に出演してからは、続けるつもりがなかったといいます。

共演した高倉健さんから、「売れてもちゃらちゃらしないように」と言われていたため、浮かれた気分にもならなかったそうです。

中学時代の薬師丸ひろ子さんは、いつも真っ黒に日焼していたため、「フライパン」と呼ばれていたそうですよ。売れっ子アイドルに似つかわしくないあだ名ですね・・・

その後、中学3年生で高校受験のために、芸能活動を一時休止しています。

薬師丸ひろ子の出身高校は偏差値46の八潮!エピソードも

薬師丸ひろ子さんは、東京都八潮高校(偏差値46)出身です。

合唱部に所属し、このころから1人で海外旅行にいったりと、かなりアクティブな高校生だったそうです。

どこにでも一人で出掛ける癖があったそうで、母親も「どうせ止めても行くだろう」と、何も言わなかったそうですよ。

高校2年生だった1981年には、映画「セーラー服と機関銃」に出演し、大ブレイクとなりました。

主題歌も担当し、同時に歌手デビューを飾ったのですが、ミリオンセラーの大ヒットとなります。

しかし、薬師丸ひろ子さんは学業優先のスタンスだったそうで、映画と歌番組の仕事しかしなかったそうです。

そのため、高校時代はどこにでもいる普通の女子高生だった、と振り返っています。周りはそうは思わなかったでしょうが・・・

高校3年生になると、大学受験のために1年間芸能活動を休止しました。

薬師丸ひろ子さんは当時、「いつ芸能界辞めようか」と常に考えていたそうです。

中学時代から芸能活動をつづけていましたが、高校は芸能コースがある学校ではない普通の学校ですよね。

前述した高倉健さんからのアドバイスや、教師から「学校を休むな」といわれていたことからも、あくまで「普通の生活」に重きを置いていたそうです。

『セーラー服と機関銃』以降も、『探偵物語』、『里見八犬伝』、『メイン・テーマ』、『Wの悲劇』と、主演&主題歌が常に大ヒットとなりました。

薬師丸ひろ子の最終学歴を確認!玉川大学卒との噂も?

高校卒業後、薬師丸ひろ子さんは、玉川大学文学部英米文学科(偏差値48)に進学しました。

高校を卒業したら芸能活動に専念することも考えていたのですが、このときも高倉健さんが、「大学には行った方がいい」と、アドバイスしてくれたそうです。

大学時代も、あくまで学業優先で、撮影は夏休みなどを利用しておこなわれました。

真面目に授業に出席していた薬師丸ひろ子さんは、仕事を理由に大学を休むこともなかったそうです。

しかし、大学1年生の1983年に出演した映画「里見八犬伝」では、撮影中に過労と盲腸で入院を余儀なくされてしまいます。

そのため、留年することになってしまいましたが、その後無事卒業しています。

慶應大学に通う二階堂ふみさんにも、『大学で学ぶことは将来、女優業に役に立つ』と、卒業するように励ましたといいます。

自らの強い意志で、アイドル女優として超多忙な合間を縫ってでも学校へ通い、ついに玉川大学の卒業証書を手にした薬師丸。
《私は自分の中であまり“選んできた”ということがないんですよね。学校に行きたい、そういうことはあったのですが……》
女性自身より引用

薬師丸ひろ子さんは、このときもまだ内心「女優をやめたい」と思っていたそうで、20歳の1984年に出演した映画「Wの悲劇」が最後の仕事と決意したことがありました。

所属事務所社長の角川春樹さんにその旨を申し出ますが、「とりあえず角川事務所から独立する」という結果となりました。

そのため、すでに出演が内定していた映画「野蛮人のように」「紳士同盟」に出演したものの、それ以降は学業優先で大学を卒業しています。

1984年に出演した『Wの悲劇』は、その演技が高く評価され、第27回ブルーリボン賞女優賞を受賞しました。

1985年に角川春樹事務所から独立し、歌手としてもコンサートを開くなど、活動の幅を広げています。

27歳の1991年には、ミュージシャンの玉置浩二さんと結婚し、大きな話題となりましたが、後に離婚しています。

2014年には紅白歌合戦に初出場し、現在も女優、歌手として精力的に活動しています。

まとめ

今回は、薬師丸ひろ子さんの学歴について、紹介しました。

港区青山育ちで、中学校までは地元にある公立校に通っていました。

その後八潮高校から慶應大学に進学し、1年留年したものの、無事卒業しています。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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