80年代を代表するアイドルとして、一世を風靡した工藤静香さん。
木村拓哉さんの嫁で、CocomiさんとKokiさんの母親としても有名ですよね。
そんな工藤静香さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、工藤静香さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
工藤静香の学歴まとめ!出身中学はどこ?
工藤静香さんは東京都出身ですが、幼いころ父の実家である青森県に住んでいたこともあるようです。
小学生のときは、劇団『東俳』に所属していたようで、昔から芸能の世界に興味があったのですね。
幼少期は公園にある藤の花を見るのが大好きで、夕焼け色に染まるまで見ていたとか。そのときから、色やアートの世界に執着し始めたといいます。
工藤静香さんは、絵画の世界で有名な二科展に、20回以上入選しています。幼稚園のころから、そのセンスは培われていたのですね。
また運動も好きで、マラソンや水泳が得意だったそうですよ。
小学校卒業後、羽村市立第二中学校へ入学しました。
中学時代はヤンキーという噂があり、年上の男性が車でお迎えに来る、といった伝説を残しています。
中学2年生のときに、第3回『ミス・セブンティーンコンテスト』で特別賞を受賞し、歌手デビューを果たしました。
当時の写真を見ると、トレードマークの泣き顔がすでに完成されていますね。
ちなみにこのときのミスセブンティーンコンテストは、歴代最大の応募者数だったそうです。
工藤静香さんはその後、『セブンティーンクラブ』という女性アイドルグループでデビューします。
1985年1月21日、エスビー食品のスナック菓子CMソング『ス・キ・ふたりとも!』が、工藤静香さんのデビュー曲となりました。
当時髪が長かったのですが、色っぽすぎると指摘され、ショートヘアにさせられたそうですよ。
まだ中学2年生で、色っぽ過ぎて怒られるなんて、末恐ろしいですね。
セブンティーンクラブからは、1年足らずで脱退しています。脱退理由は明らかにされていないですが、そのポテンシャルから、もっと高みを目指すためだったのかもしれません。
工藤静香の出身高校は偏差値44の板橋?日本音楽高校との噂も!
工藤静香さんは中学校卒業後、東京都立板橋高等学校普通科(偏差値44)へ入学しました。
その後、日本音楽高等学校音楽科に転校するも、すぐに中退しています。
工藤静香さんは高校入学後まもなくして、1986年5月に『夕やけニャンニャン』に出演、『おニャン子クラブ』のメンバーとしてデビューします。
おニャン子クラブの会員ナンバー38番として、翌年5月には、派生ユニット『うしろ髪ひかれ隊』としてもデビューしました。
さらにそこからわずか3ヶ月後の8月31日には、『禁断のテレパシー』でソロデビューもしています。
当時はあまりにも忙しすぎて、寝る間も無かったようですね。
16歳のときにも、スタッフから「ちょっと色っぽすぎるから髪の毛を切るように」と注意されたとか・・・10代で色気が原因で怒られるとは、信じがたいですね。
芸能活動が忙しくなったため、私立の女子校である日本音楽高校(偏差値43)に転校しますが、その後多忙を理由に中退しています。
若い頃の工藤静香さんといえば、垂れ下がった太い眉がトレードマークで、「泣き虫顔」と、若い女性を中心に大ブームになりましたね。
守ってあげたくなるような可愛さと儚さが、男性のみならず女性からも大人気でした!
当時は、X JAPANのYOSHIKIさんとも熱愛がスクープされたりと、芸能界でもかなりのモテっぷりだたようですね。
おニャン子クラブでも、歌唱力とか存在感が圧倒的だったそうで、すぐにソロデビューとなりました。
大勢のファンを虜にしていたので、芸能界内でもモテモテだったのがうなずけますね。
YOSHIKIさん以外にも、少年隊の植草克秀さんや田原俊彦さん、光GENJIの諸星和己さん・・・なんとジャニーズばかりですね。
工藤静香さんのコンサートには、必ず暴走族を従えていた、なんていう噂もあります。
もちろん工藤静香さんが暴走族にお願いしていたわけではなく、暴走族が工藤静香さんの大ファンで、勝手に車の先導を走っていただけのようです。
そのため、工藤静香さんのコンサートには、必ず暴走族グループが会場の周りにうろうろしているので、元ヤンだったのでは?などと噂されることとなりました。
以前「スッキリ!」に出演した際も、工藤静香さん自身が暴走族の話をしていました。
クイズコーナーで、「ファンが変わった理由でケンカを始めたが、その理由は?」というクイズを出題した、工藤静香さん。
正解は、暴走族のファン同士が、どちらが工藤静香さんの車を先導するか、といういざこざで喧嘩したというのものでした。
1人のファンがバイクを止め、手にチェーンを巻いてケンカを始めたといい、工藤は車から身を乗り出して止めようとしたが、当時の所属事務所の社長に制止されたという。
アサジョより引用
これにはびっくりですね。ただ当時の工藤静香さんは、たしかにヤンキーのような雰囲気がありますね。
工藤静香の最終学歴を確認!高校中退の噂も?真相を徹底調査
工藤静香さんは高校を中退しているので、大学には進学していません。
1989年には、すでに大ブレイクしていたので、大学へ進学することは考えていなかったでしょう。
『嵐の素顔』『黄砂に吹かれて』『恋一夜』と、3曲続けて『オリコン』1位、『ベスト10』1位、『歌のトップテン』1位という、驚異的な記録を打ち立てて言います。
『黄砂に吹かれて』は、6週連続『オリコン』1位となっていますので、当時は寝る暇もないほどのスケジュールだったと思います。
これ以降、工藤静香さんは、1980年代を代表するトップアイドルとなり、「MUGO・ん…色っぽい」などの代表曲もリリースしています。
1997年には、とんねるずの石橋貴明さんと「Little Kiss」というユニットを結成し、こちらも話題になりましたね。
ほかにも、作詞家「愛絵理」として活動したり、女優としても、『極道の妻たち 危険な賭け』『君の瞳をタイホする!』『サイコメトラーEIJI2』などに出演していました。
一方、プライベートでは、2000年、30歳のときに木村拓哉さんと結婚し、長女の心美さん、次女のKokiさんを出産しています。
現在はステージママとしてもたびたび話題になり、娘さんたちをインターナショナルスクールに入学させるため、自身も英語を学んでいたそうです。
アイドル時代は多忙すぎて高校を卒業することができなかったため、お子さんたちにはしっかりと教育をさせたい、と考えたのかもしれませんね。
その甲斐あって、娘さんは2人とも語学が堪能で、音楽、芸能の道でも才能を開花させています。
まとめ
今回は、工藤静香さんの学歴について、紹介しました。
地元の中学校を卒業後、高校に進学するも、芸能活動が多忙を極めたので中退していたことが分かりました。
高校時代にはソロデビューも果たし、80年代を代表する伝説のアイドルになっていたのですね。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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