有吉弘行さんといえば、今や冠番組をいくつも持っている超売れっ子タレントですよね!
2023年の紅白歌合戦の司会にも抜擢されており、現在もその勢いは衰えることがありません。
そんな有吉弘行さんの、出身地や生い立ちが気になっている方も多いと思います。
今回は、有吉弘行さんの出身地や生い立ちについて、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
有吉弘行の出身地は広島県安芸郡熊野町!実家が古民家カフェに?
有吉弘行さんの出身地は、広島県安芸郡熊野町です。
以前、週刊誌のインタビューで、有吉弘行さんが実家について、「裕福ではなかった」「築100年で雨漏りがすごい」と語っていました。
あまり裕福な家庭ではなく、苦労したようですね。
すでにその実家は引き払ったて誰も住んでいないのですが、「弟の情報によると実家が“古民家カフェ”になるって」と、有吉弘行さん自身もまさかの展開に驚いていました。
有吉弘行さんは、3歳から広島県安芸郡熊野町に引っ越したのですが、当時から実家は雨漏りがひどかったそうです。
そして、2010年に有吉弘行さんの父親が還らぬ人となり、母親だけになってしまいます。
そのため、母親は広島市のマンションに引っ越し、実家は引き払いました。
その実家がなんと、古民家カフェになるということで、有吉弘行さんも「古民家カフェになるようなところに住んでいたのか・・・」と、複雑な胸の内を明かしていました。
共演者が「居抜きになったんですか?」と驚くなか、有吉はあくまで噂と強調するも、リスナーからは「“聖地巡礼”に行きたいです!」というコメントが。これに有吉は「俺は全く関係ないから、行かれても困るけど」と笑うしかなかった。
週刊プライムより引用
古民家カフェの場所はどこ?
噂の古民家カフェの場所ははっきりとわかっていないのですが、有吉弘行さんの通っていた小中学校の学区内では?と予想されます。
有吉弘行さんは、熊野町立熊野第一小学校出身なので、学区内で歩ける範囲のエリアにあると思われます。
有吉弘行さんと夏目三久さんが結婚する直前まで、お母さんは実家に住んでいたそうです。
となると、少なくとも2021年3月までは、古民家カフェではなかったのでしょう。
ひとつ候補として、以前「家づくりセミナー」の一環で、イベントに使われていた古民家があがっています。
住所は「広島県安芸郡熊野町萩原10丁目2-3」。同じ熊野町でも、「萩原」ですが、有吉弘行さんの実家だった可能性が高そうです。
地元の人も、「実家はいま誰も住んでいなくて庭は草でボウボウになっている」と話していました。
近所の方の話によると、家の近くをドッグランにするという計画もあるそうです。
向かい側は家が立ち並んでいるのですが、有吉家の周りに広い空き地があり、取り壊してドッグランにするのかもしれませんね。
実際は、まだ古民家カフェはオープンしていないようで、まだ建設中なのでしょうか。
情報によると、古民家カフェは居抜き物件になるそうで、有吉弘行さんの実家をそのまま生かしているのですね。
いかんせん築100年ということですから、大正時代に建設された、かなり古い建物になりますよね。
トイレがくみ取り式で、銭湯に行けない日は台所のシンクで体を拭いていたそうです・・・
リフォームなどはせずに、建築当時の状態で、そのまま住んでいたようですね。
お母さんは、その実家に住み続けたかったそうですが、残念ながら老朽化で危険なので、広島市内のマンションに引っ越したそうです。
「お母さんは、いつ有吉さんが帰ってきてもいいように、一緒に住んでいた家に住み続けたいとおっしゃっていました。ですが、実家が老朽化して地震で倒壊する恐れがあり、これ以上は住めなかったようです。それで、やむなく引っ越されました」
Yahooニュースより引用
有吉弘行さんの実家は、田舎に山を所有しており、現在は親戚に管理してもらっているそうです。
なんと最近、そこにクマが出没したとか・・・
そこで、クマを駆除するべく、友人の大下源一郎さんと後輩のマシンガンズ・西堀亮さんに、猟銃免許を取るようにお願いしたそうですよ。
以前から、シカやイノシシはよく見かけたそうですが、野放しにしていたら、そのうちクマまで出没するようになってしまったそうです。
「親戚も(クマが)怖くて山に入れない」「松茸も採りに行けない」などと、嘆いていたみたいですね。
有吉弘行の生い立ちを確認!
有吉弘行さんは広島県に生まれ、両親と弟の4人暮らしでした。
実は有吉弘行さんは「弘行(ひろいき)」と読むのですが、これは父親のミスだったそうです。
本来は「ひろゆき」だったのですが、酔っ払った父親が出生届を誤って記載してしまい、「ひろいき」となってしまいました。
父は無職だったこともあり、あまり裕福な家庭には育っていません。
有吉弘行さんは意外にも幼少期は人見知りだったそうで、小学校に上がるまでは友人がほとんどいませんでした。
子供の頃から足が速かったそうで、小学校時代は陸上に打ち込んでいたそうですよ。
当時は短距離もマラソンも得意だったそうです。
また、小学生のころは野球もやっていたそうで、広島カープのファンでした。
ゲームも好きで、現在でも芸能界で1、2位を争うゲーマーとして知られています。
小学生のころは毎年学級委員を務めたりと、実に模範的な生徒だったそうです。
ただ、学校5年生のときに陸上クラブの先輩にイジメられたため、中学では陸上をしなかったそうです。
そんな有吉弘行さんの毒舌っぷりは、高校生のときから発揮されていたそうですよ。
昼休みは、毎日図書室へ行って、「週刊朝日」「サンデー毎日」を読むのが日課でした。
ある日転がし上手な後輩に、週刊誌の記事について意見を求められ、何の遠慮もなく最低の差別や悪口を言っていたそうです。
いつの間にか有吉弘行さんは、図書室の小さなカリスマと言われるようになったそうですよ。
当時有吉弘行さんは、女子にとても人気で、ガンガン告白されていたそうです!
しかし誰とも付き合わずに、高校を卒業するまでは彼女がいたことがなかったそうです。
友人とも深くは付き合わず、弟さんとばかり遊んでいたそうですよ。
ひねくれているイメージがある有吉弘行さんですが、このときから変わった少年だったのですね!
有吉弘行さんは成績も優秀だったので、大学の推薦を受けれる話もあったとか。
しかし、すでに芸人を目指していたので、大学には進学していません。
ちなみに地元では、大学に進学する人が極端に少なかったらしく、大卒の人に会ったのは、20歳を過ぎてからだそうですよ。
有吉弘行の幼少期がかわいすぎると話題!画像
有吉弘行さんは、なんどかインスタグラムで幼少期の写真を公開していますが、そのどれもが「かわいい!」と絶賛されています。
そんな可愛らしい幼少期の有吉弘行さん。なかなか強烈な経験をしていたそうです。
有吉弘行さんは広島県熊野の田舎で育っていますが、3歳までは別のところで暮らしていたそうです。
有吉弘行さんが住んでいた階下の女性は、有吉弘行さんが無邪気に走り回っていると、包丁を持って怒鳴りこんできたそうです。
それがトラウマで、現在に至るまで人の顔色をうかがうようになってしまったそうです。
また、有吉弘行さんの父親はかなり変わっており、野良猫のボスになったり、大量のカブト虫を飼っていたりと、周りが理解できない行動をしていたそうですよ。
また、「折り紙を覚えて何の意味がある?」という教育方針で、6歳まで幼稚園に通っていなかったそうです。
ようやく年長クラスから幼稚園に通うも、いまさら馴染めず、友人ができないまま小学校へ進学したそうです。
小学校でも幼稚園時代の人間関係が延長し、あまり友人はできなかったそうです。
そして、有吉弘行さんの可愛らしい見た目から、両親も女の子のように髪をのばさせていました。
そのことで、「おかまだ」とクラスメイトにいじめられてしまいます。
有吉弘行さんにとっては、その「かわいい顔」がコンプレックスとなり、わざと乱暴な態度を取ったり、ひねくれてしまったようです。
なんとももどかしい話ですね。しかしその経験が、今の有吉弘行さんの芸に活かされていますね。
有吉弘行さんはしばらくは友達ができず、休み時間は一人で空想上の動物や妖怪を粘土で作っていたそうです。
するとだんだんクラスで評判になり、作ってくれとお願いされるようになったそうです。
これを機に有吉弘行さんは、だんだんクラスメイトと仲良くなります。
そんな中、「面白い」という理由だけでモテていた同級生がいて、それを羨ましいと思ったそうです。
「小3の時、同級生の子が小さくてて全然カッコ良くもないのに、面白いからってモテたんですよ」と振り返った。「クラスの子が、その子が好きって言ってさ。それでウワッって思って、お笑いのほうに行っちゃったんだよね」
スポニチより引用
これがきっかけで、有吉弘行さんはお笑いを目指すことになります。
同級生がモテててうらやましかったのに、告白されても誰とも付き合わなかった、というのも有吉弘行さんらしいですね。
まとめ
今回は、有吉弘行さんの出身地や生い立ちについて、紹介しました。
両親と弟の4人家族で育ち、お父さんはかなり自由な方で、お母さんは熊野筆の職人だったそうです。
弟は花屋を経営しており、有吉弘行さんと仲良しで、姪っ子にもメロメロみたいですね。
今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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