二階堂ふみはフィリピン人ハーフ?小さい頃の画像を確認!実家は沖縄県?

二階堂ふみさんといえば、朝の連続テレビ小説「エール」でヒロインを演じたり、紅白歌合戦で紅組司会を担当したりと注目を集めていますね。

その濃い顔立ちとエキゾチックな雰囲気から、一部では「ハーフではないか?」と噂されているようなんです。

今回は、二階堂ふみさんがハーフという噂について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

二階堂ふみにフィリピン人ハーフの噂?真相を徹底調査

二階堂ふみさんはたびたび「ハーフではないか」「フィリピン人」と噂されていますが、結果から言うとフィリピン人のハーフでもクォーターでもありません。

二階堂ふみさんのエキゾチックでハッキリした顔立ちから「ハーフ」「クォーター」と言われるのもうなずけます。

しかし、二階堂ふみさんのご両親は日本人なので、二階堂ふみさんも純日本人ですね。

見た目以外にも、英語が話せるところから、ハーフの噂が浮上したようです。

国際映画祭の受賞式や記者会見では、流ちょうな英語でスピーチをしていました。

その整った顔立ちと英語が話せるということで、ハーフのイメージが強くなったのもありえますね。

二階堂ふみさんは高校時代に、ニューヨークへ2ヶ月間留学しており、英会話教室にも通っていたため、英語が話せるようになったみたいですね。

高校3年生のときはすでにブレイクし、映画やドラマと引っ張りだこだったため、現役での大学受験を諦めています。

その後、撮影現場に参考書を持ち込んだり、必死で受験勉強をしたかいがあって、2014年に慶応義塾大学総合政策学部にAO入試で合格しています。

多忙な生活は続き進級に苦戦しているようですが、「中退はしない」と宣言しています。

大学でも英語を勉強しているようで、仕事が忙しく授業に行けない日々が続きますが、なんとしても卒業したいと思っているそうです。

二階堂ふみの出身地は沖縄県!実家の住所はどこ?

二階堂ふみさんは沖縄県那覇市出身です。

出身小学校が、那覇市立神原小学校那覇市立神原(かみはら)中学校なので、この学区内に実家があるのでしょうね。

二階堂ふみさんの父親は東京都出身で和食料理人。母は沖縄県出身で、映画好きだったそうです。

しかし、両親は二階堂ふみさんが10代前半のときに離婚してしまい、二階堂ふみさんは母子家庭で育ちました。

両親の離婚のについてはかなり精神的ダメージがあったそうで、今でもそのダメージはなくなっていないといいます。

また、「小中学校時代はいい思い出がない」と話していました。あまり友人がいなかったようですね。

二階堂ふみさんは芸能界デビューする前からオシャレに興味があり、近所にある行きつけの古着屋さんに通っていました。

「お洒落の基礎は全てここで教わった」そうで、ファンの間では聖地ともいわれています。

二階堂ふみさんは古着屋にいるときにスカウトされ、地元のフリーペーパー「沖縄美少女図鑑」に掲載されます。

当時12歳という若さですが、南国にいる美少女といういで立ちで、ハーフのような可愛さを放っています。

このことがきっかけで芸能界入りを果たし、小学6年生のときに雑誌「ニコラ」の専属モデルに抜擢されました。

中学生になると、ドラマ「受験の神様」で女優デビューを果たしています。当時は仕事のたびに、東京都と沖縄を行ったり来たりとハードな生活をしていました。

中学卒業後、都立八潮高等学校へ入学したのをきっかけに上京しています。

二階堂ふみさんは幼少期からたくさん習い事をしていたそうで、母親に言われるがままに琉球空手、バイオリン、英会話などを習っていました。

これほど多くの習い事をさせてあげられるというのは、実家がお金持ちだからという噂もありました。

しかし、二階堂ふみさんは両親についてはあまり語ったことがなく、詳細は不明です。

二階堂ふみの小さい頃や幼少期の画像を確認!

二階堂ふみさんは幼少期からとにかくおてんばな少女で、よく商店街の中を走り回っていたそうです。女子よりも男子とよく遊んでいたみたいですね。

子供の頃の写真を見ると、日焼けしていてとても健康的ですよね。

負けん気も強く、かなり強気で、男の子寄りの感受性を持っていたようです。

「さばさばした性格で強気な子だった。言い合いになると一歩も引かない。男の子が読む、板垣恵介の『グラップラー刃牙』という漫画の『花山薫』という暴力団組長のキャラクターが好きだと言っていた」
Smart FLASHより引用

母親はかなり教育熱心で、厳しい人だったそうです。しかし親子仲はよく、一緒に映画館に行っていたそうです。

映画好きの母親の影響を受け、多くの映画を観ているうちに、感性が養われて「映画に出たい」と思うようになります。

芸能界入りを決めた内心は、育ててくれた母親の大好きな映画に関われるかもしれない、という思いもありました。

二階堂ふみさんはデビューするやいなや、表情豊かな演技力が高評価を獲得していましたし、幼いころの経験が活かされているのですね。

二階堂ふみさんは友達があまりおらず、兄弟もいなかったため、よく一人遊びをしていたそうです。

木登りが好きで、木に登って実っている実を食べたりもしていたそうです。

小学6年生からモデルや女優として活躍していましたが、学校では「ぼっち」だったとか。

中学時代は東京と沖縄を行ったり来たりする生活をしていたそうで、中学の卒業式の朝に東京から帰宅し、うっかり遅刻しそうになったとか。

高校入学と同時に上京した二階堂ふみさんは、一人暮らしを始めます。

このころには友人にも恵まれ、スカートを短くしてピンクのカーディガンを着て、渋谷に遊びに行っり、プリクラを撮ったりしていたそうです。

当時黒と紺以外のカーディガンは校則で禁止されていて、その校則を変えたいがために生徒会に入りました。

芸能活動はどんどん忙しくなりましたが、まだ生活は厳しく、白米を食べれないときはお芋を主食にしていたそうです。

友達が家に遊びに来る際は、1人2合の白米を「入場料」として徴収していたといいます。

貧困生活でしたが、英会話スクールに通ったり、ニューヨークに短期留学して、「世界で通用する女優になる」ことを目指します。

まとめ

今回は、二階堂ふみさんがハーフという噂について、紹介しました。

両親ともに日本人なのでハーフではありませんが、その整った顔立ちからフィリピン人ハーフに間違われることがあるようです。

実家は沖縄県那覇市にあり、幼少期は真っ黒に日焼けして外で遊びまわるオテンバ少女だったようですね。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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