阿部寛はハーフではない?出身地は神奈川県横浜市!幼少期や子供の頃がかわいい!

数々の大ヒットドラマや映画に出演しており、国民的人気俳優となった、阿部寛さん。

その長身と濃い顔立ちから、ハーフと言われることが多いようです。実際はどうなのでしょうか?

今回は、阿部寛さんのハーフ説や出身地について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

阿部寛はハーフでもクオーターでもなかった!ルーツは縄文人?

部寛さんは、結論から申し上げますと、ハーフではありません。クオーターでもないですし、純日本人です。

濃い顔立ちをしており、体格も日本人離れしているので、ハーフに見られることが多いようですね。

しかし、ご両親は日本人なので、阿部寛さんもれっきとした日本人です。

阿部寛さんが以前、「徹子の部屋」へ出演した際、黒柳徹子さんに「全然外国人はないの?」と聞かれ、「ないですね。おやじは川崎でおふくろは秋田。」と答えていました。

本人がはっきり否定しているので、日本人であることは間違いないでしょう。

海外に行くと英語で話しかけられることもあるそうで、誰が見ても見た目は外国人なんですね。

また、両親の身長は高くないそうで、お父さんが150cm台、お母さんが160cmくらいなんだとか。

お兄さんも170cmくらいなので、阿部寛さん以外はみんな普通の体格をしていたそうですよ。

母親は160cmということで、女性の中では大きい方ですが、ずば抜けて身長が高いわけではないですね。

にもかかわらず、阿部寛さんだけ身長189cmと、日本人離れした高身長です。

もしかしたら、隔世遺伝なのかもしれませんね。

ご両親のご先祖に、高身長だった外国人の遺伝子が入っていたのかもしれません。

ハーフ顔だけど縄文人?

阿部寛さんはハーフ顔ですが、「縄文顔」とも言われています。

そもそも日本人は、元来日本にいた縄文人と、大陸を渡ってきた弥生人とで誕生しています。

そのため、現在日本人の75%は混血と言われています。

沖縄の人に顔の濃い人が多いのも、先祖に縄文人が多いからだそうです。

阿部寛さんのお母さんの出身地は、秋田県なので東北ですね。東北~北海道も、縄文人に近い人が多いそうです。

そのため、阿部寛さんのルーツは縄文人にあると言えますね。

また、ハーフ顔の特徴として、眉毛と目の位置が近いことが挙げられあす。

欧米人はほとんどの人が、目と眉毛の位置が近いですよね。

眉と目の距離が近いと、彫りが深い顔に見えるので、外国人っぽい顔だちになります。

また、鼻が高いのも、ハーフ顔の特徴でしょう。

そして何よりも、身長189cmという日本人離れした高身長、小顔という抜群のスタイルから、ハーフに思われがちなのでしょう。

主演映画「テルマエ・ロマエ」で、ローマ人の役を演じた際も、あまりにもハマっていたため、イタリアメディアのローマ人の記事に、阿部寛さんの画像が使われたほどです。

海外の方から見ても、阿部寛さんがローマ人だと思われたということですね。

阿部寛の出身地は神奈川県横浜市?生い立ちは?

阿部寛さんは、神奈川県横浜市で誕生しました。

3人兄弟の末っ子として育ち、幼少期は目立ちたがり屋で、なんでも一番じゃないと気が済まない性格だったそうですよ。

また足が速く、小学校では常に徒競走で一番だったそうです。

しかし、小学5年生の時に、足が速いライバルが現れ、負けてしまったそうですよ。

そんな阿部寛さんは、大学在学中、お姉さんに勧められて、「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」へ応募しました。

このコンテストでは、優勝賞品が車だったので、それが目的で応募したそうです。

すると見事グランプリを獲得し、ノンノのモデルとして活動をスタートしました。

阿部寛さんは、メンズノンノ創刊号で表紙を務め、それ以降3年6ヶ月に渡り、全て表紙を飾ってたそうです。

なんと、この連続で表紙を飾ったという記録は、ギネスに認定されています。

しかしプライベートでは、長身のあまり、どこでも目立ってしまうので、少しずつ関節を曲げて、身長を低く見せていたそうです。

その後、1987年には、映画「はいからさんが通る」で俳優デビューを果たしました。

ドイツ人と日本人のハーフという設定で、その日本人離れした顔だちと体型を、活かされたようです。

ちなみに阿部寛さんは、この映画で主演をつとめた南野陽子さんの大ファンで、サインをもらうことができたそうですよ。

しかしそれ以降、そのスタイリッシュな雰囲気や、長身すぎることがネックで、なかなか俳優のオファーがもらえなかったそうです。

3年ほどは生活のために、パチンコをしていたそうですよ。

さらに、投資用に購入したマンションが、不動産の価値が下落したことで、借金を抱えてしまいます。

一時期は、「あの人は今!?」で捜索されてしまうほどに、メディアへの出演は激減しました。

しかし1993年、つかこうへいさんの舞台「熱海殺人事件モンテカルロ・イル―ジョン」で主演を務め、バイセクシャルの役を演じたことが、俳優として転機となりました。

それ以降は、徐々に映画や舞台のオファーが舞い込んでくるようになり、人気俳優としての地位を確立します。

阿部寛の子供の頃や幼少期がかわいいと話題!画像

阿部寛さんの幼少期の写真を見ると、とっても可愛いですよね。

このころから、ハーフっぽい雰囲気を醸し出しています。

実家の家族構成は、ご両親とお兄さん、お姉さんの5人です。

末っ子だったので、とってもかわいがられて育ったようです。

子どもの頃から好奇心旺盛で、明るくてよく話す、ムードメーカー的な存在だったそうです。

また、幼少期は水泳と陸上を習っていました。

わんぱくで目立ちたがり屋だったので、運動も大好きだったようです。

子どもの頃の阿部寛さんは、お兄さん、お姉さんとそこまで身長差がなかったそうです。

しかし、どんどん成長していき、ズバ抜けて身長が高くなっていったそうですよ。

まとめ

今回は、阿部寛さんのハーフ説や出身地について、紹介しました。

濃い顔立ちや長身の体格から、ハーフに思われることが多いのですが、純日本人であることが分かりました。

横浜市で生まれ育ち、幼少期から目立つことが好きな、明るい少年だったようです。

今後の活躍も楽しみですね。最後まで御覧いただきありがとうございました。

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