織田裕二は演技下手で大根?存在感凄いけど話し方が苦手!演技力の評判は?

2023年7月期放送のドラマ「シッコウ!!~犬と私と執行官~」に出演しており、脇役ながらも存在感を発揮している、織田裕二さん。

「踊る大捜査線」などの代表作も多い織田裕二さんですが、演技力についてはどのように評価されているのでしょうか。

今回は、織田裕二さんの演技力について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

織田裕二の演技力の評価は?圧倒的な存在感が凄い!世間の声を確認!

織田裕二さんといえば、「東京ラブストーリー」「踊る大捜査線」などの代表作で知られていますよね。

演技力については、やはり「上手!!」という評価が多い印象でした。

織田裕二さんはこれまでにも、数多くの賞を受賞しています。

  • 1988年:文化庁芸術作品賞(北の海峡)
  • 1989年:熊本映画祭 ヤングシネマ男優賞(彼女が水着にきがえたら)
  • 1993年:ATP賞93 ザ・テレビジョン読者賞、テレビガイド TVドラマ大賞 主演男優賞
  • 1994年:第2回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞(お金がない!)
  • 1996年:第10回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞(真昼の月)
  • 1997年:第12回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞(踊る大捜査線)
  • 1999年:日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(踊る大捜査線 THE MOVIE)
  • 2000年:報知映画賞 最優秀主演男優賞(ホワイトアウト)
  •     第18回ゴールデングロス特別賞 マネーメーキングスター賞(ホワイトアウト)
  •     日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞(ホワイトアウト)
  • 2001年:日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(ホワイトアウト)
  •     第43回ブルーリボン賞 最優秀主演男優賞(ホワイトアウト)
  • 2003年:第48回アジア太平洋映画祭 最優秀主演男優賞(T.R.Y.)
  •     日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞(踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!)
  • 2004年:日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!)

織田裕二さんの受賞歴からして、プロの目から見ても演技が上手!ということですよね。

多くの作品で主演をつとめていることからも、演技が高く評価されているのでしょう。

織田裕二は演技下手?大根で話し方も苦手?

俳優デビューしてから30年以上たっている、織田裕二さん。演技については、一部で「下手」と言われているようです。

織田裕二さんは、これまで主演を演じることが多かったのですが、「シッコウ!!」での脇役でも、コメディな演技が光っていますよね。

織田裕二さんは、「あえて下手な演技をしている」という声もありました。

また、「踊る大捜査線」の青島刑事のイメージが強すぎて、「いつも同じ」ように見えてしまうという意見もあるようです。

織田裕二さんは、作品つくりに妥協せず、撮影中は自分にも周りにも厳しい姿勢なんだとか。

『踊る大捜査線』では、柳葉敏郎さんと衝突し、プロデューサーに「(柳葉敏郎の役を)殉職させてくれ!」と直談判したほどでした。

また、「アマルフィ」で共演した柴咲コウさんとも、〝演技論〟で揉めたそうですよ。完璧主義がゆえに、周りにも厳しいハードルを課してしまうようですね。

織田裕二の演技は下手に見える?

織田裕二さんの演技については、「何を演じても本人に見える」「演技が鼻につく」という意見が多いようです。

演技を全否定しているわけでは無いのですが、「踊る大捜査線」の青島役がイメージが強く、ほかのキャラが定着しなかったようです。

織田裕二さんの青島役がインパクトが強すぎて、ほかの作品とはキャラが合わない、ということのようですね。

演技が下手というよりは、イメージが膨らみすぎて、違和感を感じてしまう、ということのようです。

織田裕二さんの代表作といえば、以下の通りです。

  • 東京ラブストーリー(1991年)
  • 振り返れば奴がいる(1993年)
  • 踊る大捜査線(1997年)
  • 太陽と海の教室(2008年)
  • 外交官 黒田康作(2011年)
  • SUITS/スーツ(2018年)

どれも大ヒットとなった作品ですから、織田裕二さんの力がいかに大きいかが分かりますね。

また、「織田裕二は主役しかやらない」という声があがっていたので、今回「シッコウ!!」で脇役を演じ、ちょっとした騒動になっていたようですね。

代表作「踊る大捜査線」は、番組を放送したテレビ局からしても、大ヒット作でした。

そのため、TV局側としても、今後織田裕二さんには脇役はオファーできない、という遠慮があったようですね。

また織田裕二さんは、作品の演出にも関わりたいというこだわりがあるので、すなわち主役じゃないとできないということになります。

脇役を演じたのは、1993年7月放送の「素晴らしきかな人生」のみで、、「シッコウ!!」は、実に30年ぶりでした。

脇役のオファーを引き受けた理由は?

織田裕二さんは、55歳という年齢からも、今後は、クレジットの最後である「トメ」になろうとしている、と言われています。

1990年代から、長らく主役を演じ続けてきた織田裕二さんですが、今後の俳優人生を考えているようです。

〝トメ〟の俳優を目指すことで、幅広いオファーがもらえるようになるかもしれないですね。

確かに若手の俳優にまかせて、最後に大御所として名前が出るというのも、織田裕二さんらしいですよね。

「織田さんが今回のオファーを受けた理由としては、テレビが世帯視聴率からスポンサーが重視する13~49歳の年代をターゲットにしたコア視聴率を重視するようになったことがあげられます。わざわざ高いギャラを払って大物俳優を起用することが少なくなっているのです」
アサジョより引用

織田裕二さんも息子さんが誕生し、パパになったことで、心境の変化が現れたのかもしれないですね。

織田裕二の経歴まとめ!若い頃がイケメン過ぎる?

織田裕二さんは高校卒業後、ピッツバーグ大学の日本校に進学しています。

当時はバブル真っただ中で、海外の大学の日本校が多数開設されたようです。

日本の学校教育法では各種学校扱いで、授業料が高額の上生徒も集まらなかったことで、徐々に撤退していったそうです。

織田裕二さんが進学したこの学校も、現在は存在しないようですね。

織田裕二さんは、俳優を志すためにこの学校を中退しています。

19歳のときに、江口洋介さん主演映画「湘南爆走族」でのオーディションに合格し、俳優デビューしています。

応募総数数万人もの中から、希望していた石川役に抜擢されて、デビューしています。

当時は二輪免許を持っていなかったので、映画撮影のために取得したそうですよ。

また、挿入歌の「BOOM BOOM BOOM」で歌手デビューも果たしました。

1989年6月公開の映画『彼女が水着にきがえたら』では、主演の原田知世さんの相手役に起用され、知名度を高めます。

1991年には、ドラマ『東京ラブストーリー』の永尾完治役で、大ブレイクを果たしました。

「月9」という言葉も、このとき誕生するなど、社会現象となりました。

しかし織田裕二さんは、だんだん原作と自分のイメージとのギャップに悩んでおり、結果的には途中放棄していたと語っています。

その後出演した『あの日の僕をさがして』で主役を演じるも、視聴率がいまいちで失敗に終わったそうです。

「駄目だ。何をしたいかを一所懸命固めなきゃ駄目だ。人から役をもらうだけじゃなくて、こっちから「何をしたい」って言わなきゃ駄目だ。無いんだったら、何か無理矢理でもテーマを作るぞ。そう思った。」
Yahooニュースより引用

それ以降は、企画・脚本作りから、作品に関わるようになったそうです。

その後は人気のトレンディドラマに起用されることが増え、吉田栄作さんや加勢大周さんと「平成御三家」と呼ばれました。

1997年に主演をつとめたドラマ「踊る大捜査線」が当たり役となります。若い頃の織田裕二さんは、とってもかっこいいですね。

まとめ

今回は、織田裕二さんの演技力について、紹介しました。

演技が下手という声よりも、一部のキャラのイメージが強すぎて、違和感を感じるときがあるということみたいですね。

これまでの功績や受賞歴などを見ても、安定の演技力を持っていると言えます。

今後の活躍も楽しみですね。最後まで御覧いただきありがとうございました。

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