山田裕貴さんといえば、数々のドラマや映画に出演し、俳優界で欠かせない人物ですよね。
父親は元プロ野球選手・山田和利さんというのは、有名な話ですね!
そんな山田裕貴さんですが、卒アル画像があるのか、気になっている方も多いと思います。
今回は、山田裕貴さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
【画像】山田裕貴の中学時代の卒アルを確認!
愛知県名古屋市出身の山田裕貴さんは、地元にある名古屋市立若水中学校出身です。
卒アル画像はすでに公開されているようで、画像を見ると今の山田裕貴さんそのままですね!
当時は、名古屋市内にある「シニアリーグ名古屋北シニア」に所属しており、父と同じプロ野球選手を目指していました。
小学生のときから野球を始め、強豪チームで、全国大会に出場したこともあったそうです。
ただ、「プロ野球選手の息子」と言われることに、プレッシャーを感じていました。
父を勝手に追いかけて、自分の人生を生きているのかわからなくなったこともあったそうです。
山田裕貴さんは野球部時代、ピッチャーをつとめており、髪型も丸坊主だったそうです。
足は早かったのですが、打力が弱くてパワーがなく、レギュラーに選ばれることはありませんでした。
自分より格上の選手ばかりに囲まれ、だんだん才能の無さを感じ、野球が重荷になっていきます。
そして、中学3年生で野球を辞めてしまいました。
一方恋愛面では、丸坊主時代はモテなかったのですが、髪が伸びてからはモテ始めたそうです。
急にバレンタインのチョコも貰えるようになりましたが、本人はずっと一途に1人の子を思っていたそうです。
中学校の卒業式で、好きな子のために“第2ボタン”だけは守ってて。“第2ボタンは、あの子にしかやらん”って言ってたら、小学校からの女の子の友達が“あの子にあげたいんでしょ。言ってきてあげる”って言ってくれて。
日テレNEWSより引用
そして、無事に好きな子に第2ボタンを渡すことができました。ちなみにその子には、2、3年の間に5回くらい告白したそうですよ。
【画像】山田裕貴の高校時代の卒アルを確認!
中学校卒業後、山田裕貴さんは東邦高校(偏差値52)に進学しました。
卒業アルバムを見てみると、さらにあか抜けてかっこよくなっていますね!「山田裕貴」が本名であることも分かります。
当時からイケメンだった山田裕貴さんですが、友人も多く、常にグループの中心にいました。
そんな山田裕貴さんの高校時代のあだ名は、「プリンス」。 しかし裏では、“プリン”と呼ばれてイジられていたそうです。
https://twitter.com/was404/status/1148981349295915009?s=20
なぜ「プリン」だったのかというと、山田裕貴さんが天然キャラだったからみたいですね。
この東邦高校は、父・山田和利さんの母校で、野球の強豪校。
甲子園では平成の最初と最後を優勝で飾り、史上最多5回の全国優勝を成し遂げています。
野球をやめた山田裕貴さんですが、高校3年生のときに、野球部の親友が甲子園に出場するのを応援しに行ったそうです。
試合が始まる前から、感情がこみあげてきて、涙がとまらなかったと言います。
野球を頑張っている親友を見て、『この人は人生諦めなかった。』と後悔したそうです。
父は山田裕貴さんに対し、『俺は野球をやれとは言っていない。やると決めたのになぜ最後までやらなかったのか』と言います。
その言葉を受けた山田裕貴さんは、次に何かを始めるときには、必ず最後までやり遂げようと決意しました。
初めての彼女
ちなみに、高校時代には初めての彼女ができたんどえすが、手を繋ぐのに4カ月もかかったそうですよ。
初めてのキスも自分からはできなかったそうで、『誕生日プレゼント何がいい?』と聞かれたときに、『チューがいいです』と言ったそうです。
これはとっても可愛いエピソードですね!女性からの好感度もかなり上がったようです。
元ヤンだった?
そんな山田裕貴さんですが、実は元ヤンだったという噂があります。しかし、これは完全なるデマですね。
なぜ元ヤン説が浮上したのかというと、映画「デメキン」や、「東京リベンジャーズ」など、不良の役が多かったからのようです。
ヤンキーや不良の役を演じることが多いので、「元ヤン」というイメージがついてしまったみたいですね。
実際の山田裕貴さんは、とてもピュアでシャイな野球少年だったのです。
山田裕貴の学生時代の部活は野球?高校時代はバレボール部だった?
山田裕貴さんの母校である東邦高等学校は、高校野球の名門です。
山田裕貴さんは、中学校で野球を辞めてしまったため、野球部には所属しませんでした。
本当は帰宅部で遊ぼうと思っていたのですが、父に『帰宅部だけは許さない!』と言われ、友達がいたバレーボール部に所属したそうですよ。
中学校までは、野球部に所属していました。
東邦高校の野球部は、全国屈指の名門校なので、県外からも上手な選手が集まってきます。
かなりのレベルでないと、東邦高校ではレギュラーにはなれないようです。
もし東邦高校の野球部に入っていたら、俳優にはなっていなかったかもしれないですね。
山田裕貴さんは、このまま野球を続けていても、プロにはなれないと感じたようです。
俳優になったきっかけは、『そっち側にいけば、テレビに出る回数なら父親を超えられるんじゃないか』ということでした。
尊敬する父親を超えたい!という思いがあり、芸能界へ入ったようですね。
もしかしたら、山田裕貴さんの父は、高校球児になってほしかったかもしれません。
しかし、自分のやりたいことを見つけた息子が、誇らしいでしょうね。
まとめ
今回は、山田裕貴さんの卒アル画像について、紹介しました。
山田裕貴さんの中学校・高校の卒アル画像を見てみましたが、とってもイケメンでさぞかしモテたと思います。
東邦高校では野球部ではなくバレーボール部に所属し、野球を辞めてしまったようです。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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