角川映画のヒロインとして一世を風靡し、現在は女優・歌手として精力的に活躍している薬師丸ひろ子さん。
ドラマや映画でも抜群の存在感をかもしだし、歌手としてもコンサートのチケットが即完売するほどの人気っぷりですね。
プライベートがあまり世に知られていないこともあり、家族構成も謎に包まれていると思います。
今回は、薬師丸ひろ子さんの家族構成について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
薬師丸ひろ子の家族構成を確認!
2021年に57歳を迎える薬師丸ひろ子さんは、東京都渋谷区の病院で誕生し、北青山で育ちました。
家族構成は、両親と祖母と姉、そして薬師丸ひろ子さんの5人でした。
薬師丸ひろ子さんの「薬師丸」という名字はとても珍しく、全国で20人ほどしかいないそうです。
神奈川県に10人、福岡県に10人という情報もあったので、薬師丸ひろ子さんのルーツは地方にあるのかもしれませんね。
「薬師丸」は母親の姓ということなので、父は婿養子に入ったのでしょうか。
薬師丸ひろ子さんの兄弟については、それほど情報が多くないのですが、お姉さんが1人のみのようですね。
薬師丸ひろ子さんは近年、那須の別荘を生活の拠点にしているそうで、以前暮らしていた都内の住まいと二重生活をしているといいます。
都内の自宅は庭の手入れも行き届かないほど、ほとんど姿を見せていないようです。
この自宅は、かつて玉置浩二さんや両親と二世帯同居をしていた家で、離婚した際に財産分与されました。
300平米でおよそ3億円の大豪邸だそうですよ。
薬師丸ひろ子の両親はどんな人?父親が宗教に心酔との噂も!真相を徹底調査
薬師丸ひろ子さんのご両親は、どちらもクラシック音楽が趣味で、幼いころから両親に連れられて、クラシック音楽演奏会に
行っていたそうです。
この時点でかなりお金持ちのお嬢様だった、と想像できますね。
父親の出身地は宮城県石巻市で、両親の職業は定かではありませんが、共働きだったそうですよ。
そのため、幼いころの薬師丸ひろ子さんは、祖母にお世話してもらうことが多かったそうです。
薬師丸ひろ子さんが、映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」に出演した際は、古き良き時代を愛する両親がとても喜んでくれたそうです。
薬師丸ひろ子さんは高倉健さんと共演した角川映画『野性の証明』でデビューしたのですが、それ以降はもともと女優を続ける気がなかったそうです。
祖母に芸能活動を反対されていたことも、大きかったようです。
そのため、母は『野性の証明』のみ出演することを条件に、本人も学業を優先することを望んでいました。
そして、芸能活動の条件を所属事務所と取り決めた上で、女優業を続けることになったようですね。
父親は霊友会の職員との情報もあり、宗教に心酔しているとう噂があったので、薬師丸ひろ子さんもその影響を受けているのでしょうか。
14才にして映画『野性の証明』で女優デビューした薬師丸ひろ子さんは、『セーラー服と機関銃』のヒロイン&主題曲をつとめ、大ブレイクとなりました。
清純派女優として人気が爆発し、瞬く間に角川映画の看板女優へとなりました。
自宅には昼夜問わずファンが殺到し、学業への支障を恐れ、母親は父親を自宅に残したまま薬師丸ひろ子さんを連れて家を出ます。
家族もマスコミに追いかけられるようになり、自宅にファンが殺到したことは、薬師丸ひろ子さんも大変怖く感じたそうです。
母と薬師丸ひろ子さんは、通学していた高校の近くに住んでいたそうです。
薬師丸ひろ子さんは、自分の芸能活動が影響して、家族がバラバラに生活することを心苦しく感じていました。
20歳で角川春樹事務所から独立しましたが、それ以降も自宅や父親の職場に報道陣が押しかけてきたそうで、窓口として個人事務所を立ち上げます。
そして現在、ご両親は別荘地に拠点を移し、田舎暮らしを始めました。
薬師丸ひろ子さんの元旦那である玉置浩二さんと二世帯同居をしましたが、その際にうまくいかなかったので、娘のために距離を置こうと考えたのかもしれませんね。
母は高齢で足が悪いため、薬師丸ひろ子さんがちょくちょく様子を見に行っていたのですが、現在の恋人・Aさんが別荘を購入し、両親の近くに住めるようになったそうです。
薬師丸ひろ子さんのために両親の近くに住むなんて、とても理解のある男性ですね。
薬師丸ひろ子さんは、東北・岩手の三陸海岸の町を舞台にした『あまちゃん』に出演し、それがきっかけで地方暮らしのスローライフにあこがれを抱いたそうですよ。
薬師丸ひろ子の兄弟を確認!美人姉妹との噂も?画像
薬師丸ひろ子さんには、お姉さんが1人います。
5歳年上の一般人だそうで、1987年に結婚したという事だけわかっています。
一般人なので詳細な情報はありませんが、薬師丸ひろ子さんのお姉さんということで、かなりの美人なのではないでしょうか。
薬師丸ひろ子さんの両親は共働きで、とても忙しかったため、祖母がずっと面倒をみてくれていました。
小学校低学年のときは、どんなに高熱が出ても自宅に連絡されることを拒否していたとか。
祖母が迎えに来ると、高齢なのに薬師丸ひろ子さんをおんぶして帰るので、申し訳なくて呼べなかったそうですよ。
祖母はしつけに大変厳しく、髪型はいつもおかっぱで、前髪が少しでも伸びるとぱっつんに切られてしまったそうです。
まるでお鍋をかぶっているような髪型で、薬師丸ひろ子さんはそれがとても恥ずかしかったそうです。
お弁当も祖母が作っていたのですが、毎回「おにぎり3個」「卵焼き」「漬物」という質素なメニューで、恥ずかしくてお弁当箱の蓋で隠して食べていたといいます。
色々と厳しい祖母だったのですが、なんだかんだでおばあちゃん子だったそうです。
祖母はしつけに厳しかったのですが過保護で、薬師丸ひろ子さんを常に心配していたようです。
祖母にしつけられたからか、いつも古いものに魅力を感じており、幼い頃の夢は考古学者だったそうです。
今でも、京都や奈良をよく訪れているそうですよ。
まとめ
今回は、薬師丸ひろ子さんの家族構成について、紹介しました。
両親と姉、祖母の5人家族のもと、生まれ育った薬師丸ひろ子さん。父親は霊友会の職員という情報もあり、薬師丸ひろ子さんも入信している可能性がありますね。
また、お姉さんが1人いるそうですが、一般人のため詳細な情報はありませんでした。
今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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