清水希容は日本人ではなく韓国人ハーフ!在日の噂も?出身や経歴を確認!

2021年に開催される東京オリンピックにて、初めて正式種目となった空手の形。

そんな空手界でひときわ注目を集めているのが、清水希容(しみず きよう)選手です。

とっても可愛らしい見た目をしているのですが、実は韓国人ハーフという噂が浮上しているのです。

今回は、清水希容さんがハーフという噂について調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

清水希容は日本人ではなく韓国人ハーフの噂?真相を調査

清水希容さんはとっても色白で、可愛らしいルックスをしていますよね。

空手界の綾瀬はるかとの呼び声も名高いことから、「もしかしてハーフなのでは?」と思われることも多いようです。

しかし、結論から言うと、清水希容選手は純日本人だそうです。

清水希容選手は生まれも育ちも大阪府ですし、高校や大学もずっと大阪だそうです。

『韓国』といわれる理由は、とても色白で美肌ということと、名前が「きよう」という珍しいものだからですね。

韓国人は色白で美肌な人が多いですし、清水希容選手のようなクールかつ綺麗な顔立ちが、韓国っぽいということのようです。

しかし、両親ともに純日本人で、クオーターでもなく、完全なる日本人です。

清水希容選手がオリンピックで出場する空手の「形」は、攻撃や防御の技を組み合わせ、「演武」といわれています。

技の正確性や力強さ、そしてキレのあるスピードが採点のポイントになります。

清水希容選手は小学3年生のときに、兄が通っていた空手道場を訪れ、空手を始めることになりました。

道場に女性がたくさんいることに驚き、その姿に憧れて、だんだん空手の「形」に打ち込むようになります。

その後は中学・高校・大学と、ずっと空手に打ち込み続け、「絶対女王」と呼ばれるようになりました。

試合中の清水希容選手の表情は、かなり険しくて気迫にあふれていますよね。

しかし、普段はとっても可愛らしくて穏やかな雰囲気で、「みんなにしょっちゅう突っ込まれる」ほどおっとり天然系の女性だそうです。

その天然なところから、「空手界の綾瀬はるか」と言われているようですね。

清水希容は在日韓国人との噂も?出身地はどこ?

清水希容選手は大阪出身ということで、純日本人であることが分かりました。

大阪は空手の猛者が結構いるそうで、清水希容選手はその中でもトップレベルのアスリートです。

清水希容選手は在日韓国人という噂もありますが、これもデマのようですね。

清水希容選手の「きよう」という珍しい名前と、色白で整った顔立ちから、日本人には珍しいといわれるようです。

韓国の方は目は細めでクールな印象がありますが、清水希容さんはどちらかというとクリッとした目をしていますよね。

ただ、演武中はキリっとクールな表情をしていますので、そのことから韓国人っぽい顔立ちといわれたようです。

清水希容選手の珍しい名前の由来については、インタビューで答えていました。

父方の祖父の知り合いに付けてもらったんですけど、「希望の器を大きくできるような子に」という願いが込められているそうです。
同じ名前の人に出会ったことはありません(笑)。私自身、この名前を気に入っていますし、空手家としてしっかり「希容」の名前を世界に刻みたいと思ってい
ます。
yahooニュースより引用

とてもステキな由来ですね!その願いどおりに、清水希容選手は人々に希望を与えるように育っていますね。

清水希容選手も自分の名前が好きということですから、その名のとおりに夢を叶えていけるようにがんばっているのでしょう。

清水希容選手の母は独学で栄養のことを勉強し、ずっと清水希容選手をサポートしてきました。

品数は多く、主菜に小鉢が4個ほど。私の顔色を見て疲労度を推し量ってメニューを考えてくれる。その時に必要なものを調べて作ってくれる。
海外遠征に行く際は、献立のメモを渡される。練習後に『しんどいな』と思って食べないと良くないので、さっと作れるもの。簡単にでき、栄養がある献立を考えてくれる。
47NEWSより引用

ほかにも心のケアも行い、清水希容選手の今の成功は、母がなくてはならない存在ということですね。

そして、清水希容選手の父親は、もともと空手を経験しており、無口なのですが試合の応援には必ず来てくれるそうです。

印象に残った父親の教えとして、相手がいるからこそ試合が成り立つ感謝して敬意を払って試合をしなさいという言葉をずっと言われてきたそうです。
47NEWSより引用

両親ともに、とても素敵な方々なんでしょうね。

清水希容の生い立ちや経歴を調査!幼少期の画像も確認

1993年、大阪府で誕生した清水希容選手。

幼少期は女の子らしい子だったそうで、ロングヘアーでとても可愛らしい見た目をしていました。

小学3年生のときに、一つ上の兄が通っていた空手道場になにげない気持ちでついて行きます。

ただ興味本位だったのですが、兄が通う空手道場の糸東流(しとうりゅう)をみて、衝撃を受けます。

糸東流の空手道場では、女性がたくさん演武をしており、空手は男性のスポーツというイメージが覆されます。

そして、美しく空手の形(かた)を繰り出している女性が、とてもかっこいいと感じました。

そして、両親に自らお願いして、空手道場に通うことになります。

ちなみに、空手に全国大会があることを知らなかったため、小学生時代は一度も大会に出場しませんでした。

清水希容選手は小学校卒業後、大阪市住之江区にある真住中学校に進学します。

学区内にある大阪市立住之江小学校、大阪市立清江小学校、大阪市立住吉川小学校のどこかの小学校に通っていたのでしょうね。

真住中学校には空手部がなく、清水希容選手は他の部活に入るという考えがなかったため、道場に通う日々を送ります。

中学時代はとにかく空手に夢中で、時間さえあればひたすら空手をしていました。

ただ、全国大会では3位の壁をなかなか突破できず、悔しい日々をすごします。

しかし、この負けず嫌いな性格が、どんどん清水希容選手を成長させました。

中学卒業後、私立の東大阪大敬愛高校に進学した清水希容さん。

この高校には空手道部にあり、インターハイ総合優勝や、春の選抜では日本一輝いたこともある名門校です。

日々厳しい練習に励んできた清水希容選手。高校時代は、すべてを空手に捧げてきたそうです。

そして、高校3年生でついにインターハイで優勝します

実は高校で空手をやめるつもりだったのですが、頂点に立ったことをきっかけに、大学進学後も空手を続けようと決意します。

関西大学に進学してからも清水希容選手の猛進は止まらず、創部80年を超える歴史ある空手部に入部しました。

関西の空手では、1部2部制のリーグ戦がありますが、空手部は創設以来一度も2部に落ちたことがないそうで、関西でトップクラスのレベルです。

関西大学2年生のときに、清水希容選手は全日本選手権で、史上最年少で優勝を果たします。

20歳で全日本の頂点に立つという快挙を成し遂げ、その後も全日本選手権を7連覇、世界選手権では2回優勝に輝いています。

空手にはプレミアリーグがあるのですが、世界空手連盟シニアランキング上位100位以内のみが出場できる国際大会では、優勝11回という快挙を成し遂げます。

そして、晴れて清水希容選手はオリンピック女子空手界代表に選ばれました。

清水希容選手は学生時代から金メダルばかりで、「絶対女王」と言われている理由がわかりましたね。

まとめ

今回は、清水希容さんがハーフという噂について、紹介しました。

清水希容選手は色白で整った顔立ちをしており、珍しい名前ということからも、韓国人ハーフの噂があったそうです。

両親ともに日本人で、大阪府出身ということで、純日本人ということが分かりました。

これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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