2021年開催予定の東京オリンピックで、男子バドミントンの金メダル候補である桃田賢斗選手。
幼少期から頭角を現し、バトミントン界のカリスマ的存在ですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、桃田賢斗さんの卒アルについて、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
【画像】桃田賢斗の中学の卒アルを確認!
桃田賢斗さんの中学時代の卒アル写真が気になりますが、残念ながら公開されていませんでした。
香川県出身の桃田賢斗さんは、小学校までは地元にある学校に通っていました。
桃田「賢斗(けんと)」という名は父がつけたのですが、アメコミのスーパーマンの主人公であるクラーク・ケントから文字ったそうです。
父・信弘さんは、桃田賢斗さんに世界で通用する男になってほしい、という願いを込めています。本当にそのとおりの素晴らしい選手になっていますから、すごいことですよね。
桃田賢斗さんは姉・めい子さんの影響で、小学2年生の時にバトミントンを始めました。
地元にある三豊ジュニアバドミントンクラブに通い始め、いきなり県大会で2位に輝きます。小学生で全国大会に出場しましたが、上位トーナメント進出はかないませんでした。
そのため、負けず嫌いの性格に火が付き、「日本一になりたい!」と思うようになります。
また、小学生時代はソフトボールも習っており、ずば抜けた身体能力から、本塁打王に輝きます。先日は、プロ野球の始球式でプロ顔負けの見事なフォームを披露していますね。
そして、小学校卒業後は、福島県へ渡ります。バトミントン全国大会の常連校である、福島県富岡第一中に入学するためです。
中学進学後は野球部も視野に入れていましたが、バトミントン一筋で生きていくことを決めました。
福島県富岡第一中学校は、中高一貫のバドミントン強豪校で、毎年全国大会出場を果たしています。
2009年には全国中学大会で優勝するなど、輝かしい実績を残している中学です。
桃田賢斗さんは中学でもずば抜けた才能を発揮し、史上初の中学生で全日本総合選手権に出場しています。
このころから、バトミントン選手として将来を期待されていました。
桃田賢斗の高校の卒アルはある?画像
中学卒業後、桃田賢斗さんは福島県富岡高校に進学しました。
この学校もバトミントンの強豪校で、桃田賢斗さんはスポーツ推薦で進学しています。
高校時代の卒アル写真も、残念ながら公開されていませんでした。
桃田賢斗さんは高校時代も第一線で活躍し、インターハイで優勝したり、実業団の選手も一目置くような存在になりました。
この高校は公立校ではありますが、福祉コース、国際コース、スポーツコースといった専門的な学科だけがある珍しい高校です。
また、Jヴィレッジ内にあるJFAアカデミー福島と連携し、2006年まであった普通科を廃止し、スポーツ科などの専門家を設置したそうです。
スポーツコースからは、サッカー部やバドミントン部といった強豪チームが多く輩出されていました。
桃田賢斗のイケメンすぎる学生時代の画像も確認!エピソードも
高校時代もバトミントンに打ち込んでいた桃田賢斗さんですが、2011年3月に東日本大震災で被災してしまいます。
当時、海外遠征でインドネシアにいたため無事でしたが、高校は福島第1原発の影響を受け、立ち入り禁止になってしまいます。
そのため、一時は練習場所を奪われる事態となりました。
福島県内にある福島北高校や光南高校、猪苗代高校などに通っていたと思われます。一時は、静岡県の三島長陵高校にあるサテライト校にも通学していたようです。
そんな逆境も跳ね返し、2012年には世界ジュニア選手権で優勝し、世界ランキングを50位まで上昇させます。
さて、桃田賢斗選手は平成23年(2011年)高校1年生の時に台湾で行われたジュニアの世界選手権では3位、銅メダルを獲得しています。
さらに平成24年(2012年)にはアジアユース選手権では金メダルを獲得しています。この年はインターハイでも全国優勝、世界ジュニア選手権では団体戦で銀メダル、男子シングルでは日本勢では初めての優勝を果たしジュニア世界一にも。
Yahoo!ニュースより引用
桃田賢斗さんは、当時から全日本選手権6連覇の田児賢一選手に強いあこがれを抱いていました。
高校3年生のインターハイでは、ロンドンオリンピックの最中だった田児賢一選手から、「頑張れ」とエールをもらったそうです。
猪苗代高高校の空き教室を借りて授業を受けていたときは、辛い仲でも限られた時間で逞しさが増したそうです。
震災がおきてから、改めて周りの人々に支えられていると感じ、プレーにより一層責任感が出たといいます。
震災の影響から、2017年3月には富岡高校休校となってしまいます。
桃田賢斗さんも母校への思いを明かし、富岡高校出身の自分が活躍することが、大きな意味をもつと話していました。
中学・高校時代を福島で過ごし、3・11にはツイッターで「福島の皆さんには本当に感謝している」とツイートをしていました。
福島のことを「第二の故郷」と話す桃田賢斗さん。
マレーシアで起きた自動車事故に巻き込まれ、眼底骨折の手術を受けた際も、福島への思いを胸に復活優勝を目指していました。
小学生時代から全国大会で優勝するなど飛び抜けた存在だった桃田選手。中学に上がると地元の香川県を離れ福島県の富岡町立富岡第一中学校に進学した。中高一貫の学校でバドミントンに打ち込んだ桃田選手は、3年時に全国中学校バドミントン大会で優勝し、高校生も出場する全日本ジュニアでベスト4入り。
そんな桃田選手を震災が襲ったのは富岡高校1年時だった。桃田選手はインドネシアに遠征していたため被災を免れたが、帰国後は福島に戻ることができず一時的に香川の実家へ身を寄せる。
スポーツ報知より引用
富岡高校は校舎と体育館が半壊してしまい、とても使用でる状態ではありませんでした。
そのため、福島県内の猪苗代町が被災した生徒を受け入れ、猪苗代高校の教室で授業を受けたそうです。
先行きが見えない状況の中、地方へ転校する生徒も多くいました。桃田賢斗さんはそんな中でも、学校が再開すると福島へ戻りました。
そして、バトミントンの練習に打ち込み、2011年の世界ジュニアでは男子シングルス銅メダル、翌年には日本人初の金メダルを獲得しました。
2019年の全英オープンで優勝した際は、トロフィーの写真とともに「3.11 勝つ事で皆さんに勇気を与えられますように」とツイートしています。
第二の故郷である福島への思いは、いまでも熱いものがあるのですね。
まとめ
今回は、桃田賢斗さんの卒アル写真について、紹介しました。
残念ながら中高ともに卒アル写真は公開されていなかったものの、過去の写真をみると昔からイケメンであることが分かりました。
高校時代は東日本大震災で被災し、練習場所を奪われる状況だったのにもかかわらず、素晴らしい結果を残していました。
これからの活躍も応援したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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