桃田賢斗の香川県の実家住所はどこ?生い立ちや幼少期の画像も確認!

2021年に開催予定の東京オリンピック。男子バドミントン代表に内定している桃田賢斗さんは、金メダルの最有力候補として期待されていますね。

世界ランキングでも1位に輝いているバドミントン界のエースですが、実家や生い立ちが気になっている方も多いのではないでしょうか。

今回は、桃田賢斗さんの実家について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

桃田賢斗の香川県の実家住所はどこ?

桃田賢斗さんは、香川県三豊(みとよ)市出身です。

山や丘、緑豊かな自然に囲まれた場所にあり、実家はのどかな田園地帯の中に建っています。

桃田賢斗さんは小学生まで実家で過ごし、それ以降は福島県へバトミントン遠征をしています。

両親が取材に答えた際に実家も写っていたのですが、一軒家でセコムも付いていましたので、結構大きな家だと思います。

ひとつひとつの部屋が大きいわけではないですが、綺麗な家で絵画が飾られており、天井にスピーカーがついていたりと、裕福な家庭のようです。

父は駐車場にバトミントンコートを書いたり、桃田賢斗さんが幼いころからサポートをしていました。

現在実家は新築になっているそうで、広い庭と綺麗に手入れの行き届いた松の木が植えてあるそうです。

父親は全力で桃田賢斗さんを応援しており、駐車場にオレンジのラインでお手製のコートを作っています。

駐車場には車が3台入るスペースがあったので、比較的裕福な家庭というのは間違いないでしょう。

また、倉庫を置いているそうで、実家は農家なのかもしれません。

桃田賢斗の生い立ちを確認!

桃田賢斗さんは香川県三豊郡三野町に生まれ、「スーパーマン」の主人公クラーク・ケントから文字って「賢人」と名付けられました。

父は「世界で一番強い人になれるように」という思いを込めたそうです。

本当にその願いどおり、バトミントンで世界1位に輝いてしまうのだからすごいですよね。

桃田賢斗さんは三豊市立吉津小学校1年生のときに、地元にあるバトミントンクラブに入会します。

小学校6年生で全国小学生選手権シングルスの部において優勝していますので、幼少期から才能を発揮していたのですね。

その後、バドミントンの名門・富岡町立富岡第一中学校に進学し、親元を離れて福島県に移り住みます。

中学3年生時で全国中学校バドミントン大会において、見事優勝に輝きます。

それから全日本ジュニアバドミントン選手権大会でベスト4入りを果たし、男子選手で史上初の全日本総合選手権予選に出場することになりました。

福島県立富岡高等学校に進学してからは、インターハイでシングルス・ダブルスともに優勝に輝きます。

2012年には、国際大会のアジアユース選手権男子シングルスで、堂々の金メダルを獲得します。

このころにはすでに、バトミントン界のエースとして注目を集めていました。

その後も国際大会で立て続けに優勝し、高校を卒業するころには、世界ランキング50位にまで上り詰めました。

桃田賢斗の子供時代や幼少期の画像も確認!

桃田賢斗さんの父・信弘(のぶひろ)さんは、香川県三豊市三野町にある『ミツノ鉄工株式会社』の専務取締役です。

『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントから文字って、「賢人」という名前をつけました。

世界で一番強い人になるように願いをこめて、その夢を実現するべく、信弘さんも幼いころから桃田賢斗さんのサポートをします。

信弘さんはバドミントン未経験者でしたが、指導用の本を読んで独学で勉強し、桃田賢斗さんの指導に当たります。

自宅の駐車場には実際のコートと同じ長さでラインを引いて、桃田賢斗さんが自宅でも練習できる環境を整えました。

桃田賢斗さんの必殺技「ヘアピン」は、父の信弘さんが自宅で指導した技です。ゴムを張ってネットに見立て、直々にラケットさばきを叩き込みます。

その指導のかいあって桃田賢斗さんはめきめきと実力をつけ、福島県のバトミントン強豪校にスポーツ留学もしました。

桃田賢斗さんがバドミントンを始めたのは、小学校2年生のときです。

姉のめい子さんが先に習っていたので、自然と興味を持つようになります。

また、父の信弘さんもすすめてきたそうで、バトミントンが幼いころから身近にありました。

小学生のときはバドミントンのほかにも、ソフトボールもしていたそうで、投手兼内野手でした。

左打者として巨人の高橋由伸選手にあこがれていたそうで、当時は野球選手にもなりたかったそうです。

持って生まれた身体能力を生かし、バトミントンに打ち込んだ桃田賢人さん。小学6年生からバドミントンの才能が開花しはじめます。

全国小学生選手権のシングルス部門で優勝し、日本バドミントンジュニアグランプリでは、香川県代表として団体優勝を果たします。

本格的にバトミントンに打ち込むため、中学は強豪校の福島県富岡町立富岡第一中学校へ進学します。

中学3年生で全国中学校バドミントン大会において優勝、全日本ジュニアバドミントン選手権大会ではベスト4に輝きます。

男子史上初の全日本総合選手権の予選に出場し、まさにスーパー中学生として注目されました。

中学生のころから、高校生に混ざって結果を残しているのは、すごすぎますよね。

高校はそのまま福島に在住し、バドミントンの強豪校である福島県立富岡高等学校へ進学します。

高校2年生で世界ジュニア選手権男子シングルス部門で準決勝進出、翌年の世界ジュニア選手権では優勝に輝きます。

日本で初めてジュニアの世界一に輝いたそうで、高校卒業まで世界ランキング50位に浮上しています。

しかし、高校在学中に東日本大震災が発生し、当時海外にいた桃田賢人さんは、高校が原発から近く、避難を余儀なくされます。

一時期は、練習の拠点を失ってしまったそうです。

「想像を絶するほどぐちゃぐちゃになっていて、すごくショックでした。原発が爆発した時は本当にやばいんじゃないかなと、ぞっとした感じでした」
NHKより引用

震災の被害をうけますが、2012年におこなわれた世界ジュニア選手権で、優勝に輝きます。

2013年にNTT東日本に入社してからは、プロのバトミントン選手として活躍します。

入社後は違法賭博により無期限の出場停止処分や、復帰後に交通事故で右目を負傷といった不運に巻き込まれます。

しかし、リハビリを乗り越えて復帰し、今では2021年の東京オリンピックで金メダル候補として注目されています。

今年は、さらなる飛躍の年になりそうですね!

まとめ

今回は、桃田賢斗さんの実家について、紹介しました。

香川県に三豊市というのどかな街に生まれた桃田賢人さん。中学生からスポーツ留学で福島に住んでいるので、実家にいたのは小学生までだったのですね。

父のサポートのもとバトミントンで実力を発揮し、今では金メダル候補として期待されています。

これからの活躍も応援したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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