東京オリンピックの男子スケートボード(ストリート)において、堀米雄斗選手が見事日本人初の金メダルを獲得しましたね。
スケートボードがオリンピック種目に初めて決定し、母国で金メダル1号となったのは本当に素晴らしいですよね。
そんな堀米雄斗さんの、学生時代の卒アル画像は公開されているのでしょうか?
今回は、堀米雄斗さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
堀米雄斗の中学・高校の卒アル画像を確認!
ネット上の情報を調べてみたところ、堀米雄斗さんの中学時代のものと思われる卒アル画像は出回っているようです。
まだあどけあさが残っていて、とてもかわいらしいですよね!
堀米雄斗さんは聖進学院という通信制の高校に通っていましたから、高校の卒業アルバムは無いようです。
堀米雄斗さんは、父・堀米亮太さんの影響でスケートボードを始めています。
亮太さんは埼玉県出身で、中学1年生のときに友人の影響でスケボーを始めました。
堀米雄斗さんのスケーターとしての素質を見抜き、直感で「スケボーが好きになる」と感じたそうです。
その後スパルタ教育をほどこし、堀米雄斗さんはどんどん成長していきます。
堀米雄斗さんはいまや世界トップスケーターとして活躍していますが、学生時代の彼女については、残念ながら見つかりませんでした。
スケートボードで忙しく、恋愛どころではない可能性はありますね。
SNSでは女優やモデルともやり取りをしているようで、浜辺美波さんや橋本環奈さんをフォローしていました。
好きなタイプは広瀬すずさんや本田翼さん。スケーターらしく、ボーイッシュな子が好きなのかもしれませんね。
堀米雄斗に発達障害で不登校の過去?真相を徹底調査!
堀米雄斗選手は中学卒業後、聖進学院高校に進学しています。
同校は大智学園高等学校の通信制普通科サポート校となっており、高校時代は海外へ行くことも多かったっため、通信制の聖進学院高を選んだようですね。
高校に入ってからもスケートボードに打ち込み、練習のしすぎで1年間に4回も骨折しています。
堀米雄斗さんの母校・「聖進学院」は、不登校や発達障害を持つ生徒も多いです。
そのため、堀米雄斗さんに発達障害の噂も浮上していましたが、完全なるガセネタのようですね。
何かしらトラウマを抱えたりハンディキャップがある生徒でも、安心して過ごせるような高校のようです。
堀米雄斗さんは、自分の夢であるスケートボードと、学業の両立を実現するために、この高校を選びました。
スケボーを持って登校し、午前中に授業を受けた後は、スケートパークでスケボーの練習に励みます。
先生はスケボーについて、「他人に迷惑をかけない」「路上ではやらない」とだけルールをもうけ、好きなことをして良いと後押ししてくれたそうです。
現在も堀米雄斗さんの夢を応援してくれているそうで、オリンピック出場の際は、日の丸にメッセージを書いて応援していました。
こんにちは。聖進学院東京校 入試広報よりお知らせです。
梅雨が明けて暑い日が続きますね・・・水分補給をしっかりして暑い夏を乗り切りましょう!
7月25日(日) 東京オリンピック2020スケートボードに卒業生の堀米雄斗君が出場します?
金メダル獲得を願って、教職員・生徒で寄せ書きを書きました!
教職員・在校生全員で応援しています!
聖心学院HPより引用
堀米雄斗さんの恩師でもある聖心学院の教授いわく、堀米雄斗さんは普段はおとなしく、どちらかというと目立たない生徒だったようです。
以前、ふと「なんで友達もあれだけスケボーをやってるのに、おまえだけ金メダル候補なんだ?」と聞いたことがある。
「先生、練習の質と量が全然違います。スケボーに関してだけは他の子とは違います。それだけ僕はやってきました、と。やっぱりそうなんだなと思った。骨を折っても休んだことがないから」
スポーツ報知より引用
スケボーになると真剣に取り組み、手を抜かない努力家な姿勢が、現在の堀米雄斗さんを作り上げているようですね。
堀米雄斗の学生時代の画像やエピソードを確認!
堀米雄斗さんは小学生時代から、とにかく徹底的に基礎練習をしてきました。
スケートボードを始めて最初の2年間は、大会に一切出場していませんでした。
ほかのスケーターと比べてもテクニックが劣り、それでも試合とは無縁の練習漬けの日々を送ってきました。
実は父・亮太さんの経験から、堀米雄斗さんにはしっかりと基礎を身に着けてほしかったそうです。
亮太さんは運動神経が良かったために、基礎を無視して、先にどんどん技を覚えていってしまったそうです。
その結果、中途半端な乗り方で成長が止まってしまうという苦い経験をしていました。
息子に同じ轍(てつ)を踏ませたくなかった。小学校卒業までは半円上の斜面を滑るバーチカルだけ。目的はストリートに必要な脚力の強化と、エアに対する恐怖心の克服だった。
加えて堀米が通った足立区のパークのバーチカルは表面が古く、横滑りしやすいかった。「常に良いところに乗っていないとツルンといっちゃう」と亮太さん。
どんな技でもぶれない軸は、バーチカルで養われた。
スポニチより引用
このように、父の指導のもと、小学生のころから徹底的に基礎トレーニングをしたおかげで、今の安定した滑りがあるようです。
小学校6年生のときの堀米雄斗さんの作文では、スケーターとしての夢を語っていました。
僕の夢は、世界で一番うまいスケーターになることです。
だからもっと練習するためにスケボーの本場のアメリカに行きたいです。
アメリカに行っていろいろなプロスケーターとすべったり教えてもらったりしたいです。
Yahooニュースより引用
堀米雄斗選手は小学6年生の時から、すでにアメリカを視野にいれたいたということで、本当にすごいことですよね。
まとめ
今回は、堀米雄斗さんの卒アル画像について、紹介しました。
中学時代と思われる卒アル画像は出回っているようで、とてもあどけなくてかわいい堀米雄斗さんを見ることができましたよね。
高校は通信制だったので卒アル画像はありませんでした。すでに世界を舞台に活躍していたということで、すごいですよね。
今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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