堀米雄斗はハーフ?出身は江東区で実家はお金持ち!幼少期や子供時代は?

スケートボード選手の堀米雄斗さんといえば、東京オリンピックで金メダルを獲得し、一躍有名人になりましたね。

スケートボードはとてもお金のかかるスポーツのため、実家はお金持ちなのでは?という噂がありますが、本当なのでしょうか?

今回は、堀米雄斗さんの実家について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

堀米雄斗はハーフ?真相を調査!

堀米雄斗さんは、東京都江東区出身です。

実家も東京江東区にありますが、詳細な場所については分かりませんでした。

堀米雄斗さんは今や世界を舞台に活躍しており、数億円を稼ぐスケートボード選手です。

ロサンゼルスに豪邸を購入し、アメリカを拠点に活動しています。

しかし、実家は豪邸では無いそうで、そこまでお金持ちではないと思います。

堀米雄斗さんはアメリカに住んでいるため、ハーフという噂も浮上していましたが、両親ともに純日本人だそうです。

父は中学1年生のときに友人誘われたことがきっかけで、スケートボードを始めており、プロにはなりませんでしたが、毎日のようにスケートボードをしていました。

インタビューでは、現在の奥さんと結婚する際に、「妻にスケボーはやめると約束したが、どうしても我慢できなくなり。長男の雄斗が生まれてから子守名目で連れ出した」と話していました。

実家から徒歩10分ほどの大島小松川公園に地元のスケーターが集う場所があったそうで、そこに堀米雄斗さんとともに通っていました。

堀米雄斗さんがスケーターとして本格的に活動するようになってからは、父はコーチとなり、平日は4時間、週末は8時間の猛特訓をしました。

五輪では高難度の技を連発して初代王者となった。穣さんの実家は河北町谷地の沢畑地区にあり、現在は亮太さんのいとこに当たる堀米昭一さん(63)=寒河江高教諭=が暮らす。昭一さんは今回の雄斗選手の活躍を誇らしく思ったという。
埼玉県に住んでいた当時に亮太さんは、幼い頃から何度も来町。また雄斗選手が小さい頃には1度、蔵王温泉(山形市)に雪遊びに連れて来ていた。2017年に久しぶりに再訪した際は「(雄斗選手が)本当に楽しそうで、すき焼きや餅を食べ、スノーボードでナイター営業が終わるまで滑っていた」という。雄斗選手は19年も蔵王に来ている。
Yahooニュースより引用

スケートボードはオリンピックの新競技ですが、堀米雄斗さんは18歳で単身アメリカに渡り、努力を重ねてきました。

その甲斐あって見事金メダルを獲得できたのですから、すごいことですよね。

堀米雄斗は東京都江東区出身で実家がお金持ち?

堀米雄斗さんが東京オリンピックで金メダルを獲得したことで、スケートボードブームが巻き起こっています。

スケートボードはとてもお金のかかるスポーツで、シューズやボードの値段は決して安くないです。

シューズ平均金額が6,000円~10,000円で、ボード平均金額が20,000円~30,000円なのですが、練習でシューズやボードがすぐに壊れてしまいます。

そのため、何度も買い替える必要があり、とてもお金がかかるのです。

堀米雄斗さんは決してセレブな家庭に育ったわけではなく、父はかなり苦労してお金を工面したようです。

堀米雄斗さんの父はタクシーなのかトラックなのか不明ですが、運転手で配送業関係のようです。

雇われ運転手の場合ですと、年収相場は500万円前後ですから、お金持ちとはいえないですね。

奥さんに結婚を機にスケートボードを辞めると約束したのも、お金がかかるからだったのかもしれません。

堀米雄斗さんの遠征費を稼ぐために、本業と掛け持ちで洗車のバイトも請け負っていました。

運転手の仕事をしていたゴメさんは、3人の息子の学費と雄斗の遠征費を稼ぐために同僚の車を洗うアルバイトを請け負っていた。
冬場も洗車バイトで稼いでいた、という話です。
亮太さんのスケボー仲間が明かしています。
冬場はあかぎれがひどくて、よく『いてえ、いてえ』ってこぼしてた。
毎日スポーツより引用

冬場に洗車のバイトとは、想像しただけで辛そうですね・・・

堀米雄斗さんは中学時代、シューズをガムテープで補強しながら練習を続け、年間50足履きつぶしていたそうです!

1週間に約1足のペースで、シューズを履きつぶしていたということですね。

「雄斗のデッキは1週間でダメになって、破れた靴はガムテープで留めていた。その頃の雄斗にはもうスポンサーがいたけど、物品の支給が追いついていなかった」
スポーツ報知より引用

すでに中学生でスポンサーがついていたのですが、ッキを壊すほどの勢いということは、相当な練習量だったのでしょう。

デッキは1個あたり3万円前後しますので、かなり高額です。お金の問題は大きかったことでしょう。

堀米雄斗さんは本場のアメリカでスケートボートをするべく、15歳のときに一度アメリカへ留学しています。

父の稼ぎと、堀米雄斗さんが国内大会で得た賞金で、海外留学のお金を工面していました。

当時、ロサンゼルスで堀米雄斗さんのお世話をしていた鷲見知彦さんは、次のように明かしています。

「雄斗は大会の賞金を工面しながら自活していた。一緒にパークに行くと、同じ技を繰り返し何時間も練習していたのが印象に残っている」
スポーツ報知より引用

父親の稼いだ洗車のバイト代にプラスして、自分で賞金をかき集めていたのですね。

大変だったと思いますが、父親の亮太さんは堀米雄斗さんの話になると笑顔になり、『あいつは9歳でマックツイストを決めた。史上最年少なのでは』と嬉しそうに話していました。

堀米雄斗の生い立ちや経歴を確認!幼少期や子供時代の画像をある?

現在アメリカで生活をしている堀米雄斗さん。

東京都江東区で誕生し、小学1年生の時にスケートボードを始めます。

父がスケートボードをやっていたため、パークについて行って、一緒に遊ぶようになります。

小学2年生のときなには華麗に技を決めていたそうで、スケボーの才能があったのでしょうね。

父親の亮太さんは、堀米雄斗さんの試合をリアルタイムでみないようにしているらしく、オリンピックの決勝もあえてリアルタイムでみていなかったとか。

「ドキドキしすぎて見れない」のが理由だそうで、親心が垣間見えますね。

堀米雄斗さんにとっても父が見ていないほうが勝てる、というジンクスになっているそうです。

堀米雄斗さんは小学生のうちに国内の大会で上位ランクに入るようになり、新しい技にどんどん挑戦していきます。

他の選手が既にある技に挑戦していく中、自分で新しい技を考えて、チャレンジしていったそうです。

2019年のブラジルの大会においては、「ノーリーバックサイド180スイッチフロアワンサイドイーグル」という大技を決めていました。

体を回転させながら、車輪の間に手すりを通して滑り降り、後ろ足を上げてボードのヘリを手すりにぶつけて着地する大技。
「人が大会で出さないようなトリック(技)を出す」というオリジナルの大技を出すプロの美学が堀米選手にはあるのです。
Yahooニュースより引用

堀米雄斗さんは、2015年、16歳のときにはじめて渡米しています。

小学校の卒業文集にも、「プロスケーターになりたい」「アメリカに行きたい」と書いていたくらい、強い意志があったのですね。

その後、高校生のときには、2年連続で年間グランドチャンピオンに輝き、卒業後にアメリカへ移住します。

その後、2017年の「ストリート・リーグ」で準優勝し、翌年には優勝を果たしています。

「ストリート・リーグ」は、スケートボードにおいて世界最高峰のプロツアーとされており、日本人で初優勝となります。

現在はアメリカのロサンゼルスに住んでおり、本場アメリカのトップ選手とともに切磋琢磨しています。


スケボーの本場であるロサンゼルスの人たちから、写真やサインを求められる程人気の選手となりました。

コロナの影響で思うような練習ができないながらも、家の駐車場や路上で練習を積み重ねていたそうです。

1日6時間の練習の中では、ケガをすることも多く、足や腕などの骨折は日常茶飯事。
それでも、恐怖を感じずに練習を続けられる原動力は「スケートボードが好き」という一途な思いから。
この「スケートボードが大好き」という部分が、小学生から渡米を思い描き、それを現実のものにしている堀米選手の根幹なのだなと感じます。
練習も「練習だと思っていない」と語る堀米選手からは、とても楽しんで練習している気持ちが伝わってきます。
日刊スポーツより引用

そして、東京オリンピックが1年延期となったことについては、「また練習の時間が増えた」と、とてもポジティブな気持ちで捉えていました。

まとめ

今回は、堀米雄斗さんの実家について、紹介しました。

東京都江東区出身の堀米雄斗さんは、小学生のときから父に教わりスケートボードを始めていました。

実家は決して裕福ではありませんでしたが、父がバイトをしたり自身の大会賞金で、遠征費を工面していたようですね。

今後の活躍も楽しみですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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