平野美宇の出身地は山梨県中央市?経歴や生い立ちを調査!幼少期の画像を確認!

女子卓球選手の平野美宇さんといえば、世界ランキングで5位になるなど輝かしい功績で知られていますね。

惜しくも東京オリンピックには出場できませんでしたが、今後の卓球界を担う存在であることは間違いありません。

そんな平野美宇さんですが、出身地が気になる人も多いのではないでしょうか。

今回は、平野美宇さんの出身地について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

平野美宇の出身地は山梨県中央市?実家はどこ?

平野美宇さんは静岡県沼津市で誕生しましたが、2歳のときに山梨県へ引っ越しています。

2歳から小学5年生まで祖父の家に住んでいたそうで、そこの2階に卓球ルームがあったため、平野美宇さんはずっと卓球の練習をしていました。

山梨県に引っ越した理由は不明ですが、母方の祖父と同居していたようですね。

3歳半から母親が指導している「平野英才教育研究センター卓球研究部」で練習を積んだ平野美宇さん。

当時からメディアに注目され、負けそうになると悔しくて泣いていたため、「第2の愛ちゃん」とも呼ばれていました。

両親と妹が2人の5人家族で育ち、平野美宇さんは長女でした

父親は元筑波大学卓球部主将ということで、大学時代に全日本選手権2回戦に進出するほどの腕前でした。現在は都内で内科医をしています。

母の真理子さんも元卓球部で、全国教職員卓球大会でベスト8に入るほどの腕前です。

次女の世和さん、三女の亜子さんも卓球をしていますし、完全なる卓球一家ですね。

三女の亜子さんは、2016年に開催された東アジアホープス卓球選手権に出場しています。

平野美宇さんは、母親が設立した「平野卓球センター」で、学校帰りに6時間の猛特訓をしていました。

小学生のときから運動神経が良く、得意科目は体育、苦手科目は算数だと話しています。

中学生になるとすでに全国区の選手だったため、遠征などで学校に行けずに、だんだん勉強についていけなくなってしまったそうです。

小学生の時点で、全国大会を制覇するほどの結果を残していたことから、中学1年生でJOCエリートアカデミーに入所します。

中学生になるタイミングで上京し、味の素ナショナルトレーニングセンターにある寮で生活を始めました。

JOCエリートアカデミーに所属する中学生は、全員この中学校に通うことになるそうです。

平野美宇の経歴や生い立ちを調査!

平野美宇さんは山梨県に引っ越してから、中央市立田富北小学校に通い始めました。

3人姉妹の長女として生まれ、卓球選手だった両親の影響で、3歳から卓球を始めます。

両親ともに筑波大学在学中に卓球選手として活躍し、母は養護教諭を経て「平野卓球センター」を設立しました。

祖父も大学で卓球部の顧問を務めています。

このように卓球一家のもとに育った平野美宇さん。恵まれた環境の元、卓球少女として頭角を現します

4歳ですでに小学2年生以下の全日本選手権大会「バンビ部」に出場し、7歳で初優勝しています。

それから小学生のときに大阪にある「ミキハウスJSC」に所属し、月に1度トレーニングのために、山梨から大阪府八尾市まで通いました。

そのときにはライバルである伊藤美誠選手と、お互いに勝利記録の更新をしていきます。

「みうみま」コンビとして、小学校6年生のころには初めてダブルスを組むことになりました。

その後、中学時代はダブルスで活躍してましたが、卓球のときは非常に負けず嫌いなものの、普段は大人しくて引っ込み思案な性格だそうです。

同学年には競泳選手の池江璃花子さんがいて、ときどき連絡を取り合うほどの仲だそうですよ。

小1:全日本卓球選手権大会(バンビの部) 優勝
小2:全日本卓球選手権大会(カブの部) 準優勝
小2:東京選手権 最年少勝利
小3:全日本卓球選手権大会(カブの部) 優勝
小5:第20回東アジアホープス卓球選手権 女子シングルス・団体戦 ともに優勝
小5:全日本卓球選手権大会(カデットの部) 優勝
芸能人学歴.comより引用

小学校だけでも、これだけの成績をあげていたのですね。

中学卒業後、平野美宇さんは通信制の大原学園高等学校に進学しました。

通信とはいえ、卓球で世界レベルで戦っている平野美宇さんが、高校を卒業するのは大変だったと思います。

その後の成績は、主に以下の通りです。

・2015年3月(14歳)、スペイン・オープンU21シングルス決勝で伊藤美誠さんに勝って優勝。
・2016年1月(15歳,中学3年生)、全日本選手権一般の部女子シングルスの準決勝で伊藤美誠さんとの対戦をストレートで破り史上最年少で決勝進出した(結果はフラッシュ撮影に影響され、石川佳純さんに敗れました。)
・2017年1月(16歳,高校1年生)、全日本選手権一般の部女子シングルスにおいて史上最年少での2年連続決勝を果たし、石川佳純さんを破って史上最年少の16歳9か月での優勝をしました。
芸能人学歴.comより引用

その後も史上最年少記録を塗り替えて、卓球界のエースとして君臨し続けています。

平野美宇の幼少期や子供の頃の画像を確認!

平野美宇さんは静岡県で生まれ、幼少期を山梨県で過ごします。

当時の写真をみると、とっても可愛いですよね!子供の時から、すでに今の平野美宇さんの顔立ちになっている気がします。

「平野美宇」という名前は、スペースシャトル・エンデバーの打ち上げにちなみ、両親が「美しい宇宙」から「美宇」と名付けたそうです。

内科医の父と、元養護教諭の母のもとに生まれ、母が卓球塾を開校していることがきっかけで、卓球をはじめました。

3歳5ヶ月のときに本格的に練習を開始し、幼稚園生のときは1時間の朝練、2時間の夜練をしていたそうです。

年齢を重ねるにつれ、どんどん練習時間を延ばしていったそうですよ。

幼少期から負けず嫌いな性格をしており、試合中に泣き出してしまうこともありました。そのことから、「泣き虫愛ちゃん」で知られる福原愛さんを彷彿とさせていました。

ときには泣きすぎて胃液を吐くほどだったそうですが、小学校入学してほどなく、全国大会で優勝します。

県内では敵なしとなった平野美宇さんは、山梨から大阪まで遠征することになりました。

中学進学時には、大阪府八尾市に拠点を置いているミキハウスのチーム「ミキハウスJSC」に通いはじめます。

これは、小学生のときから注目されていた平野美宇さんが、JOCエリートアカデミー(東京都北区)のアカデミー生になったためでした。

JOCエリートアカデミーとは、オリンピックなどで活躍できる選手を育成する機関で、寮生活をしながら各競技に打ち込みます。

実家に帰れるのは、一年の間でゴールデンウイークや夏休みなどの決められた期間のみです。

平野美宇さんは、中学1年生から高校2年生まで寮生活を続けていました。

その負けん気の強さで攻撃なプレイスタイルとなり、数々の大会で優勝するようになります。

小学1年生から卒業するまでは、年に数回、西村卓二元女子日本代表監督指導の東京富士大学卓球部にも訪れていました。

2011年1月におこなわれた全日本選手権では、一般シングルス部門で優勝し、福原愛さんの最年少記録を更新しています。

中学時代は、同い年の伊藤美誠さんとダブルスを組み、「みうみま」の相性で親しまれていましたね。

伊藤美誠さんは今でも友人でライバルでもありますので、切磋琢磨してお互いを高め合っていたのですね。

そして、2015年の世界ランキングで17位にランクインしており、石川佳純さん、福原愛さん、伊藤美誠さんに次いで日本人4位となりました。

2016年におこなわれた全日本選手権女子シングルスでは、決勝戦で石川佳純さんに敗れますが、中学3年生で全日本選手権準優勝という快挙を成し遂げます。

リオオリンピックでは惜しくも補欠選手となり、石川佳純さんや伊藤選手さんのサポートに徹していました。

平野美宇選手のプレースタイルは、右シェーク裏裏ドライブ型といい、得意技は「チキータ」です。

手首の反動を使って、横方向のスピンをかける強力な技。さらには、「スマッシュレシーブ」という打法も得意としています。

相手がレシーブしにくい「チキータ」と、カウンターである「スマッシュレシーブ」という、攻撃的なプレイスタイルが得意なんですね。

まとめ

今回は、平野美宇さんの出身地について、紹介しました。

静岡県沼津市で誕生しましたが、祖父の実家がある山梨県で育ったようですね。

中学からは寮生活をして卓球に打ち込み、世界レベルの選手に成長しています。

これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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