まだ17歳の若さにして、日本男子卓球界のエース的存在である張本智和選手。
日本代表として東京オリンピックでの活躍も期待されていますが、残念ながらシングルスでは惜敗してしまいましたね。
そんな張本智和さんですが、出身地は日本ということを知らない人も多いと思います。
今回は、張本智和さんの出身地について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
張本智和の出身地は宮城県仙台市?実家を調査
張本智和選手は、宮城県仙台市出身です。
両親ともに中国の四川省出身のため、生まれたときは中国国籍だったのですが、2014年に日本に帰化しています。
張本智和選手は父・妹とともに日本に帰化しており、日本国籍を取得しました。
卓球に打ち込んでいく中で、生まれ育った日本の代表選手となり、世界の舞台へ立ちたいと思ったようですね。
両親が中国出身ではありますが、張本智和選手は生まれも育ちも日本の宮城県仙台市です。
張本智和さんは中学校を卒業する際も、「最高の友人と出会い、一生過ごした時間を忘れません。」と話していました。
日本で生活し、周りの人々に支えられたからこそ、帰化することを選んだのでしょうね。
張本智和選手は4人家族で、父:張本宇さん、母:張凌さんはもともと中国で生まれ育っています。
父は元プロ卓球選手で、男子ジュニア日本代表のコーチを経験しています。
母も元中国代表選手の選手で、世界卓球選手権に出場するほどの実力者でした。
妹の張本美和さんも卓球選手で、全日本卓球選手権において、平野美宇選手が持っている最年少記録に並ぶほどです。
家族全員が卓球経験者という環境のもと、張本智和さんは思いっきり卓球をやってこれたのかもしれませんね。
両親は現在、「張本卓球場」という卓球クラブを運営しています。
このクラブは仙台市宮城野区萩野町4丁目9-57にあるようで、実家もここになるようですね。
張本智和の経歴や生い立ちを調査!
張本智和さんは、宮城県仙台市で誕生しました。
元プロ卓球選手の両親から影響を受け、2歳で卓球をはじめます。
正確なバックハンドとボールタッチが武器で、当初から天才と言われていました。
2010年に、仙台市立東宮城野小学校に入学し、このころから頭角を現しています。
小学1年生で全日本卓球選手権大会(バンビの部)にて優勝し、注目を集めます。
2014年には、父の張宇さん・妹の張美和さんと一緒に日本国籍を取得し、帰化しています。
小学校卒業を機に上京し、東京都北区立稲付中学校に入学し、JOCエリートアカデミーに入校しました。
ITTFワールドツアー・ジャパンオープン荻村杯(U-21)においては、自分よりランキング上位の選手に勝ち、世界史上最年少優勝となります。
それまで世界ランキング190位でしたが、わずか一ヶ月で63位まで上げるという快挙も成し遂げました。
2016年10月、東京オリンピックに向けた若手強化選手ということで、平野美宇選手とともに選出されています。
そして、2017年の第54回世界卓球選手権個人戦において、ベスト8に入っています。
世界選手権で13歳という若さでのベスト8は世界史上初だったため、メディアにも「天才」と取り上げられました。
また、2017年は世界ランキングをわずか2か月で18位まで上昇させます。
高校入学後も、さまざまな大会で記録を更新し続け、2020年の全日本卓球選手権大会、2021年のWTT中東ハブスターコンテンダーで、見事優勝しています。
そして、東京オリンピックにおいては、日本男子史上最年少でシングルスおよび団体の代表選手に内定します。
張本智和さんは両親が中国人ということもあって、日本に帰化してからも誹謗中傷にあうことがりました。
日本人ではないのに日本の代表になるなんて・・・というネガティブな声にも惑わされず、自分のプレーを貫いていきましたね。
東京オリンピックのシングルスでは残念な結果となりましたが、団体ではメダルを獲得してほしいですね。
張本智和の幼少期や子供の頃の画像を確認!
張本智和さんは2歳から卓球を始め、両親の指導のもと、すぐに頭角を現しました。
当時の写真を見ると、まだあどけない表情でとても可愛いですよね。
そんな張本智和選手のあだ名は、「ザンザン」。
帰化するまでの苗字が「張(ザン)」だったため、このニックネームで呼ばれるようになったみたいですね。
張本智和選手といえば、点を決めるたびに「チョレイ」という叫び声をあげることでも話題になっています。
この「チョレイ」を中国語だと思う人もいるのですが、これは自然に発する雄たけびなので、特に意味はありません。
張本智和選手の母いわく、「雄たけびを発するようになったのは幼稚園から」とのこと。
ここぞという正念場や、点を決めたときに大きな声を出すと、自信につながったみたいですね。
コートを出ると素顔は普段は恥ずかしがり屋な張本智和さんですが、卓球をすると別人になるそうです。
大きな声を出すと自分を鼓舞し、プレッシャーを和らげる効果もあるそうです。また、相手への心理的プレッシャーにもなりますね。
かつては、福原愛さんの「サー!」という叫び声が話題になりましたが、やはりこれ自体にも意味がありません。
張本智和さんは学校でも「チョレイ」を真似されるそうで、それは構わないけどバカにしないで欲しい、と困惑していました。
張本智和さんの両親は、中国の四川省出身で、父・張宇さん、母・張凌さんともにプロ卓球選手でした。
卓球王国の中国でプロとして活躍していたのですから、かなりの実力だったのでしょう。
張本智和さんは2003年6月27日に日本で誕生し、日本と中国の文化が融合する環境で育ちました。
母から2歳の時にラケットをもらい、卓球を始めます。
ただ、両親から厳しい教育を受けてきたわけではなく、むしろ両親は「プロとして卓球をやらせたくない」と思っていました。
プロを経験していたからこそ、その辛さを息子に味あわせたくないと思ったのでしょうね。
張本智和さんは3歳から英会話教室に通い、小学生で学習塾へ通い始めます。ラケットよりも鉛筆を握る時間の方が長かったのですね。
小学校卒業までは、卓球の練習を1日2時間までと決められていたそうです。
そんな経緯もあってからか、張本智和選手は卓球の実力のみならず、かなり頭脳明晰なんです。
小学生のときに通っていた学習塾では、模試で宮城県トップ30位に入ったほどです。
母の張凌さんから、卓球だけではなく、しっかり勉強するように教えられ、張本智和さんはそれをちゃんと守っているのですね。
母は張本智和選手に、今後東北大や東大へ行ってほしいと考えています。
張本智和選手自身も勉強は決して嫌ではなく、学ぶことは好きみたいですね。
中国は卓球大国ですが、張本智和選手が卓球選手としてトップに立ったのは、本人の努力が1番でしょうね。
まとめ
今回は、張本智和さんの出身地について、紹介しました。
宮城県仙台市出身で、産まれも育ちも日本ということが分かりました。
両親の指導のもと卓球に打ち込み、幼いころから勉強もしっかり両立していたようですね。
これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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