1999年9月、当時まだ25歳という若さで大阪市会議員に初出馬された、柳本顕(やなぎもと あきら)さん。
そんな異例の若さで政治家へと進まれた柳本顕さんですが、背景として政治家だった父親の存在や叔父の影響も大きかったという噂もあるようです。
そして、早くから政界に入られた柳本さんの妻も、やっぱり政治家なの?といった噂もあるようなので調査してみました!
目次
柳本顕(あきら)の父親は柳本豊
現在、大阪市の市会議員として活動されている柳本顕(やなぎもと あきら)さんですが、もともとの家業は酒屋だったという経歴もあります。
そして、柳本顕さんの父親もその酒屋を継いでいたわけですが、どういう訳か柳本さんが中学生の頃に父親は政治家へと転身されたようです。
柳本顕は父親の豊氏の影響で政治家に!
どういう訳かお父さんが政治家になったとは言え、やはりその背中に憧れがあったのでしょうか?
お父さん好きだったあきらさんは、政治家になった父を誇らしく感じていたんでしょうね!
そして、あきらさんはそんなお父様の気持ちを継ぐように、政治家になられたことは確かなようです。
平成11年8月10日…私の人生の転機。当時、自由民主党市会議員団幹事長として、移動議員団で北海道に出張中。父は遠い北の大地・釧路で急逝しました。
それから、アレヨアレヨと事が進み、私は補欠選挙の末、市会議員にならせて頂き、もうスグ丸六年。ちょっと簡潔に話しすぎましたが…本当にイロイロイロイロありつつも、アットいうまの6年でした。
引用:「柳本あきら☆メンタリング”柳本豊を偲ぶ会”」より
柳本さんが慕っていたお父様は、突然北海道で亡くなられたそうです。
しかし、もともとの実家の酒屋という庶民的な職業から政治家に転身されたお父様ってスゴイですね!
よほどの使命感だったり、何かの転機があったのでしょうか?
とは言え、実家が政治家という家系よりもむしろ民衆の気持ちに寄り沿う政治ができそうな気もしますね。
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柳本顕(あきら)の叔父は柳本卓治
柳本顕さんの叔父は、政治家の柳本卓治(やなぎもと たくじ)さんです。
叔父である柳本卓治さんも同じく、ご出身は大阪市西成区ですね、早稲田大学~大学院を卒業され中曽根康弘衆議院議員秘書を経ての大阪市会議員だったようです。
そして、その後も政界で活躍されています◎
初めて当選された当時では、最年少の当選者だったようです。
そしてそれが1975年ということですから、時系列的に考えるとこの叔父である柳本卓治さんに影響されて柳本さんの父親は政治家になったのかな?と想像します。
柳本顕の父親は、叔父の影響で政治家になった…?
柳本顕さんのお父様は、8人兄弟姉妹だったようです。
しかも長男でも無かったようですが、実家の酒屋を継いでいたんですね。
しかし、ある時。。
おそらく柳本顕さんの中学校時代の頃である、1987年頃に父親の豊さんが政治家になったということですから、もしかしたら実家の酒屋の経営が良くなかったとかでしょうか?
和暦だと、平成1年という時代の大きく動いた頃だったようです。
この2年後にバブルがはじけちゃったんですね・・・💦
もしかして、柳本顕の妻も政治家?
柳本顕さんの父親も叔父さんも政治家ってことは、あきらさんは政治家サラブレッド的な存在ということになりますね。
ということは、女性との出会いも政界だったりするのかなと考えて、もしかして妻も政治家じゃないのかと・・・調べてみました。
25歳の若さで、なるべくして政治家となられた柳本さんでしたが、結婚の話や妻・子どもについての情報がないという。。
とりあえず、経歴をじっくり調査しましたが、どうやらまだご結婚されていないようです。
コレは気が早すぎました、、失礼しました。
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柳本顕(あきら)氏の家族についてまとめ
2019年現在で、45歳という政治家としてはまだまだ若い年齢の柳本顕(やなぎもと あきら)さんですが、政治家を志すきっかけは父親の影響がかなり大きいのだろうということがわかりました。
そして、そんな父親が影響を受けた人物は兄弟だったんですね!
つまり、あきらさんは政治家になることを中学生の頃から、密かに意識していたのかも知れません。
そう思うとスゴイ努力家ですね。
というわけで、今回は柳本顕さんが政治家を志すようになった背景が少し見えたような気がしました。
今回の調査は以上ですが、新たな情報があれば更新したいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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