スノーボードにおいて、ソチ、平昌オリンピックで2大会連続銀メダルを獲得した、若きエース・平野歩夢さん。
2021年はスケートボードで東京オリンピックへ出場することが決定しており、夏冬同時にメダル獲得が期待されています。
そんな平野歩夢さんですが、学生時代の卒アル画像はあるのでしょうか?
今回は、平野歩夢さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
平野歩夢の中学の卒アルを確認!
平野歩夢の卒アル画像が気になる人も多いと思いますが、残念ながら公開されていませんでしあた。
学生時代の写真はいくつかあるのですが、卒アル写真は世に流出していないようですね・・・
平野歩夢さんの出身は新潟県村上市で、中学は村上市立村上第一中学校を卒業しています。
中学1年生・2年生では、スノーボード全米オープンのジュニアジャムで連覇を成し遂げ、ソチオリンピックの日本代表にも選ばれました。
そして、中学3年生の2014年2月には、ソチオリンピックで銀メダルを獲得しています。史上最年少での獲得ということもあり、一躍時の人になりましたね。
銀メダルを獲ったのにもかかわらず、平野歩夢さんはリアクションが薄くて堂々としていたのも印象的でした。
平野歩夢さんは、スノーボードの最年少メダリストとして、ギネス世界記録にもノミネートされています。
平野歩夢の高校の卒アルを確認!エピソードも
14際の時にニュージーランドで開催されたワールドカップ開幕戦で優勝し、中学3年生でソチオリンピック銀メダルを獲得した平野歩夢さん。
このときから注目を集めるようになり、新潟県の開志国際高校アスリートコースに進学します。
高校の卒業アルバムも公開されていないようで、見当たりませんでした。
この高校は私立の共学校で、医学科や国際コースもあり、偏差値の高い高校です。
新潟県胎内市にあるようで、実家からは少々離れているみたいですね。
この高校には“スノーボード専攻”“アメリカンフットボール専攻”といった、珍しい学科があるようで、平野歩夢さんもこのアスリートコースに在籍していました。
また、地元の子供たちにスノーボードを教えたいということで、県外ではなく地元の高校に進学したそうです。
「全然知らない人たちが県外から来ているが、これからみんなと仲良くしたい。僕もみんなもスポーツの競技者として上を目指していて共通するものがあるので、お互い頑張っていきたい。」
芸能人学歴.comより引用
高校時代の平野歩夢さんは、X Gamesや、スイスで行われたLAAXオープンで優勝しています。
ただ、同じ部員の飲酒騒動の影響で活動休止に追い込まれたり、自身の左膝内側側副じん帯損傷という大怪我をしたりと、大変な年でもありました。
最初は落ち込みましたが、リハビリ中は前向きに考え、ビデオを見て新しい滑りを研究していました。
怪我から回復してからは、スノーボードのスポーツ推薦で、日本大学スポーツ科学部に進学します。
今までスノーボードしかしてこなかったので、ボードをしてる人としか関わってこなかった平野歩夢さん。偏った世界しか知らないため、広い世界を知るためにも大学人額を決意したそうです。
2018年の「X Games」では、前人未踏の「連続4回転」を成功させ、度肝を抜かしましたね。
平野歩夢の幼少期や学生時代の写真も確認!
平野歩夢さんは、兄の平野英樹さんの影響で、4歳からスケートボードを始めました。
父が借金をしてつくった「日本海スケートパーク」で練習を重ね、兄に負けたくないという一心で技を磨いていきます。
その半年後にスノーボードも始め、幼いころから二刀流で活躍してきました。
ソチ、平昌オリンピックで銀メダルを獲得した際も、あまり笑顔が見られまさえんでしたが、昔からそういう子供だったそうです。
大人が抱っこして笑わそうとしても、なかなか笑わなかったといいます。
ソチオリンピックでも、「あまり緊張しなかった」と、かなり淡々とした様子でしたね。
しかし、根っこは無邪気でやんちゃな少年だったようです。昔から負けず嫌いで、常に兄というライバルがいたからこそ、成長できたといいます。
平野歩夢さんは、幼いころ1月中旬~3月中旬にかけ、毎日父と兄と3人でスキー場に向かい、練習していました。
父親が練習場所を探しているときに、周囲から紹介されたのがそのスキー場だったそうです。
現在でも、平野歩夢さんのホームタウンとなっています。
通い始めた当時の平野選手について、「才能は(当時は)そこまで感じられなかった」と話す一方で、「ゆっくりだったけど、難なく横滑りできていた」と述べた。
だが、小学4年生の頃から全日本大会などで優勝が続くと「この子はオリンピックに行くだろうな」と思い始めていたという。
スポーツ報知より引用
当時は子供がハーフパイプ場で練習する姿は稀で、大人に混ざって滑っていたそうです。
平野歩夢さんはもくもくと練習に励み、滑り終えてスタート地点まで戻る、というのをひたすら繰り返していました。
今回のメダル獲得については、「(声をかけるとすれば)おめでとう、なんだろうけど本人は金メダル獲得は確実だと思っていただけに悔しがっているだろう。2大会連続でメダル獲得だから『すごいなぁ』と声をかけようかと考えている」と話した。
スポーツ報知より引用
小学4年生でプロ契約を結び、平野歩夢さんは国内で敵なしとなりました。
初めて世界へ進出したのは小学6年生のときで、バートンUSオープンで準決勝まで進みます。
この大会は36年の歴史があり、オリンピックやX Gamesで活躍する猛者が終結する世界最高峰の大会です。
日本中に認知されたのは15歳でしたが、小学生の頃から天才といわれ、「ショーンホワイトのような高く飛べるような選手になりたい」と話していたそうです。
幼いころから志し高く邁進してきたからこそ、今の平野歩夢さんがいるのですね。
まとめ
今回は、平野歩夢さんの卒アル画像について、紹介しました。
残念ながら、中高ともに卒アル画像は公開されていませんでした。
幼いころから天才っぷりを発揮していた平野歩夢さんですが、毎日ハードな練習をこなしてきたからこそ、結果を残しているのですね。
これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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