東京オリンピックへの出場を最後に、現役引退を表明している内村航平さん。
オリンピック2大会連覇を成し遂げ、言わずと知れた男子体操界のレジェンドですよね。
そんな内村航平さんですが、学生時代の卒アル写真が見たいという方も多いと思います。
今回は、内村航平さんの卒アル写真について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
内村航平の中学の卒アルを確認!画像
内村航平さんの中学時代の卒アルが気になりますが、残念ながら公開されていませんでした。
ただ、小学生時代の卒アル画像は発見することができました!すでに顔が整っていて、イケメンですよね。
まだ幼さがあり、あどけない可愛いところも魅力的ですね。
今でもイケメンかつかわいいというところで、女子から大人気なんです。
内村航平さんは、1989年1月3日に長崎県諫早市で誕生しました。
両親と妹の4人家族のもと育ち、3歳から体操を始めました。
父の和久さんは日体大出身の体操選手で、高校総体で優勝経験もあるすごい方です。
母の周子さんも元体操選手で、おさげ頭にハイテンションで応援する姿が目立ち、よくメディアにも登場していますよね。
両親が開いた「スポーツクラブ内村」で体操を習い始めた内村航平さん。決して強制ではなく、のびのびと体操を教えたそうです。
幼少期は船の貨物用コンテナで手作りした体操クラブが居住スペースで、とても貧しい生活をしていたそうです。
諫早市立諫早中学校に進学してからも、体操以外に興味は湧かず、ひたすら自宅でレッスンを受けていました。
しかし、まだ中学時代は無名の選手で、技の覚えも悪かったそうです。
中学3年生で出場した全国大会では、個人総合42位という結果に終わっています。
「両親からは何も言われなかったから、自分でやりたいことをやっていましたね。当時は、全中へ行けたらいいなという程度でした。」
中学3年生の時に高校総体に出場していた星陽輔さんの演技を見て「ああいう風な演技がしたい」と思ったそうです。
芸能人学歴.comより引用
当時の内村航平さんは、勉強が苦手で、成績もあまり良くなかったそうです。
【画像】内村航平の高校の卒アルを確認!
中学卒業後、内村航平さんは東洋高校(偏差値59)に進学します。
高校時代の卒アル写真も調査しましたが、残念ながら公開されていませんでした。
中学時代までは無名の選手だった内村航平さんですが、強くなりたいと思い、上京を決意します。
そして、体操の名門・朝日生命体操クラブに所属しました。高校には体操部がなかったので、クラブで習っていたようです。
両親は上京に猛反対しますが、内村航平さんはそれを押し切ったそうです。
朝日生命体操クラブには、アテネオリンピック団体総合金メダリスト・塚原直也さんがいましたので、それもあって入門するのを決めたそうです。
東洋高校へは体操の推薦で進学し、授業をうけながら朝日生命体操クラブに通う日々を過ごします。
トップレベルの指導をうけた内村航平さんは、どんどん体操の才能を開花させました。
大会で常に上位に輝き、難易度の高い技を次々に決めていきます。
高校卒業後は日本体育大学体育学部(偏差値:47)に入学し、全日本選手権で初優勝を果たします。
そして、2008年におこなわれた北京オリンピックでは、個人総合と団体総合で銀メダルを獲得します。
それから、リオオリンピックで2連覇を成し遂げたのも、記憶に新しいですね。
オリンピックでは合計7つのメダルと、世界選手権で19個のメダルを獲得しており、その記録は世界最多となっています。
内村航平のイケメンすぎる学生時代や幼少期の画像も確認!エピソードも
イケメンで女性人気の高い内村航平さん。昔の写真をみても、すでに顔が整っていてとてもかっこいいですよね。
高校から上京した内村航平さんは、地元で電車に乗ったことがなかったので、満員電車がとても苦痛だったそうです。
「満員電車に乗っていると『わーっ!』って叫びたくなるくらい嫌でしたね。1年生のころはクラブの体育館がある千歳烏山に住んでいて、そこから水道橋まで通学していました。乗り換えも当時の僕にとっては複雑すぎて、全然覚えられなかった。距離的にはさほど遠くないのに、入学から最初の2週間は毎日遅刻していて、毎日泣きそうになっていましたね。」
芸能人学歴.comより引用
一方楽しいこともあったそうで、高校1年生で初めて焼肉チェーン店に行ったのですが、「こんな天国みたいな店があるなんて」と感動したとか。なんだか可愛いエピソードですね。
高校時代は学業と体操の両立が大変でしたが、勉強はたまに「ゾーンに入る」ことがあったそうで、テスト前に急に頭がさえると言っていました。
「東京に来てなかったら、たぶん今の自分がないと思うし、体操選手としてここまでやってないというか、その高校3年間がないと今がないかなっていう風に思うので。そこがあって、世界選手権に出たりっていうとこに繋がってくるので」
週刊現代より引用
内村航平さんは高校2年生から結果が出るようになり、高校3年生で全日本ジュニア個人総合優勝を果たしています。
それからはメディアからも注目を集め、放課後に遊ぶ暇もなく、毎日授業が終わるとすぐに体操の練習をしていました。
体操一本でクールなイメージが強い内村航平さんですが、小学生時代はスカートめくりに没頭していたそうです(笑)
動きが素早く、女子に近づくのが上手で『神業』と言われていたとか。かなり意外ですね(笑)
まとめ
今回は、内村航平さんの卒アル写真について、紹介しました。
残念ながら小学生の卒アル写真しかありませんでしたが、内村航平さんは昔からイケメンだったのですね。
高校生のときから体操で頭角を現し、大学に進学するころには男子体操界のエースとなっています。
これからも内村航平さんの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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