眞栄田郷敦さんといえば、その名前のインパクトも大きく、父が千葉真一さん、兄が新田真剣佑さんということでも有名ですよね。
兄弟そろってイケメンで演技力も高く、今後が期待される若手俳優です。
そんな眞栄田郷敦さんですが、どのような学生時代をすごしてきたかが気になりますよね。
今回は、眞栄田郷敦さんの学歴について調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
眞栄田郷敦の学歴を確認!出身高校は岡山の明誠学院!
眞栄田郷敦さんは、岡山県にある明誠学院高校出身です。
2017年11月25日に放送された『響け!吹奏楽の甲子園 第65回全日本吹奏楽コンクール 全国大会 高校の部』に出演し、インタビューを受けています。
この大会では『銅賞』に輝いたそうですから、かなりの強豪高校だったんですね。
この明誠学院高校は吹奏楽が名門ということで知られており、全日本吹奏楽コンクール全国大会の常連校だそうです。
そんな花形の部活で、眞栄田郷敦さんは部長も務めていました。周りが思わず見とれてしまうほどのイケメンで、ファンクラブがひそかに作られていたとか。
コンクール会場では他校の生徒にも注目され、眞栄田郷敦さん目当てにわざわざ見に来る人もいたそうです。
眞栄田郷敦さんは吹奏楽部ということですが、体育も得意だったそうで、運動神経も良かったのですね。
高校時代はプロの音楽家を目指していたため、サックスの練習以外にも、オーケストラを観に行って楽団の音源を聴いていたそうです。
音楽のことで、24時間頭がいっぱいだったといいます。
さらには京都の実家を離れて寮に入っていたそうで、勉強と音楽と身の回りのことも自分でこなしていたのですね。
また、高校の卒業式前日に人生初の骨折をしたというエピソードがありました。
卒業式前日のリハーサルに行く途中で骨折して、それはそのまま出たんですけど、折れてるって知らなくて。まあ、人生初めての骨折でした。右のくるぶしを剥離骨折。
NYLON JAPANより引用
結局、卒業式は大学の受験を理由に出席していませんが、目指していた東京藝術大学には不合格となってしまいました。
中学2年生の頃から東京藝術大学への進学を考えていました。でも受験した結果、不合格になってしまって、その時考えていたのが『(今
の)自分にはサックス、音楽しかない』ということ。だから、もっと幅広く、色んな“芸”を磨きたいという気持ちが芽生えたんです。
NYLON JAPANより引用
ある意味大学受験に失敗したことで、俳優という道に進むことができたのですね。
高校卒業後は上京し、父の千葉真一さんに一から演技指導を受けます。
父の家にはトレーニングルーム兼スタジオがあったそうで、一緒に住んでスタントも教えてもらったといいます。
いまの眞栄田郷敦さんの高い演技力は、本人の努力もさることながら、千葉真一さんの熱心な指導があったことでしょう。
眞栄田郷敦は小・中学時代は京都で過ごしていた?真相を調査
眞栄田郷敦さんはロサンゼルスで産まれ育ち、小学校もロサンゼルスの学校に通っていました。
小学生時代は極真空手を習っていたそうで、アメリカで開催された『全米体重別空手選手権』で準優勝を果たしています。
当時から、運動神経抜群だったのですね!千葉真一さんからスタントを習ったくらいですから、今後アクション映画に出演するのが楽しみですね。
そのままロサンゼルスの中学校に入学しますが、両親が別居することになったため日本に帰国します。
そして、母の実家近くにある京都市立修学院中学校へ入学しています。
アメリカの小学校は5年制だったため、実質1年半早く中学に入学することになりました。
幼少期をロサンゼルスで過ごした眞栄田郷敦さんは、英語がペラペラなんです。
千葉真一さんは、眞栄田郷敦さんと兄の新田真剣佑さんにハリウッド俳優になってほしいと思っていたため、英語は確実に覚えさせていたと思います。
眞栄田郷敦さんは純日本人ですが、とても整った顔立ちをしていますし、英語がペラペラと聞くとハーフでは?と思われそうですね。
京都市立修学院中学校時代は吹奏楽部に入部し、マーチングコンテストで『金賞』を受賞します。
サックスが得意だった眞栄田郷敦さんですが、いとこが吹奏楽部の部長をしていたことがきっかけで、自分もサックスを始めようと思ったそうです。
新田真剣佑さんがもっていたサックスがあり、すぐにのめりこんだそうです。
当時、千葉真一さんと母は別居しており、新田真剣佑さんは父に、眞栄田郷敦さんは母にひきとられたのですが、家族とは頻繁に交流があったそうです。
眞栄田郷敦が岡山の高校を選んだ理由は?
眞栄田郷敦さんが岡山にある明誠学院高等学校を選んだ理由は、吹奏楽部の強豪高校ということからでした。
京都市立修学院中学校の吹奏楽部も関西大会で金賞を受賞し、かなりの強豪校として知られていました。
眞栄田郷敦さんは中学3年生のときに吹奏楽部部長を務めるほど、かなりの腕前をもっていたのです。
サックスに魅了され、サックスのプロになりたいという思いから、岡山にある明誠学院高等学校へ進学を決意したのです。
プロのソリストになるため、明誠学院高等学校では寮にも入り、1日中サックス漬けの日々を送りました。
明誠学院高等学校には特別芸術コース(偏差値:40)があり、眞栄田郷敦さんはその学部に入ったようですね。
私立の男女共学高校で、「保育・福祉」「新情報」「進学総合」「特別進学」「特別芸術」という学部があります。
寮は1人暮らし用もあるそうで、眞栄田郷敦さんは身の回りの世話も全部自分でしていたのですね。
明誠学院高等学校は、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれる全日本吹奏楽コンクールの常連高校でもあります。
そして、高校でも吹奏楽部部長を務めていますので、周りの生徒と比べても郡を抜いて上手だったのでしょうね。
明誠学院高等学校時代は、2017年に開催された「第65回全日本吹奏楽コンクール 全国大会 高校の部」において、銅賞を受賞しています。
ずっとプロの音楽家を目指していたため、大学は東京藝術大学を受験しますが、結果、不合格になってしまいます。
浪人は選択せずに、大学進学は諦めます。眞栄田郷敦さんはサックスしかないと考えていましたが、幅広く色んな芸を磨きたいと思ったそうです。
そして、父の千葉真一さんに演劇をまなび、本格的に俳優を目指すようになります。
まとめ
今回は、眞栄田郷敦さんの学歴について、紹介しました。
小学校卒業までロサンゼルスで過ごし、中学校からは母の実家近くの京都の学校に通っていました。
サックスに目覚め、高校時代も吹奏楽部に入部し、部長をつとめています。
これからもますます俳優として活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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