堺雅人の学歴は?出身高校は偏差値58の宮崎南高校!早稲田大学を中退した?

シリアスな役からコミカルな役まで、幅広く演じる俳優・堺雅人さん。

日曜劇場「VIVANT」では、久しぶりのドラマ主演をつとめ、さすがの演技力で毎回話題になっていますね。

そんな堺雅人さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのかが気になりますよね。

今回は、堺雅人さんの学歴について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

堺雅人の学歴を調査!出身中学校は?

宮崎県出身の堺雅人さんは、宮崎大学教育学部附属中学校(偏差値57)に通っていました。

小学校は宮崎市立国富小学校で、当時は本が大好きなおとなしい性格だったそうです。

そのため、クラスでは目立たないタイプでした。

父はそんな堺雅人さんを心配し、半強制的に少年野球のチームへ入れました。

しかし堺雅人さんは、運動が苦手だったので、野球にのめり込む事はありませんでした。

初めて演技をしたのは幼稚園のときで、お遊戯会で「みなしごハッチ」を上演したそうです。

しかし堺雅人さんは、「カベムシ」というレアなキャラクターを志願したそうですよ。

その一方で、明るく周囲を笑わる性格になったことから、「王子」と呼ばれて女子にモテモテだったそうです。

宮崎大学教育学部附属中学校は、宮崎県内でもトップクラスの進学校なので、堺雅人さんは成績優秀だったのでしょう。

中学時代はブラスバンド部に入部し、ホルンを担当していました。

夏休みの自由研究では、昆虫の巣作りを観察していたそうです。

また、堺雅人さんは「三国志」のゲームにはまって、同級生でパソコンを持っている家に入り浸っていたそうですよ。

歴史が好きだった堺雅人さん。当時はただ遊んでいただけの「三國志」ですが、そのプロデューサー・シブサワコウさんが、大河ドラマ「真田丸」の3D地図監修をしたのです。

主演を務めた堺雅人さんが、シブサワ・コウさんと対談した際、三国志のゲームについて熱く語ったそうですよ。

堺雅人の出身高校は偏差値58の宮崎南高校で頭いい?

堺雅人さんは中学校卒業後、宮崎南高校(偏差値58)に進学しました。

宮崎大学付属中学校に、系列の高校がなかったため、高校受験をして宮崎南高校に進学したそうです。

この高校も非常に優秀な共学校で、地元では進学校として知られています。

東京大学や京都大学といた、最難関国立大学への合格者も輩出しています。

堺雅人さんは高校時代、演劇部に入部しました。

演劇部を選んだのは、顧問の先生や部長の先輩が、えらそうではなかったから、という理由だそうです。

部員がその部長しかいなかたので、堺雅人さんは同級生を勧誘し、徐々に部員を増やしていきました。

高校3年生の頃には、部員が20人まで増えたそうですよ。

また、堺雅人さんは演技のみならず、脚本や演出も手掛けていたそうです。

高校2年生の時には、演劇コンクール九州大会に出場し、創作脚本賞を受賞しました。脚本や演出でも、その才能が発揮されたのですね。

しかし、当時堺雅人さんは、俳優を目指していませんでした。

将来は、通商産業省(経済産業省)の官僚になることでした。

ただ、「お芝居は楽しい」という感覚は持っていたので、演技をすること自体は好きだったそうですよ。

また、高校の先生には、歌人の伊藤一彦さんがいたので、その影響で和歌にも興味を持ちました。

もともと国語が得意科目だったのですが、あまりに優秀なので、先生が100点をとらせないように、試験問題を作るのに苦労したほどです。

堺雅人は早稲田大学の第一文学部を中退した?東大も受験したけど落ちた?

堺雅人さんは高校卒業後、早稲田大学第一文学部(偏差値65)に進学しました。

当初は、東京大学を志望していたのですが、数学が大の苦手だったことから、不合格になってしまいます。

「(高校が)進学校だったので、国立大学の法学部に行って官僚になろうと思っていたが、(大学)受験で大失敗した」と振り返り、「国立を受けたが、テスト初日の数学の問題が1問も判らなかった。0点を取った」と回顧。
オリコンニュースより引用

入試の際に、数学の問題がまったく解けず、「スチームも湯気が立って非常に熱気があるが、うすらさびしい僕の解答用紙」 と、短歌数首を記入したそうです。

また、「数学の才能はないが、貴校に受かれば、精いっぱい頑張るつもりです」と、嘆願書のような文も書いたのですが、当然不合格になってしまいます。

そこで記念受験で早稲田大学を受け、試験科目が国語と英語と小論文ということで、国語の点数が良かったため、合格したそうです。

早稲田大学に進学した時点で、官僚は全く考えていなかったそうですよ。

大学では文学部の、中国文学を専攻していました。

大学に進学した頃、堺雅人さんは宮崎から上京したてだったので、方言がすごかったそうです。

しかし、まったく気にせずに周囲を笑わせて、クラスの人気者だったそうですよ。

演劇の世界へ

そして堺雅人さんは、演劇研究会に在籍しました。

演劇研究会に入る際、「演劇をやれば大学は中退し、親からの仕送りもなくなる」と思ったものの、悩んだ末に入りました。

やがて、劇団「東京オレンジ」を旗揚げし、看板俳優として活躍しました。

瞬く間に人気となり、「早稲田のプリンス」とも呼ばれていたそうです。

また、大学時代にお金をもらう舞台に出演した際、プロの役者を意識したそうですよ。

ちなみに当時、「ゴスペラーズ」の村上てつやさんと北山陽一さんも、演劇研究会に所属していました。

短期間ではあったものの、その縁で堺雅人さんも、ゴスペラーズのステージに出演したことがあります。

堺雅人さんは演劇にハマり過ぎて、大学の授業にはほとんど出席していませんでした。

そして、俳優となる決意をし、大学3年生の春に大学を中退しています。

両親は激怒し勘当されてしまい、その後7年間も音信不通となりました。

仕送りも打ち切られてしまい、堺雅人さんは極貧生活を余儀なくされました。

野菜を食べないとと思ったので、道端のタンポポを食べたこともあったそうです。

その後、田辺エージェンシーに所属して、少しずつドラマや映画に出演するようになりますが、芽が出ませんでした。

そのため、ドーナッツ屋など、様々なアルバイトを経験しています。

2000年に出演したNHK朝の連続テレビ小説「オードリー」以降、なんとか俳優だけで食べていくことができるようになったそうです。

そしてこの作品への出演がきっかけで、両親とも和解しました。

2004年には大河ドラマ「新選組!」へ出演し、「リーガルハイ」「半沢直樹」など、当たり役にも恵まれ、一躍トップ俳優の仲間入りを果たしています。

まとめ

今回は、堺雅人さんの学歴について、紹介しました。

堺雅人さんは学生時代かなり優秀で、私立の中学校・高校を卒業後、早稲田大学に進学しています。

しかし演劇の世界に飛び込んだため、中退しており、その後下積み生活が長かったものの、晴れてブレイクとなりました。

今後の活躍も楽しみですね。最後まで御覧いただきありがとうございました。

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