川崎フロンターレ、サンタクララを経て、ポルトガルの強豪チーム・スポルティングで活躍している、守田英正選手。
日本代表入りも果たし、ワールドカップでの活躍が期待されますね。
そんな守田英正選手ですが、その凄さの秘密は何なのでしょうか?
今回は、守田英正さんのすごさや活躍について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
守田英正の凄さとは?能力や特徴も確認!動画
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守田英正選手はメインポジションが、守備的ミッドフィルダーとなっていますが、セントラルミッドフィルダーや、右サイドバックで起用されることもあります。
川崎フロンターレ時代に右サイドバックで起用されましたが、なかなかレアなシーンだったようです。
守田英正選手の凄さは、ボールのキープ力や縦パスにあると言われています。
もともと攻撃的なポジションをやっていたので、ボールのキープ力や、ドリブルテクニックもすごいです。
フェイントも上手で、危険なエリアでもボールをキープしていきます。
また、ベストなタイミングで縦パスを出し、敵にとって嫌なところを突きます。
コースやパススピードは、文句なしとまで言われています。スポルティングでも、縦パスでスムーズにボールを回しているようです。
ボールを奪いに行く能力も高く、フィジカルの強さを活かしてがっつり当たりに行くのが、守田英正選手の強みです。
強気に攻める割には、カードをもらうことが少なく、チームとしてはありがたい存在と言えます。
ルーキーイヤーだった2018年に、イエローカード5枚をもらったのが最多で、あとは1年に2、3枚しかもらっていないようです。
監督としては、安心して起用することができるでしょうね。
また、危険察知能力が高く、ボールを奪いに行くタイミングが早いので、相手にとっては厄介な選手と言えます。
強豪選手ぞろいの川崎フロンターレでは、ルーキーイヤーにもかかわらず、26試合に出場したという快挙を成し遂げています。
このシーズンはチームがJ1リーグを制し、守田英正選手はJリーグの優秀選手賞を受賞しています。
2021年1月には、ポルトガルのCDサンタ・クララに移籍し、デビュー戦でゴールを決めています。
デビュー以降はスタメンに定着し、クラブに欠かせない存在となりました。
その後は、ポルトガルの強豪スポルティングに移籍し、UEFAチャンピオンズリーグに出場が期待されていました。
結果、こちらも強者選手揃いの中で、でポジションを勝ち取り、UEFAチャンピオンズリーグでは、アシストを記録しました。
日本代表としては、2018年9月2日に、大島僚太選手と山口蛍選手の代わりとして、追加召集されました。
9月11日に行われたコスタリカ戦で、日本代表デビューを飾っています。
その後は怪我で離脱するも、2021年3月に日本代表に復帰し、モンゴル戦で代表初ゴールを決めています。
ワールドカップカタール大会のアジア最終予選、オーストラリア戦からはスタメンに抜擢されています。
守田英正は高校時代無名選手だった?噂の真相を徹底調査!
守田英正選手は、幼少期からサッカーをしていたのですが、クラブチーム出身ではなく、中体連出身です。
高槻市立第九中学校時代も、学校のサッカー部に入部しています。
ガンバ大阪のジュニアユースの試験を受けたのですが、不合格となったため、クラブチームに入りたいという気持ちが薄れてしまいます。
「全国区ではないけど、大阪では中体連の中で強い感じがある中学校でした。でも、何よりもそこの先生、顧問ですね。サッカーのことをすごく知っているわけではないけど、すごく情熱的で、サッカーに対して本気になれる人だった。」
F-スポットより引用
中学時代の顧問が、守田英正選手のお兄さんも指導している方で、そこに行きたいと思ったそうです。
毎日朝練があり、試合に負けると夜まで練習するという、厳しい環境だったようです。
しかし、顧問の先生が熱心だったため、辞めたいという気持ちにはならなかったといいます。
コミュニケーションもよく取ってくれる先生で、アフターケアもしっかりしてくれたそうです。
サッカー以外でも悩みを聞いてくれたり、勉強会を開いてくれたりと、とても情熱的な先生だったそうです。
守田英正選手は、「1番サッカーに打ち込んでいた」と振り返るほど、中学時代が貴重な経験になったようですね。
守田英正選手はその後、金光大阪高等学校に進学しています。
サッカー部はインターハイや、全国高校サッカー選手権大会にも出場している名門校です。
そんな強豪校でも、守田英正選手は、キャプテンをつとめ、背番号10を背負っていました。
しかし、高校時代は特に目立った活躍はなく、全国大会出場は叶いませんでした。
「全国大会にも出たことがなければ、全国区の選手でもなかった。埋もれていたと言うか。下手ではなかったですけど、特に上手くもない、という感じでしたね。高校はあまり名の売れていた感じでなかったです」
ゲキサカより引用
全国区の選手ではなく、プロのレベルには至らないと思っていたようです。
中学時代とは一転、高校時代は壁にぶつかり、県ベスト4止まりとなってしまった守田英正選手。
両親にも反対されましたが、まだプロへの道をあきらめませんでした。
金光大阪高等学校の岩松哲也監督は、守田英正選手を高く評価しています。
実力は並よりやや上程度でしたが、責任感の強さと、走る力が際立っていたそうです。
守田英正選手のように中体連出身ですと、『自分は中体連だから』と、ネガティブに思う選手が多いそうです。
しかし、守田英正選手はクラブチーム出身の選手に負けず、コツコツと努力を積み重ねていったそうですよ。
守田英正選手の走る力についても、「陸上部よりも早かった」と話していました。
サッカー選手は足が速い人が多いのですが、岩松哲也監督が監督歴30年の中でも、守田英正選手の走力はトップクラスだったそうです。
足の速さは、学年だけでなく、学校全体でトップクラスだったようですね。
守田英正の大学時代の活躍も確認!画像
守田英正選手は高校卒業後、流通経済大学法学部ビジネス法学科(偏差値38)に進学しました。
プロのレベルに到達するべく、もっとサッカーを学ぶために、この大学を選んだようです。
高校時代に全国出場できなかったことで、実力不足を感じ、サッカーの強豪校である流通経済大学に進学した、守田英正選手。
プロになるのであれば、プロを輩出する伝統のある大学に行くべき、と考えていたそうです。
また、高校2年生のときに、流通経済大学付属柏高校と対戦した際、圧倒的な強さに衝撃を受けたといいます。
サッカー推薦ではなくセレクションを受け、ゼロから這い上がり、大学No.1ボランチに成長しました。
そして、大学4年生のときには、全日本大学サッカー選手権で優勝し、大会最優秀選手賞を受賞しています。
流通経済大学に入学してからは、とにかく刺激的な毎日で、サッカーが楽しくて仕方がなかったといいます。
最初は中々チャンスをつかめなかった守田英正選手ですが、ボランチのスタイルを変えたことで、転機が訪れます。
守田英正選手は小学生のときから、ずっと攻撃型ボランチだったのですが、大学では通用しませんでした。
守備に重点を置くチームだったので、守備型ボランチに切り替えたそうです。
攻撃面でチームから指摘されていたのは「ラストパスも出せないし、シュートも打てない。決定的な仕事ができない」ということでした。練習しても上手くならなかったのが現状で、正直ボランチは無理かなと思う時もありました。
川崎フロンターレ OFFICIAL WEBSITEより引用
ずっと自分の課題だった、ボランチのスタイルをどうするか考えた結果、守備に特化したボランチに切り替えます。
そのことで、着実に実力をつけ、ボールを奪うのがどんどん楽しくなっていったそうです。
大学卒業時にはいくつかのクラブチームからオファーを受けましたが、悩んだ結果、川崎フロンターレへの入団を決めました。
大学ではボランチ以外にも、サイドバックやセンターバックで起用されることもあり、他のポジションもこなせるのを理解してくれたのが、川崎フロンターレだったそうです。
攻守ともに、複数のポジションをこなせるというのも、大きな強みですよね!
川崎フロンターレに入団すると、早々に追加召集されて、日本代表デビューを飾っています。
まとめ
今回は、守田英正さんのすごさや活躍について、紹介しました。
守田英正選手は攻守ともにレベルが高く、フィジカルの強さもあって、日本代表のキーマンともいえます。
高校時代は無名選手だったものの、大学で開花し、スポルティングでも主力として活躍しています。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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